CHULIP
人の悪い笑みを浮かべながら真坂木は、三國の顔を覗き込むが、三國はその冷徹な表情は変えることはなく真坂木を睨みつけている。両者の表情を見比べながら、そういえば何故三國が自分のディールの予定を把握しているの疑問に思った。
「それでは、お楽しみのところすみませんでした。引き続きお楽しみください」
出てきた時と同じく壁に吸い込まれるように消えていく真坂木は、ぼんやりと見つめている公麿の腕を掴むとその手首に軽く接吻けた。
「でわ~」
その腕を慌てて引きはがした三國の更なる攻撃から逃れるつもりか、真坂木の身体は完全に壁の中へと消えていった。
「待て、真坂木」
「痛いんだけど……」
「すまなかった」
掴んでいた手首の力を弱め、引き上げるようにその細い身体を持ち上げると、公麿はバランスを崩したのか三國の胸元へと身体を寄せた。
「俺も悪かったよ。その……」
口に出すのも憚れる。きっと、三國の機嫌が悪いのはハプニングとはいえ接吻けしてしまったせいだ。
「仕方ないだろう。事故のようなものだ」
その言葉は正しく、そして今まで怒気ではなく、いつもの柔らかい物腰の三國の口調に戻っており事態を招いた真坂木に対して怒っているだけなのではないかと思った。
それにしても、あの男は神出鬼没過ぎる。もはや、物理法則などこの街に来てからは無視することにしているが、それにしても今回のは驚いた。
「あんたはそれでいいかもだけど、俺、初めてだったんだぜ」
「はじめて……」
笑い話のつもりで軽く口をついた言葉に、妙に考えこむよな仕草で三國は顎髭を指先で弄んだ。
「わっ、笑うなよ」
笑うのを抑えているのか、それとも他意があるのか破顔した表情の三國にから目を背ければ意外な一言が返ってきた。
「笑ってなどいないだろう?」
確かに笑ってはいないが、なにか揶らかわれているようで気に障るのだ。自分にとっては大きなことでも、三國とってはたいしたことではないというのも、嫌だった。
「えっ…………」
何が起きたのかは分からなかった。顎髭を弄んでいたはずの指先が、公麿の顎を捉え軽く持ち上げられた。そのまま徐々に近付いてくる三國の端正な顔をまるで魅了されるように見つめてしまった。
そして、気付いた時には少し硬く乾いた唇が、自分のそれと重なりそして離れていった。全ては終わった後だった。
「なに……」
それしか言葉に出せなかった。何が起こったかと言えば接吻されたのだが、何故されたのか理由を知りたかった。
「いや、初めてならばちゃんとしといた方がいいだろうと思って」
「なんでだよ!?」
どうしてそんな結論になるのか、初めてであるならば例えば真朱のような愛らしい美少女としたいと思うだろうとか、そう思うはずだろう。どうして、仕切り直しとして男同士でしなければならないというのか。
「きっ、記念の日だからだ……」
妙に共って呟く三國の顔はらしくなく赤く染まっていた。少し顔を背ける姿は恥ずかしそうにも見えた。
「なんだよ、それ。別にいいっすけど……」
そんな態度をされてしまうと、公麿としても強くは言えなかった。随分尺度は違っているが、彼なりに公麿を思っての行為だ。それに、減るモノでもない。ただ少しだけ甘いような、酸っぱいような、苦いようなそんな初体験になっただけだ。忘れられないという点に関しては、どんなモノよりもインパクトに残るだろう。
「目を閉じろ」
「えっ?」
急に語調が強くなり険しい声に身を竦めると、再び三國は顔が近付いてきた。
「キスというのはな、目を閉じてするものだ。教えてやる」
「はぁ~?」
なに言ってるんだこの男は、そう見上げた三國の顔は険しく、そして真摯に真剣であり公麿から反論する気力を奪うものだった。
「…………わかったよ」
仕方なく公麿は目を閉じた。
今日はキスの日らしいが、どうしてそんなに拘るのだろうか、自分は揶揄して愉しんで居るのか、だが三國からはそれを感じないのだ。むしろ、もっと真面目でまっすぐなモノを感じている。
視界を奪われるということは、相手に全てを委ねているも同じだ。心を許しているからこそ、無防備な姿を探しているのだ。
ドキドキと心臓が高鳴っている。こんなお遊びにすら緊張し、興奮していることが三國にも伝わってしまわないか心配だった。
恥ずかしい。
こんなにも、真剣に同様し興奮している自分を三國は気持ち悪いと思わないだろうか、同性だというのに高鳴ってしまう自分を…………
「痛ってぇ、なにすんだよ」
もたらされたのは唇の感触ではなく、額をピンと跳ねられたデコピンの痛みだった。掌で額をさすりながら見上げた三國の表情は再び柔和に戻りそして、仄かに赤く染まっていた。
「だから、お前はもっと危機感を持てと言っただろう。そんなホイホイと、もっと自分を大切に……」
なんでそんな説教をされなくてはならないのかと、やれと言ったのは三國ではないか、しかし、怒っているというよりもどこか三國は慌てていて余裕がないようにも見えた。
「あんたが目瞑れって言ったんだろう?」
「閉じてどうするつもりだと言うんだ。また接吻けされてもいいと言うのか」
されたいわけではない。誰にもされたいわけではない、ただ三國だからいいと思ったのだ。だから、だから…………
「…………されてもいいって思ったから……」
小さく、幽かな公麿の呟きを三國は逃さなかった。
「なんだと……」
「もう、いいだろ」
恥ずかしくて顔を逸らせば三國は再び公麿の身体を抱き寄せた。
「よくない」
「えっ……」
また顔が近付いてくる。ゆっくりと重なっていく顔、三國の瞳の中に自分の姿だけが映っている。
「教えただろう……」
柔らかく耳元を擽る声に公麿は静かに瞳を閉じた。