大空と明星―1―
ハルルの街にて
これは一体どういうことだ。
綱吉はただただ瞠目した。目の前にあるのは見たこともないような大樹。桃色の花弁をいくつもつけ、ひらひらと舞い散らせるその様は美しく、そして壮大であった。
つい先ほどまで精気を失い、枯れ果て、死の一歩手前であったものとは、到底思えない。
綱吉はその美しさに目を奪われながら、力が抜けたように地面に座り込んでいる少女を見た。人々に囲まれ、賞賛されている少女。少し疲れた顔をしながら、なにが起こったかわからないような顔をしながら、それでもこの大樹の復活と人々の喜びに微笑んでいる少女。
エステ、リーゼ。
――――――森で出会った青年たちと共に森を抜け、彼らが向かっていると言うハルルの街という場所についていくことになった。ハルルと言う街に聞き覚えなどあるわけもなく、道中も、人の手が加えられず整備された様子のない街道にやはりここは自分の知っている世界ではないのだと再確認した。先程自分を襲った獣――魔物、というらしい―――もわんさかいて、なんて危険な場所だと思った。人々はこの魔物たちからどうやって身を守っているのだろうか。
疑問に思ったが口に出すことはなかった。彼らに聞いても良かったが、どうやら彼らは急いでいるらしかった。綱吉を気にかけながらも、どこか足取りが焦っていたからだ。
ハルルという街に辿り着いたのはすっかり日が暮れた頃だった。雑貨屋に行こうというカロルに、エステルはでも……と綱吉を見た。綱吉は構わないよとにこりと笑う。ここらで別れるのがちょうどいいとも思った綱吉は、もう一人で大丈夫だからと礼を言って立ち去ろうとした。けれどエステルはそれを良しとせず、記憶喪失の方を一人で行かせるなんてできません!と綱吉の手をつかんだ。綱吉は少しだけ圧倒され、やんわりとその手を外そうとする。しかし、
「俺らといてなんか都合悪いことでもあんの?」
と、至極普通に――綱吉から見れば警戒心バリバリの声色で――言われれば、そんなことはないよと言うしかなかった。
もしかしたら、とても面倒な奴らと関わってしまったのかもしれない。綱吉は心の中で思った。
綱吉は自分のことはいいからそちらの都合を優先させてくれと伝えると、彼らはまず雑貨屋に向かって、なにやら道具を手に入れていた。カロルが、これを作るためにクオイの森に行ったんだよ、とどこか自慢げに話すのに適当に相槌を打った。そしてエステルに手を引かれながら――ひとりでどこかへ行かないように!だそうだ。決して本意ではない――とても大きな木の元までやってきた。
大樹……いや、そんなものでは言い表せない。空に伸びるように高く、何者にも倒されないように太く、この地を守護するかのように深く、その樹は存在した。けれどその樹は今にも死に果てそうであった。大きいはずなのに、弱弱しく感じられる。
カロルが先程手に入れた道具を持ち、樹の近くまで走った。いつのまにか人が集まってきていた。どうやらこの街の住人らしい。不安と、そして期待に満ちた目でカロルを見つめている。
なるほどと綱吉は理解した。おそらく今カロルが手にしているものは薬かなにかなのだろう。この今にも死んでしまいそうな樹を治すために必要な特効薬。彼らはこの樹を再生させようとしているのだ。
けれどこんな大きな樹を再生させるのに、あれっぽっちの量で足りるのだろうか。そう思うと同時に、カロルが栓を開けて地面に液体を垂らす。一瞬の間の後、樹が輝き、人々の顔に笑顔が浮かんだかと思うと―――無残にもその光は消え去った。
一瞬にして、落胆のどよめきが起こる。
その周囲の反応に、少しだけ人々に同情しながら、当然のことだと綱吉は冷たく思う。
すでに死にゆこうとしているものが生き返るなど、あるはずがないのだ。ただ、死を待つだけ。周りがどれだけあがいたって叶うことはない。
もし。それでももし、瀕死の状態から生を取り戻すことがあるとすれば、それは―――。
ざ、と土を踏む音が聞こえた。見ればエステルが一歩、大樹に歩み寄っていた。悲しげに枯れた大樹を見上げ、そして、祈るように、胸の前で手を握った。
「……お願い」
咲いて。
その言葉が、すべてを生んだ。
光が舞い、溢れ、どんな穢れも癒すような優しいそれが大樹を包んだ。
そうして綱吉は、死にゆくものが生き返る様を、目の当たりにしたのだ――――――