【6/12サンプル】rivendicazione【臨帝♀】
思わず自分の考えに没頭しそうになったけれど、ちらりと見た紀田くんの表情がいつになく深刻そうだったため、一先ずその考えは脇に置いておくことにした。
初めて見る表情に思わずドキッとしてしまうが、紀田くんの次の発言に僕はずっこけそうになった。
「池袋で何か事件が起きたら、規模の大小は問わず、その裏には必ず奴がいると見て間違いない」
「え……情報屋が?」
それはもはや情報屋とは言わないのではなかろうか。だけど紀田くんは怖ろしく真面目な顔で頷く。
「イエス。情報屋が。あの人は他人の人生を引っかき回すのが好きなんだ。関わったら酷い目に遭うから帝人は絶対に近づくなよ、頼むから」
「……紀田くんは?」
紀田くんの切実な要求に頷くよりも先に、自然と口が動いていた。
「え?」
「紀田くんは、その人と何かあったの?」
京平さんが名前を出した時の反応や、僕に対する過剰な心配ぶりを見るに、何かあったとしか思えない。
すると紀田くんはばつが悪そうな顔をして頭を掻いた。
「あーまあ、あったっつうか何つうか……煮え湯を飲まされたとまではいかないけど、みたいな……とにかくだ! 普通に生活していればまず会わないと思うけど注意は怠るなよ!」
無理やり聞き出す気はなかったので、言いたくなさそうな紀田くんをそれ以上追及するのはやめて「はいはい」と適当に頷く。
「根城は新宿だし、ここずっと最近は何でか大人しいんだけど油断はするな。それと折原臨也の天敵の平和島静雄も危険人物だ。でかいし、キンパにバーテン服でちょー目立つから、見たらすぐに分かる。んで、認識したと同時に走り出せよ、危ないから。でもまあ遠くから見てる分なら全然大丈夫だ」
「え、何それ」
そう言ったのと、視界の端で自販機が宙を舞ったのは同時だった。
映画やドラマの撮影だろうか。それとも東京では自販機が空を飛ぶのは日常茶飯事なのだろうか。道行く人は大騒ぎすることなく普通に足を動かしている。なぜ驚かないのだろう。いや、中には驚いている者もいるのだけれど、僕ほどじゃない。
ぽかんと口を開けたまま振り返ったら、あれだと言って紀田くんは笑った。
「自販機だけじゃないぞ、標識やら電柱やら看板やら車、果ては人間まで空中を舞う」
ぎょっと目を見開くと、紀田くんは「帝人は運がいいな、池袋に来たその日のうちにアレが見れるなんて」とケタケタ笑いながら再び歩き出した。僕は慌てて付いて行くが、さっきの光景が目に焼き付いて離れない。ちらちらと後ろを振り返るが、残念なことにあれ以上何かが宙を舞うことはなかった。今度はもっと近くで見たいなあなんて考えていたら、さっきくらい距離を置かないと危ないからなと紀田くんに釘を刺されてしまう。
「紀田くん、お父さんみたい」
「おう。娘さんをくださいと言われたら俺はこう言おう。まずは俺と戦え、話はそれからだ!」
「僕の結婚に紀田くんの許可が必要なの?」
「仕方ない。手を繋ぐのは許す」
「そこからなんだ」
そんな馬鹿な話をしていたら、どこか遠くで馬がいなないた気がした。
すると突然紀田くんが小走りで駆け出すものだから、「えええっ」とひっくり返ったような声が僕の口から飛び出す。足を縺れさせながら僕も紀田くんを追いかけて走り出す。
「お前、本当についてるぞ! 池袋に来たその日のうちに都市伝説を拝めるなんて!」
大きな交差点の信号で紀田くんは立ち止まった。上には高速道路が走っていて、横断歩道の距離も長い。あっちだと紀田くんが指差した方向に目をやると、奥のほうから黒い影が音もなく迫ってきた。じっと目を凝らす。
あっと思った時には、特徴的なヘルメットを被った真っ黒な影とバイクが僕の目の前を横切った。
ほんの一瞬。
僕の目の前を通ったのはほんの一瞬だったのに、それ以上の時間の流れを僕は感じていた。
期待と喜びで胸がいっぱいになり、それまでの会話の内容がすべて頭の中から吹っ飛ぶ。
「首なしライダー……」
ナンバーもライトもなく、エンジン音すらしないという黒いバイクに乗ったその人物には首がないという。
池袋の都市伝説である首なしライダーが走り去った方角に目を向けたまま、これから僕の新しい現実が始まる予感に僕は打ち震えていた。
作品名:【6/12サンプル】rivendicazione【臨帝♀】 作家名:三嶋ユウ