ノースキャロライナ
廊下に出て仲の良い数人とだべっていたら、目の前をそ知らぬ顔で横切る重要人物がいた。シカトっすか、水谷は苛ついた。こっちが無視する立場なのであって、向こうに無視される筋合いは無い。適当に話を切り上げ、後ろ頭を追う。移動教室なのだろうか。
「おい」
階段へ一歩踏み出した状態で栄口は止まった。
「立ち止まるなよ、バーカ」
昨日ひどく突き放された相手に今更何を求めているのだろう。水谷の嗜虐心が強まる。また階段を降り始めた栄口をからかいたくて矢継ぎ早に質問を投げかけた。
「次の時間なに?」
「……生物」
「巣山は?」
「先行った」
栄口は決してこちらを向かなかったが、歩みを止め、至極事務的に問いかけへ答えてくれた。階段の中程に立つ栄口が何を思うのか水谷には推し量れない。
そういえば相手が身につけているカーキ色のパーカーは、以前二人で買い物へ出かけたときに自分が購入を勧めたものだったことを思い出す。あんな仕打ちにあったのだし、絶対オレなら着ていられない、きっと捨ててしまう。図太いのか、それともオレへのあてつけのつもりなのか。
喪服みたいだ。
深い理由もなくそんな感慨が水谷の心をかすめた。
「巣山じゃダメなんだ?」
「……何が」
「相手」
「何の」
「ホモの」
そう言った瞬間、階段の手すりを支える細い鉄柱のひとつを、前触れもなく栄口が強く蹴った。
重い衝撃音が辺りに響き渡り、そのつもりはなかったのに水谷の肩がびくりと震えた。鉄柱は共鳴し、上へ下へぐわわんと妙な音色を残すなか、栄口は中断していた動作をまた続けるかのように味気なく階段を下りて行った。
本気でびびってしまった。水谷はごくりと唾を飲み込み、さっきの栄口の行動を思い出した。何あれ、怖かった怖かった怖かった。物に当たるところなんて今まで見たことがなかった。けしかけたのは自分なのに、まさか栄口があんな暴力的な感情表現をするとは予想していなかった。自分のなかの栄口のイメージはいつも温和で優しい奴だったはずなのに、無神経に追い詰めたらさすがに怒ってしまったのだろうか。
栄口はもうここにはいない。未だ余韻の残る、金属同士が震える微かな音を打ち消し、女子生徒たちが横を通り過ぎて行く。取り残された水谷は踊り場に立ち尽くし、並び続く階段の縁をただ見つめていた。
ホモだからといって男なら誰でもいいというわけではないんだな、オレだって女なら誰でもいいわけじゃないし。そんな当たり前のことに水谷は気づく。
だったら栄口はこんなオレの一体どこを好きになったんだろう。あいつに見せたオレなんて全部嘘だ。本当はずるくて浅ましい、逃げてばかりの人間でしかない。