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シャッフルロマンス

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 トランプ王国に、それはそれは賢い王子がおりました。彼の瞳は信念と探究心に碧く煌めき、どんな悪をも見逃しません。歴史の裏で暗躍を続ける、残忍で凶悪な謎の組織もまた、彼は追い続けておりました。
 ブリッジ王国の姫と結ばれる一年後の春までに、王子は全てを終わらせると決めておりました。
 しかし、謎の組織の闇は深く、トランプ王家の頭脳を以てしても、なかなかその実体を掴むことがなりません。王子は、いまだかつて出遭ったことのない大きな謎に、焦燥と情熱を感じておりました。彼の碧い瞳は高揚感にきらきらと輝き、その心はまるで歓喜に打ち震えているかのようでした。この歴史の闇を、何としてでも解き明かしたいと、ことさらに強く感じるのでした。
 王子に宿る信念の炎は、彼を強く突き動かすものでしたが、同時に彼の身体を蝕む諸刃の剣でありました。悪を滅ぼしたい、謎を究明したい、人々を守りたいという意志が強いあまりに、王子は自分の身を削ることを厭わない青年でありました。
 先のハート姫暗殺計画の際には、大方、森の中で盗賊に馬車を襲撃されたように見せかけるというのが組織の狙いだったのでしょう。スペイド王子にも同時に手を掛けてしまえば、帝国の陰謀がすぐに明るみに出てしまうであろうという懸念から、暗殺計画は失敗に終わりました。
 再び道中で襲撃を受けることを恐れて、ハート姫とスペイド王子の見合いは一旦取り止めになり、トランプとブリッジ間を王家の人間が行き来することは控えられました。しかし、肝心の問題だったハート姫の意思が決まったので、両国の婚姻成立についての計画は手紙でのやり取りで十分こと足りるものでした。隙を見せない両国に、帝国側は苦い思いをしておりました。
 しかし、王子が自ら単独で剣を向けるのならば、組織にとっては邪魔な存在を消すという、ただそれだけのことです。
 王子は、組織を追う中で、傷を負いました。彼の信念を嘲笑うかのような、醜い傷を負いました。それでも王子は、怯むことなく歴史の闇を追い続けました。自分がどうなろうとも、絶対に滅ぼしてみせるのだと。王子の煌めく瞳は前だけを見据え、心に宿る炎は、その命を削るかのように燃え盛るのでした。
 ああ、正義に燃える若き王子! それはそれは賢く、そして愚かな若き王子。
 前だけを見据えた青年は、その陰に幾つもの涙があることに、気付きもしなかったのです。



 ブリッジ王国に、とても心優しい姫がおりました。争いを嫌い、人を憎むことのない姫は、それだけ深く悲しむ娘でありました。
 想い人である隣国の王子と約束したとおり、姫は彼を待ち続けました。王子は、やらねばならないことを成し遂げるために、姫とは暫く逢っておりませんでした。しかし、王子が日に日に窶れていく様子を風の便りで聞いて、姫の心は翳っておりました。やるべきことに苦心しているとしても、自身以上に大事にしなければならないことなど、あるはずがないと姫は思うのでした。
 だから、細く冷たい風が吹く晩秋の夜に、姫は忍んで王子に逢いに行きました。
 すると、城壁沿いを歩いて森の方へ向かう仮面の男を見つけます。以前に姫を救ってくれた時の王子と同じ、黒衣を纏った騎士の格好をしていました。背格好や佇まいから、王子に間違いないと姫は駆け寄りました。
 騎士の格好をした王子は姫の姿を認めて、はっと息を呑みました。
「姫! どうしてここに……」
 姫は翳る瞳で王子を見上げました。
「王子……その格好で、どこに行かれるのですか」
 姫は王子の腕にそっと触れます。適度に筋力のついた腕が以前よりも痩せたように感じて、姫の胸はきりりと痛みました。
「あなたには、話せないことです」
 王子はふいと顔を背けてうつむきました。仮面越しで見えない彼の表情に、姫は唇を噛みました。
「それは……たとえ自分を傷つけても、成し遂げなければならないことなのですか」
「はい。絶対に」
 王子の言葉に、姫の大きな瞳から、ぽつりと涙が零れました。
「あなたが、背負わなければならないことなのですか」
「……僕が、やらなければいけない」
 空色の瞳から、ぽつりぽつりと、涙がころがっていきます。
「でも、私は、あなたが傷つくのは嫌なのです。あなたが自分の身を犠牲にしようとするのが、悲しくて仕方がないのです」
「姫……」
 王子は皮の手袋を脱いで、姫の頬につたう涙を、その指でそっと拭いました。白くやわらかな頬に掌を触れると、姫の小さな手が重なりました。
「できることなら。あなたの苦しみを、私に分けてほしいのです」
 姫は涙で赤くなった目を細めて、やさしく微笑みます。
「私に何もできないのなら、せめてあなたが悲しい時、つらい時、見守っていたいのです。私の我儘に過ぎないことでしょうが、それでも、心だけでもあなたの傍にいたい」
 姫は王子の頬にそっと手を伸ばします。
「王子。私の願いを叶えていただけるのなら……どうかその漆黒の仮面をお取りになって、素顔を私に」
 王子はうつむいて、躊躇いを見せました。
「……この仮面の下に、あなたに見せたくないものがあったとしても?」
 姫は王子をまっすぐに見つめて、頷きました。姫の瞳に、揺らぎはありませんでした。
「……それが、姫のお望みとあらば。醜き傷を負いしこの顔、月明かりの下に晒しましょう」
 王子は仮面に手をかけて、ゆっくりと脱ぎました。十年前の記憶の中にあった少年の面影を残しながらも、精悍な顔つきをした青年が、仮面の下から現れました。昔と変わらない知的な碧い瞳が姫を見つめます。
 姫は青年の額に、そっと手を触れました。彼の額に、斬りつけられたような細い傷跡がありました。青年の端正な顔立ちには似合わない、醜い傷跡でした。
 姫はまたひとつ、瞳から涙をぽつりと零しました。
「どうかあなたが、これ以上傷つきませんように」
 姫は王子の肩に手を置くと、つま先立ちで背伸びをして、王子の額の傷に口づけを落としました。
 王子は驚いて目を見開きましたが、澄んだ空色の瞳と数秒見つめ合うと、ふっと微笑みを浮かべてその目に浮かぶ涙を指で拭いました。そして姫の背に手を回すと、その細い肩口に額を乗せて瞼を閉じました。どこか甘えるような王子の仕草に、姫は微笑んで彼をやさしく抱き返しました。
 自分を犠牲にしても、と思っていた王子の心ごと、姫の腕はやさしく抱いておりました。この心優しい姫を、これ以上悲しませることがないように。あの闇を知らなくて済むように。王子は姫の背に回した腕の力を強めました。
 だから王子は、絶対に生きて帰って、彼女との約束を果たさねばならないと堅く誓ったのでした。

作品名:シャッフルロマンス 作家名:アキ