月に恋焦がれ
格子越しに見える空は今日も青く。格子は鳥籠のようだ、と来たときから思っていた。抜けるためには年季が明けるか身揚げしてもらうしかない。どっちもまだ先の話だ。男の身で廓勤めも慣れてしまえばこんなものか、と諦めにも似た感情を覚える。
「甘楽さん、赤林さんがお見えです」
襖が開いて禿が頭を下げる。その奥から派手な着物の男が顔を出した。
「ん?あぁ、どうせ小言を言いに来たんでしょ?」
「そんなんじゃないよ。饅頭でも食べようと思って」
相変わらず読めない表情を浮かべて饅頭を並べる。
「甘楽、お前からも静雄に言ってくれないか?暴れて物を壊すんじゃないって」
その名前に眉が少し動く。でもあくまで平常心を装って話を聞き流す。
「俺が言って聞くような人間じゃないでしょうよ」
確かに、と笑って文を差し出してくる。これは愛宕屋の隠居か、と読まずに文の山に積み重ねた。
「甘楽、また話が出てるけど…」
隠居は是非妾に、と前から言っていたけど興味は無かった。確かに金はあるしここよりは楽な生活が出来るだろう。でも誰かの元へ行くのもここを離れるのも考えて無かった。
「あぁ、興味無いので」
「だろうねぇ。年季が明けるまではいるつもりかい?」
「ここが気に入ってますからね」
楼主に言っておくよ、と苦笑いを浮かべて俺の顔をまじまじと眺める。普段見慣れてるだろう、と思ったがあえて口にしなかった。
「四木の旦那そっくりだね」
「四木さんの生き方は憧れますね」
元々ここのお職を張っていたような人でここに残り遣り手を引き受けている。遊女上がりと陰口を叩く人間もいるけど、仕事は出来るから誰も表立っては言えない。
「お前さんも頂点を目指すのかい?」
「誰にも文句言われなくなる立場になりたいんですよ。堂々と逢い引き出来る…とかね」
そんな四木さんがここに残ったのは離れたくない事情があるから。何回も身請けの話があったのに受けずに結局残ったのだと聞いたから。そんなの、考えなくても分かる。
「……恐ろしいガキだねぇ」
「あの人を守るために任侠からここに来た赤林さんには負けますね」
唇に指を当ててそれは内緒だよ、と笑って着物から何かを取り出す。桐の箱に入った細長い物だ。首を傾げると思惑通り、といった風に笑った。
「口止め料」
「これは?」
箱を開けると、四木さんがよく吸っている煙管。模様は違うけど綺麗な細工がされたいい物だと分かる。
「こうでもしないとあの人はヤキモチを妬かないから」
「当て馬とか勘弁したいんですけど」
やっぱりか。素直に俺に物をくれてもいいのに、と心の中で毒吐いた。
「そう言うなって。大事にしろよ」
「はいはい。吸えるかは別ですか大事にしますよ」
長持に仕舞うと、物がない長持だからか目立つ。いつか吸えるようになるのだろうか?似合うようになったら堂々と会えるのかな?そんなわけがない、と心の中で笑うしかない。
「可愛くないねぇ。昔っからか」
「貴方は四木さんしか見てないくせに」
違いないな、と笑って部屋を出る。昼見世も暇だから好きにしていいよ。と言葉を残して。襖が閉まると窓の外から音がする。来たのか、と胸が高鳴った。
「誰もいないよ」
窓の外に話しかけると、金髪の男が顔を出す。周りを見渡して誰もいないのを見ると部屋に入って来た。
「……うるせぇよ」
「ほら饅頭貰ったから食べていいよ」
「悪いな」
差し出すと甘い物が好きな彼は手を伸ばす。そこは相変わらずだな、と笑みが浮かんだ。
「また身請けの話が出たんだって」
「…そうか」
一瞬、止まってまた饅頭を食べる。気になるのに聞かない。昔からそうだ。全然聞いてくれない。
「聞かないんだね。受けたとか断ったとか」
「気に入ったら受けるんだろ。俺の知った話じゃねぇよ」
数あった饅頭は少なくなる。残り少ない饅頭を何個か取って口に入れる。好物を取られたからか話からか眉を潜める彼に舌を出した。
「ふーん。シズちゃんの馬鹿。俺がいなくなっても知らないよ」
「……その時はその時だ」
「いなくなってもいいの?ねぇ?」
近寄って着物を掴むとその手は振り払われる。そしてそのまま押さえられて見つめられる。
「うるせぇよ、何て言えば満足なんだ?行くな?傍にいろ?言葉だけでどうにもなんねぇだろ」
「ごめ……」
しまった、といった表情。悪いと言うシズちゃんに首を振った。分かってる、ちゃんと考えていることぐらい。不器用な優しさに出そうになる涙を堪えるしか出来ない。
「…分かったならさっさと仕度しやがれ。すぐに夜見世の時間になるぞ」
「シズちゃん」
振り返った顔。唇に軽く触れると目を見開いた。触れるのは今だけ。抱き締めて体温を確かめる。もうすぐ時間だ、禿が呼びにくるだろうから離れないといけない。見つかれば二人ともただではすまないだろうから。
「今日も頑張ってくるね」
行きたくない。そんな言葉を飲み込んで背中を向けると、何かが当たった。振り向くと床に落ちているのは何かの包み。
「今日の分」
「ありがとう」
貰った飴を懐紙で包んで着物に入れた。作り物だけど笑顔を向けるとシズちゃんも笑ったように見えた。
「また来る?」
「さぁな」
そっか。と笑うとシズちゃんはまた窓から出る。また来てねなんて言えない。また会いたい、けどそれは口にしていい言葉じゃないから。
「甘楽さん」
「分かってるよ」
時間通りに禿がやって来る。またいつも通りだ。身支度を整えて見世に並ぶ。駆け引きをしては偽りの恋をする。そんな生活もただ一人のため、そう思えば苦しくないんだ。
「厄介だね」
「何がです?」
知らないだろう?ただ一人のためにこの場所にいる。不器用で口下手だけど、俺を想ってくれる人がいるなら。頑張れって言ってくれるなら、俺は頑張れるんだ。
綺麗な字を書くな、と覗き込みながら思った。教えた人が繊細過ぎる字を書くからだろうか?とにかく男の野暮ったい字ではないのだ。
「赤林さん、この文を出してもらえますか?」
「誰にだい?」
満足するまで書いたのか、折ると手渡してくる。季節の花でも添えてください、と一言付けて。中を見るのは悪いので、誰かだけ聞くことにした。
「門田屋の若旦那ですよ。最近来ないんで」
「まぁ忙しいんじゃないかい?」
「あんまり来ないと顔を忘れそうですしね」
甘楽を贔屓にしている若旦那は珍しく馬鹿息子の道楽の気まぐれ、というわけでもなく甘楽を気に入って通っているようだった。甘楽も単に客としてではなく普通の友達のように見ている節はある。
「あの息子がもうそんな歳なんだねぇ。小さい頃から見てるけど」
小さな頃から父親に連れられて茶屋に来ていた若旦那はこの見世で数少ない禿上がりの甘楽と廓育ちの静雄とよくじゃれていたのが昨日のことのようだ。
「ドタ…門田さんも自分の店も大変なのに、俺なんかにお金使うことが申し訳なくなってきますね」
「まぁ息抜きなんだろうしそこは気にするもんじゃあないよ」
真面目で色狂いしそうにないあの若旦那が見世に通い詰めてるなんて知ったら店の者は大変驚くだろう。それでも、きっと甘楽は知らない。若旦那がどんな感情を抱いているかなんて。