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ヨギ チハル
ヨギ チハル
novelistID. 26457
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私はただそちらの方ばかりを

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ルヴァの自室でお茶を飲む。何度となく繰り返された、見慣れた光景である。だがこうして二人でゆっくりと過ごせるのはいつ振りだろうか。今日マルセルはいない。守護聖の補佐官と共に学習しに行っているようだ。マルセルが聖地にやってきてもう暫く経つが、いまだ女王からお披露目の知らせも何もなかった。
宮殿の花壇をいじった跡なのか、カティスのはいているズボンの裾は土だらけだった。もちろん聖地や守護聖各々の屋敷には専属の庭師や水くれの女がいる。カティスとて自身がする必要はまったくないにもかかわらず、土いじりが好きだからという理由で聖地中にある花壇の面倒を時間を見つけてはしていた。ルヴァの裏庭もカティスが設計し、作り上げたものの一つである。誰にも邪魔されないで静かに本が読める場所。日光が強いため、元々外で本など読むものではない。だが、裏庭という場所、さらに林の中に東屋を立てることで十分その機能は果たした。表の庭師が整えた庭のようないかにも『守護聖の屋敷』といった華やかさはないが、寝室から望む裏庭は落ち着いていて、ルヴァの気に入っているものの一つだった。
カティスはマルセルの守護聖のとしての仕事云々よりも、自分がいなくなったあとの庭の心配ばかりをしている。今だってカティスはルヴァには出来もしない庭や、花壇の花の世話の仕方をしきりに話していた。
「困ったらマルセルを呼んでやってくれ。あれも俺と同じように土いじりが好きなようだから、安心して任せられるんだ」
 そういうとカティスは歯を見せて笑った。カティスはマルセルをよく褒める。ルヴァ以外の守護聖にもよく褒める。自分がいなくなったあと、残されるまだ幼い少年をよろしく頼むといっているのだ。
やはり同年代のものが回りにいないせいもあるだろう。ルヴァとマルセルの関係の始まりは、うまく馴染めずにいるマルセルを、度々カティスがここに連れてきたことだったように思える。初めて会った挨拶をしにきたときは、第一印象ではよくできる子だと思ったが、やはりあれは緊張していたせいだったのだろう。カティスがいなければあまり外にもでたがらないという。表情は、硬い。当然だ。ルヴァとてマルセルと比べたら十以上も俊が離れている。柔らかい話題を選んで話をしてみても、そう簡単に変わるものではなかった。だが、カティスは焦ることもなくしばらくマルセルの好きなように、そのままにしておいた。そのうちルヴァが教育係をかってでているゼフェルとの学習会にもときどき顔を出すようになり、そこで知り合ったランディとも今ではうまくやっているらしかった。確実に、聖地に新しい風が吹きつつあるのを、ルヴァは感じていた。 マルセルのことはよい少年だと思う。素直で物分りもよく、調和を大切にする。だからといって己の意思がないわけではない。これからもランディやゼフェルとも仲良く出来るだろう。あの反発しあう少年達を、マルセルはうまく繋いでくれるだろう。
輪が新しい軌道を描いていく。
ルヴァはカティスの話す子供達の様子を聞きながら、そんなイメージを感じた。
空の湯のみに腕を伸ばしながら、目の前でたわいもない話をして笑うカティスを見てルヴァは思う。聖地を去るというのはけして死にに行くようなものではない。だからといってここまで心穏やかにいられるものなのか?と。今まで築き上げてきた地位も関係も恵まれた環境も手放すのだ。下界と聖地は流れる時間の早さも違う。襲う孤独感。ルヴァは笑えなかった。今カティスの相手をしながら、口に出している言葉さえ震えてやしないか心配だった。その様子に「どうした」とカティスに聞かれ、もともと猫背気味な背中を、ルヴァはますます俯かせるのだった。
「……聖地を出たあとは、どうなさるのですか」
 それとなくルヴァが話を振ると、カティスは隠すこともなく言った。
「そうだな。あちこち旅をしながら商売でもしようかと思っている」
「旅、ですか」
「あぁ。今まで自分がサクリアを送ってきた宇宙だ。覗きにいったって罰は当たらないだろう。視察でもないし」
 大きく身振りを交えながら、カティスは続けた。
「惑星中を回るんだ。楽しいぞ、きっと」
 あぁ、カティスは人間が好きなのだ。カティスの豊かさはそういうところから生まれてくるのだ。緑の守護聖のサクリアのせいでもなく、象徴でもなく。それはカティス自身の、豊かさだ。カティスの人間を見る目は温かい。守護聖特有の傲慢さも諦観もそこにはなかった。圧力ではなく包むような、温かさ。それは下界にも、聖地にも、他の守護聖にも、ルヴァ自身にも、等しく注がれている。そんなことはないとカティスは笑うがそれでも、とルヴァは言うのだった。
「本当に、楽しそうですね」
 私も連れていって欲しい。そう上目遣いの、いやらしい目つきでみていたのだと思う。そんな視線に気づいただろうに黙って流し、ああそうだ、と今思い出したかのようにカティスは口を開いた。
「見送りは、ジュリアスとクラヴィスだけにしてもらったよ」
 愕然とする。声もでなかった。よく湯飲みを落とさなかったと思う。カティスのその言葉が、信じられなかった。
「な、なぜです」
 かろうじて、一言だけ、口に出来た。
 何故ジュリアスとクラヴィスはよくて、私はいけないのか。たしかにジュリアスは在任期間も最長で、神鳥宇宙の首座でもある。ジュリアスはわかる。クラヴィスとて古さだけなら同じようなものだ。クラヴィスもわかる。
では私は。震える唇のせいで言葉が続かない。
「年少の守護聖に泣かれたんじゃあ、後ろ髪ひかれるようでなぁ……。マルセルは絶対泣くだろうしな」
 違う。私の聞きたい言葉はそんなものではない。私の、聞きたいのは。
「それに」
 す、と向かい合っているルヴァの方に腕を伸ばし、カティスは指先で垂れ下がったターバンを揺らした。
「それにお前が来たんじゃあ、俺は……。俺はお前をさらってしまうよ」
 そればっかりは出来ないだろう、とカティスは苦笑した。だから、お前は呼ばない、と。
出来ることならさらって欲しかった。一緒に聖地を出ようと言って欲しかった。
それが出来ないことはカティスもルヴァも自分自身が一番よく分かっていることだった。気に入った女が侍女であったなら。ならば聖地を出るときに、連れて出ることも可能だったかもしれない。閉ざされた聖地である。女王と守護聖が男女関係にあったことなど、数えたらきりがないほどだ。だがどの時代の二人も、同時に聖地を出ることはなかった。お互いが同じ時期にサクリアが衰えるようなことは、今まで一度もなかったし、宇宙のバランスを見る上でも、ありえないといってよかった。一つでもサクリアが弱まれば宇宙の均衡は崩れるのに、女王と他の守護聖が同時になど、ありえない。
「お前が来たんじゃあ、どんな醜態を晒すかわからん。最後くらい、かっこうつけさせてくれよ」
 うっ、とこらえていた嗚咽が漏れる。カティスは頼むよ……とルヴァの前髪を少しだけかきあげた。
「それからな。もう一つだけ、お前に頼みがあるんだ」
 ルヴァ、と声をかけ、ルヴァがカティスの方を向くまで、カティスは待ってから言った。
「マルセルのことを頼みたいんだ」