遠くの花火、近くの残響
「触ったりはしません!」
何を触るんだ何を。水谷の横にかわいい子でもいるんだろうか。それにしたってわざわざ栄口へ宣言する必要なんてないし、もしかしてそんなにも女の子を触りたいのだとしたら……。栄口はみるみるうちに冷静になってしまった。
「水谷、痴漢はやめろよ」
「ちかん!」
「犯罪だからな」
「犯罪……」
いちいち復唱する水谷が不思議でならない。
「栄口ごめん……」
「はぁ?」
謝られる理由などまったく見当たらなかったから、栄口は変な声を出してしまった。
「何言ってんの水谷?」
「いやあの、その」
「なんかあった? 具合悪い?」
「いや別になにも! 健康です!」
健康。その言葉の持つ漠然とした感じに声を出して笑ってしまう。
「あれ? 怒ってないの?」
おずおずと水谷が言う。栄口が怒るような原因など何もない。
「……気持ち悪くない?」
「別にどうってことないけど」
自分の体調を心配しているのだとしたら、炎天下で野球の練習していた栄口にとって、このぐらいの人ごみは苦しいけれど気分が悪くなるほどではない。
「そっ、そうなんだぁ」
水谷がどうして納得したのかはわからないが、とにかく安心したようだった。
そんな変なやりとりを終えると、前のほうで少しずつ列が進んでいるらしく、だんだんと窮屈さが緩和されてきた。しばらくすると後ろにいた水谷も隣で歩けるようになった。
並んでいる間にも花火は上がり、大きな音とともに前を行く人の頭を明るく染めた。皆の待つ公園が近づいてくると、水谷は何かぼそぼそと喋った。誰に聞かせるでもなく、多分独り言だったのだろう。
「オレ、もうちょっと期待してみよっかなぁ……」
偶然にもその言葉を聞き取ってしまった栄口だったが、水谷が何に期待し始めるのか知らないし、考えてみても探し当てられなかった。
結局皆と合流できたのは最後の大きな花火が打ち上げられたあとだった。水谷はガムテープが巻かれた妙なサンダルを勲章みたいに見せびらかし、げらげら笑っていた。
水谷はきっと忘れてしまうだろう。今年の夏にサンダルが壊れてガムテープで直したことも、来年の夏に新しいサンダルを買うことも、それで一緒に花火大会へ行くことも。だから栄口は覚えていようと思った。時々思い出して一人で笑おう、そう胸へしまい込んだ。
作品名:遠くの花火、近くの残響 作家名:さはら