月に恋焦がれ
「次来たら冗談の一つか二つくらい言うべきですね」
言葉巧みに手練手管を使って男を落とす遊女に本気になる男は少なくない。遊女の誠と卵の四角はなし、という言葉があるように遊女は嘘吐きというのが普通だから。
「そうしてやんな」
でも甘楽はどこか違う。可愛いのだ。馴染みになればそういった手練手管を使わずとも男から寄ってしまう独特の雰囲気がある。そこが魅力なのかもしれないな、と思った。一人笑う俺に不審そうな表情を浮かべる。昔、そういうタイプの遊女がいたから。駆け引きが出来なくて、でもどうしても離したくなくなるような人が。可愛くてでも不器用だった。
「またですか?」
「まぁ、ね。可愛かったんだよ」
「いい加減聞き飽きましたけどね」
無愛想で客にも笑いかけることなんてない。唯一笑うのがこの見世の主人にだけ。でもそんな姿に惹かれるのか客は絶えなかった。それは必死に爪や髪を贈る遊女たちでは太刀打ちできないほど。
「甘楽は似てるよ」
「…褒められてる気がしないですけどね」
肩を竦める甘楽に同じ質問をしてみた。昔、あの人に聞いてみたのだ。好奇心で聞いてみたけど甘楽は何て返すのだろうか?
「甘楽は」
「はい?」
「本気で好きな奴には小指でも贈るかい?」
誠意の証として小指を切ったり爪を剥いだり髪を切ったりする遊女はいる。ただ、本当にしている遊女は少なく、偽物とか死人の指とかで偽装する遊女が大半だけども。
「まさか。そこまで出来ませんよ。重すぎる」
「そう」
なんだ。と残念そうに笑ったら小指を見つめて甘楽も微笑む。誰の顔を浮かべたのかは知らないがそれは初めて見る笑みだった。
「小指を贈るくらいなら、その小指で指切りしてここから連れ出してもらう約束だけで十分です」
「そうかい。お前さんも口がうまくなった」
「それか指全部贈るか、ですね」
笑う甘楽はまた聞いたこともない答え。でも好きな奴はいるのだろう。そんな笑顔だったから。全く、恋というのは昔から何ら変わらない。
「聞かなかったことにするさ」
「まぁ…どっちでもいいですけどね」
笑う甘楽に会いたいと思った。きっと向こうはそんなことを微塵にも思っていないだろうけど。
静寂が部屋を包む。ちょっかいをかける俺なんか気にもせずに机に向かう人。それはいつもの光景だ。
「甘楽に煙管をやったんですってね?」
文か何かを書きながら思い出したように話を出された。つい先日、四木さんが目をかけている遊女に物を与えたのだが、気に食わなかったのだろうか?
「ん?まぁそういう年頃だろうって思って」
「吸わないと思いますけどね」
やっぱり気にも留めないか、と苦笑いが浮かんだ。ここで嫉妬されても俺は全然嬉しいのに。俺が何しても何を言っても表情を変えない、崩れないこの人を崩してみたい。それは昔から思ってた。今も後ろで髪を触っているのに何も言ってこない。
「赤林さん」
「はい?」
「邪魔ですよ」
「…はいはい、分かりましたよ」
やっと振り向いたと思ったのに、辛辣な言葉。髪を触っていた手を振り払われて睨まれる。やれやれ相変わらずか。
「ねぇ、旦那は俺のこと好き?」
「知りませんよ」
また机に向かって何かを書いてるからその顔を覗き込む。筆を取り上げて笑顔を向けた。構って欲しい、と思うのに伝わらない。
「意地悪ばっか言わないでよ」
「返してくれませんか?」
そのまま手を抑えて唇を塞ぐ。力任せに押し倒したら、机が揺れて墨が畳を汚した。書いていた文も汚れてきっと書き直すことになる。
「旦那、ちょっとくらい俺を見てよ」
「…ふざけるのも大概にしてくれませんか?」
暴れるのを押さえ込んで指を取る。細い指を舐めていき小指を銜える。名前の通り小さな指を軽く甘噛みして口内で弄んだ。
「旦那は俺が小指くれったらくれる?」
「…何が…っ」
「ほら、指切り。旦那も聞いたことぐらいあるでしょ?」
小指に歯を立てて、痕を残す。舐めては歯を立ててみたり音を立ててみたりして、舌を絡ませる。
「私の指だけが欲しいんですか?」
「まぁ、旦那の証なら」
「そんなモノに縛られるほど貴方は私のことを信用してないんですか?」
「んー…じゃあさ、旦那は俺のこと好き?」
首筋に赤い痕を残しながら、着物の中に手を潜ませる。身体を重ねたこともある、口吸いもしたけど、本音は未だ聞いたことがない。
「…さぁ。でも私にも貴方の小指が欲しいって言ったらくれるんですか?」
「それって?」
「貴方の証を寄越せって意味です」
小指を手に取られて思いっきり噛まれる。歯型が付いた小指はまるで刺青みたいだ、と思う。
「……怖い怖い」
「じゃあ馬鹿なことを言わないでください」
引き寄せられて、口を吸われる。その唇は馬鹿な俺の考えを消すかのように、熱っぽく感じた。
嫉妬と羨望が入り混じるこの街で、生き残るためにはどうしたらいいのだろう。
「あ……」
九十九屋の旦那が買ってくれた裲襠を数日前から見た記憶が無かった。どこかに仕舞ったのだろう、と軽く思っていたけど、まさか庭から出てくると思わなかった。
「やられた、な」
破かれた着物を見て溜め息が漏れる。九十九屋さんはよく俺を呼んでくれて馴染みになった人で羽振りがいい人だった。似合うだろうと仕立ててくれた着物なのに。
「どうした甘楽?」
「いえ、何でもないです」
破られた着物を拾って部屋に帰る。この着物はもう着れないから、九十九屋さんになんて言い訳しようか?着てくれって言われないのを願うしかないけど。着物を破られるのも一度や二度じゃないからもう慣れたものだ。
「座敷とか部屋なんて、いらないのに」
男の遊女。陰間茶屋とは違い、遊女として扱われるせいで女と同じような立場だ。売れたら花魁、売れなければお茶っ挽き。生き残るためにはどうしても這い上がらないと駄目な世界。部屋持ちになり、座敷も与えられて花魁に近い立場にはなった。けど、それを気に入らない人間もいるのはいる。
「どうした?暗い顔をして?」
「いや、ちょっと考えごとをしていただけですよ」
誰にも言えないし、簡単に泣き言は言えない。そもそも男に負けたなど女としては認めたくないのだろう。だから俺のことを認めたくないのだ。なかなか複雑な事態だな、と苦笑いを浮かべた。
「お気に入りだったのにな」
どうにかして使えないかな?と切れ端を見つめる。針と糸を借りてお手玉くらいには出来るだろうか?綺麗な桜の模様が切れているけどいい布には違いないから。
「姐さん」
「そんな呼び方しないでよ」
「だって、そう呼べって…」
元々俺付きの禿で突き出しを控えている新造の才歌。大人しい性格をしていておどおどしている。けど、器量がいいからすぐに人気は出るだろう。
「まぁいいけど。どうしたの?」
「あの、これ……」
才歌が握っていたのは手紙。門田屋の若旦那からの返事だろうか?受け取って中身を見ると、そうだった。
「そっか。分かった」
「……失礼します」
頭を下げて部屋を出る才歌。襖を閉めたのを見て布団に転がる。返事はしばらく登楼ることが出来ないということとお詫び。話を聞いてくれる人が来れないというだけで気持ちが急に落ちた。
「来れないのか…話を聞いて欲しかったのに」