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さようならと告げる鳥の聲が聴こえる

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第二章



 満開の桜の花が散り、葉桜になった頃、望美は泰衡の郎党や武士たちとともに平泉を出た。
 源氏の神子と呼ばれていたときは、旅の中にあったと言ってもいい。一つの場所に留まっている期間は短かった。その頃は落ち着いた旅ではなく、いつも何かしら火急の使命があるか、あるいは戦地へ赴くためのものだった。今回の旅も使命を携えたものなのは確かだが、それを果たせるのはとにかく京に着いてからの話で、それまでは非常に静かで落ち着いている。
「奥方様」
 馬上の人となっている望美に、やはり同じように馬に跨る銀が近づいてきた。
「お体に障りはございませんか?」
「うん、大丈夫」
「ずっと騎乗なさっているのは、お辛くありませんか?」
「ちょっと腰が痛くなってきたけど、そんなに心配するほどのことでもないよ」
「そうでございますか。では、もし辛いとお感じになられましたら、遠慮なく仰ってください」
「……それって、輿に乗れってこと?」
「そのとおりにございます」
 望美はあくまで親切心ゆえに、微笑みながら言う銀からふと顔を背けて、溜息をついた。
 予定より数日遅れて、平泉を立ったのには、理由がある。もともと泰衡は、望美を輿に乗せて京まで向かわせる気でいたらしく、銀たちはそれを承知していた。しかし、それを知った望美は、輿になど乗るものか、と猛反対した。輿に乗れば確かに乗っているだけでいいのだから、楽と言えば楽だが、その代わり自由が利かない。何より、輿で行くよりは明らかに、同行の者も合わせて、皆が馬に乗る方が早いに決まっている。旅の期間の短縮が図られるのなら、望美にとっては好都合だ。そういうわけで、輿の用意だけはいつでもできるようにと、それらの道具を運んできているらしかったが、頑として乗る気になれないまま数日が過ぎていた。
「あの荷物、どこかに置いて行ってもいいんじゃないかな。私、乗らないと思うし」
「しかし、捨て置くわけにも参りませんので」
 銀も困惑したように返してきた。彼を困らせたいわけではなかったので、まあしょうがないけど、と返すしかない。
 平泉を出る前にも、馬に乗って行くと宣言した望美に、泰衡がかなり煩かった。奥州藤原氏の当主の正室たる女が騎乗して行くなど馬鹿なことをするなと叱られたが、結局は我が儘を押し通した形だ。
「早く行って、早く帰って来たいんです。……早く会いたいの」
 散々怒鳴られ叱られて、不貞腐れたまま本心を、泰衡にだけ語ったら、彼は彼で相当呆れたように溜息をついたけれど、やっと折れてくれたのだった。もちろん、輿の用意だけは忘れず武士に運ばせていたのだが。
「ねえ、前と比べると、泰衡さんも私に甘くなってきたと思わない?」
 思い出して銀に訊ねると、彼は僅かに躊躇しつつも、そうですね、と微笑んだ。
「出会った頃とじゃ比較できないくらいだけど、結婚した頃のがもっと厳しかったし、冷たかった気がする」
「神子様への愛おしさが、この数年でいや増している証にございましょう」
 さらりと、しかし確かに嬉しそうに笑う銀の言葉に、こちらの方が照れ臭くなって、つい赤面してしまった。泰衡は決して、望美を愛しいなどと口にすることはない。望美がそれでも彼の心をそうと知るのは、やはり夫婦だからであって、ともに生きるからであって、傍にいるからなのだけれど、当人でない銀が当たり前のように発言するので、こちらは少々困惑する。
 それでも、銀からはそうして見られているのかと思うと、面映く感じるながらも、なかなか嬉しい。自然と口元が笑みの形に変わってしまいそうだ。
「そうだといいんだけど」
 もごもごと応じてみたものの、もしかすると、単に望美の言動をよく知り尽くして、なかなか折れない性格をしていることを理解したから、言い争うのが面倒になっているだけかも知れない。泰衡は、余計な時間の浪費を嫌う人だ。
 それもあり得る、と思うものの、銀には言わずにおいた。
 しばし、郎党らとともに街道を行く。四年半前、壇ノ浦における戦勝の直後に、今度は源氏から追われる身となり、必死に逃げていた。熊野から伊勢へ入り、やがて平泉にはいることになった。あのときは、ただ夜の闇を掻い潜るように、人の目に付かぬように平泉まで北上していたから、街道などまともに行くことはなかったのだ。思い出してみると、今の自分の状況が不思議だ。
 あのときは、まだ夫たる人とは出会っていなかった。よもや、こうして生涯を平泉に過ごすことを決意するようになるとは、想像もしていなかった。
 するりと、己が騎乗する白馬の首を撫ぜた。
「雪路にとっては、初めての長旅だったね。大丈夫?」
 話しかけてみるものの、人の言葉を理解するはずもない。けれども、ぶるりと僅かに鼻を鳴らして首を動かしたのは、飛んできた虫を追い払うためではないと、主としては思いたいところだ。
 泰衡と婚姻した後に、祝いの品として、舅である秀衡に贈られたのが、この白馬だ。その毛並みの美しさから、雪路と名付けた。泰衡はこれを快く思っていなかったようだが――婚礼を祝して妻に与えられたものとして相応しくないように思ったのだろう――、望美は心底から喜んだ。秀衡に、自由にこれで駆け回って良いと、屋敷の奥で大人しくしているだけの嫁にならずとも良いと、そう許された気がした。実際、そうだったのだろう。泰衡もその意図を汲んだのか、あるいは望美の性質を分かっていたからか、無理に屋敷の奥でのみ暮らせとは言わず、外出にもあまり文句は言わない。
(甘やかされてる、か)
 思い返してみると、やはり泰衡は、何だかんだで望美のことを甘やかしていたのかも知れない。そして誰より、あの御所にあって望美を甘やかしていたのは、秀衡その人だったように思う。夫などよりよほど、舅の方が望美の嫁入りを喜んでくれたものだ。神子殿が泰衡の妻となってくださるのであればこれ以上の幸いはない、などと大袈裟に言っていた。
 雪路の首を、もう一度そっと撫ぜた。鬣の毛並みを少し梳いて、息をつく。
(でももう、秀衡さんもいないんだね)
 豪快で、情に篤い人だった。老いてもなお、強い人だった。それが、一年半前に、病を得て亡くなった。急のことだった。
 あのときは、人前ではいつもどおりに振る舞っていた泰衡も、閨で二人になると、ひどく消沈して見えた。珍しく、彼の方から望美を抱きしめて、そのまま眠ったものだ。
 今も、そのことを思い出すと、胸が痛むほどには、彼女の中では消えもしない出来事だ。人の生き死には、戦場の中で多く関わってきたけれど、そうでないときの死に直面したことは、数少ない。あれほど静かに人は死んでいくものなのだと知った。血を流して苦しみながら死ぬ人を多く見たせいで、感覚が狂っていたのだろうかと思うほどに、静かに訪れたものだった。
 平泉に生きる自分は、あるいは泰衡は、いずれこうして静かに息を引き取る日が来るのだろうと思っていた。
(……戦の中じゃなくて)
 それを望む。もちろん、鎌倉が本当にもう一度、奥州に攻め上ってくるのだとしても、その中で死ぬつもりはないし、死なせたりしない。
 雪路の手綱を右手で握りながら、左手で己の胸元を押さえた。
 ――約束だ。