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さとがえり

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「さて、世間話はこれくらいにして本題に移ろうか」
今までのアレは世間話だったのかと、鵺野は脱力した。正直いつも使わない気を使いっぱなしで疲労の度合いは強い。だがこれさえ終われば解放されると気合いを入れ直す。
小袖姿の九尾が上座へ戻ると、先ほど脱ぎ捨てた着物を手に待機していた侍女たちが彼女の着座と共にその肩に掛け、無言でそれぞれの定位置へ去って行く。
「他でもないお前たちの事だ。報告も受けておるから、あらましは解っておる。だが改めて尋ねよう。お前たちはまこと、つがいになる心算か」
「これは異な事を承ります。とうにご理解、承諾いただけたものとばかり心得ておりましたが」
どこか時代がかった物言いの玉藻は、不敵な笑みを滲ませて九尾を見据える。
許しがあろうとなかろうと、我が道を貫くつもりなのは明白である。
「いや、わたしは良いのだ、別に構わぬ。しかしお前も苦手の年寄り達が、ちいとばかり煩(うるさ)い。『糧とするためにまぐわうのならばいざ知らず、つがいとなると……』などと渋い顔をするのだ」
九尾のいかにも嫌そうな表情に、鵺野は時代劇でよく見られる風な『じいや』がぞろりとならんでいるのを想像して、何となく納得する。
「それで、再び我等を御試しになるとでも?」
玉藻が問い返すと、九尾は懐から取りだした扇をぱちりぱちりと弄びながら言葉をつなぐ。
「―いいや。もうそなたたちを試すようなことはすまいよ。よしんば試したところで、いちゃつく様を見るだけであろうから面白くないでな」
鵺野や玉藻にしても、『試練の壷』の時はいちゃついてなぞいなかったのだが、第三者にはそう見えたらしい。九尾は大仰な溜息をつき、しみじみと呟いた。
「……わたしとしては、本当にどうでも良くてなあ。殊に鵺野どのには玉藻が世話にもなっておるし、幾分は私も迷惑を掛けた。大体、こうしてわざわざ連れ帰ったということは、玉藻にはそれなりの決心がついておる筈であるし、またそれに付き従って参った鵺野どのもしかり。質すまでもなかろうて」
ぱちんと閉じた扇子を見つめ、九尾は独り言に似た調子で続ける。
「……ほんに、鵺野どのが女子(おなご)であったならばまだ話は早かったものを。まあ、こればかりはいくら言うても詮なきことで―手っ取り早く玉藻の方が女子になって子を作るという手も、あるにはあるがな」
九尾の口から出た突飛なご意見に、鵺野は一瞬『女になった玉藻』を想像して石化する。
「おや、鵺野どのは玉藻が女になるのは嫌なのかえ?」
思わずしかめ面になった鵺野を九尾は目聡く見つけ、どこか楽しげに問うてくる。
「それとも、女を抱くより男に抱かれる方が良いのか?」
「い、いえ! そんな……」
まともに女性と付き合う事がないまま、玉藻と関係を持ったものだから、どちらがどうとか、好きの嫌いの、と言われても返答に困るだけだ。
鵺野の性向は、本来至極ノーマルなもの。相手が玉藻だからこそ成り立っている関係なのであって、例えば男なら誰でも良いというわけでは決してない。
「私が言うのもなんだが、女子(おなご)になった玉藻は大層な美形であるぞ? おまけに子も孕めるしな」
「…………さ、さいで」
玉藻よりも更に我が道を行く九尾は、鵺野の困惑に気づく様子もなく畳みかける。いや、気づいていて「わざと」やっている可能性が強い。ここぞとばかりに日頃の憂さを晴らしているといったところか。
「論より証拠。玉藻よ、ひとつ化けて見せい」
急に矛先を向けられたにもかかわらず、玉藻はあくまで落ち着いた様子で返答する。
「……ドクロで外観を固定させておりますから、『これ』が基本になりますが?」
「よいよい。早う見せてみよ」
ほれほれ〜と閉じた扇子を打ち振るって催促するので、玉藻は大仰なため息をついて立ち上がる。
「……久しぶりですので、こんなものですが」
「…へ?」
頭上から聞こえてくる声に妙な違和感を感じて鵺野が見上げてみると、玉藻はすでに変化を終えていた。
確かに隣で立ち上がって、軽く息を吐いたところまでは横目で、と言うか気配で確認している。呪文や派手なアクションはおろか、掛け声すらなく「変化(へんげ)」していた。芝居の早変わりなんか比較にならない素早さだ。
上背には大した変化はみられなかったが、全体的な―背中や肩、指先、特に顎から喉もとにかけての滑らかなラインの美しさに、鵺野は息を呑んだ。
肉体を変えたせいで少しずれたジャケットを、玉藻はごく自然な所作で体に合わせ直す。厚い胸板だったものは大きく膨らみ、シャツを柔らかく魅惑的に盛り上げている。
「おお、以前とはまた一味違う美しさであるなあ。見事見事」
九尾は若い娘のように手を叩いて、はしゃいだ声を上げた。
「以前」とは、玉藻が「南雲明彦」の遺体からとり出した髑髏を使う前の話らしいので、鵺野には比較のしようはない。いたく満足げな九尾の様子に、とりあえず「以前」も女になったときはこれ位美人だったのか、と想像するだけで精一杯だった。
「―もう、宜しいでしょう」
玉藻は音調の少し高くなった声でそう言いしな着座する。女の姿になったのと同じく、一呼吸のもとに男の姿へ戻っていた。鵺野はまばたきを繰り返して隣の男を見つめる。
今度はずっと座るまで見ていたのに、それでもあっという間の出来事だった。胸は真っ平らになり、喉仏も出てて、両膝にそろえる手の甲には力強い筋が浮き出て、全体的に輪郭が太くなっていた。
幻視の術だったのかもしれないという考えが、ちらと脳裏をかすめるが、しかし人間界ならいざ知らず、ここは妖狐の谷で尚かつ九尾の御前。目眩ましを使うまでもないし、その必要もない。むしろ非礼に当たるはず。ならばやはりちゃんと変化していたのだろう。だがあまりにも一瞬の出来事に、鵺野には目の当たりにしても信じられない気持ちの方が強かった。
「もう戻してしまうのか? つまらん……」
「生憎、つまらぬ性分ですから」
玉藻は澄ました顔で九尾を制する。
九尾は面白くなさそうな顔を見せていたが、ふと鵺野の方を見やり、口元を綻ばす。
「―いかがした、鵺野どの。ずいぶんと熱心に見つめて……顔が赤いようだが?」
「えっ!」
九尾は頬杖をつきニヤニヤ笑っている。
「どうだ。震い付きたくなるような美人であったろう?」
「は、はい、それはもう…とても―っていやいやいや!」
「隠さずとも良い。…惚れ直したか?」
「う……それは、その…まあ……」
九尾は、すっかり鵺野いじめが気に入ったらしく、次々と言葉を放っては焦る様子を楽しんでいる。鵺野がからかわれる度、むきになったり取り合ったりするからいけないのであるが集中砲火を受ける鵺野にとっては堪ったものではない。
「九尾さま、いい加減にからかうのはお止め下さい」
「お前こそ毎日からかったり苛めたり可愛がったりしておるくせに、何をいう」
見るに見かねた玉藻の抗議に、九尾は「知っておるのだぞ」と、余裕の微笑。
「私と九尾さまとでは自ずと立場が違います。―話がお済みでしたら、これで引き取らせていただきたく存じますが」
「まあまて。まだ肝心な話が残っておる」
作品名:さとがえり 作家名:さねかずら