さとがえり
2
まだ薄明るい朝。遠足の日並に早起きをして後部座席に荷物を積み込むと、軽食を詰めたトートバッグを手にした鵺野は助手席に陣取った。
この日のために玉藻はいつものスポーツカーではなく、一台のコンパクトカーをレンタルしてきた。コンパクトとは言っても十分に荷物を積めるし、玉藻や鵺野も余裕を持って乗れるサイズで勿論長距離を快適に走る点もクリアしている。
恋人を初めて実家に連れて行く、という話をしたら担当の若いセールスマンが「お土産とか色々荷物もございますでしょうから」と言ってこれを薦めてくれたのだと玉藻は笑いながら話して聞かせた。派手になりすぎない色合いの赤がとても印象的なもので、鵺野も一目見て気に入った。しげしげと眺め回し撫で回し、仕舞いには玉藻に出発を急かされるほどだった。
軽快に走る車の中で、取り留めもなく喋って過ごした。自然と車の話が多くなる。時々休憩を挟んでいるとはいえ、長時間にわたる運転で疲れはしないかと気にする鵺野だが、玉藻は割と平気みたいだった。そもそも公共交通機関でもよかったはずなのに、気がつけば自家用車での旅路となっていた。勿論、かろうじて普通免許は持っているものの、壊滅的なドライビングテクニックを持つ鵺野は運転手としての頭数には入らないので玉藻一人に任せっぱなしということになる。そしてオートマにすれば楽になるはずなのに、わざわざミッションを借りているあたり、結構運転が好きなのだろう。
そのうち喋るのにも疲れた鵺野は意味も無く地図を広げてみたり、流れる景色を眺めたり、また思い出したように時折話しかけたり、空腹でもないのにお菓子をつまんだりして過ごす。そして窓側に寄って頬杖つき、運転手をちらりと見やる。
『運転できる』という点だけでもすでに尊敬の対象だ。加えて端正な横顔の、ハンドルを握る、時々ギアを切り替える手つきのなんと様になっていることだろう。
(……いいなあ)
一つに結わえられた艶やかな髪、すっきりと整った眉、白すぎはしないが男性にしては肌理の整った肌、そして少し厚みのある唇。ぼさついた自分の短い黒髪を摘んでみて、その余りの違いに愕然とする。決して不細工ではないけれども、平凡な自分の容姿に、それらは時々コンプレックスを抱かせる。
(まあ、無い物ねだりってやつだよね)
「どうしたんですか、どこか路肩に止めましょうか?」
ぼんやりと眺めていたところ、玉藻が視線を前方に合わせたまま声を掛ける。
「いや、べつに…なんでも」
「先程からじっと見てたでしょう。なにか用を足したいとか?」
「ただ見てただけだよ。俺、運転下手だもん。…というか、お前の車は赤系ばかりなんだな。赤、好きなんだ?」
やっぱりお稲荷さんの鳥居とか綺麗な朱色だもんなあ、と鵺野が言うと、
「そうですね、そんなにこだわりはありませんが、最近はこの車のように深めの色合いも、貴方に似てて好きですよ」
「は?」
なぜそこで自分が出てくるのか訳が分からないといった風な鵺野に、笑みの混じった声音で玉藻は言う。
「知りませんでした? 赤い車を選ぶ理由」
鵺野の目の色が好きで、それに近い色の車を手元に置く、ということ。
普段は黒い鵺野の瞳が赤くなるときは限られている。左手の鬼を封印から解き放つ時と、もう一つは、恐らくは玉藻しか知らない、夜の時。
「っ…――っ!」
平然とする玉藻の隣で、鵺野は恥ずかしさに言葉と顔色を失って固まった。赤面する顔を見せまいと外の景色を眺めるが、相変わらず車窓の風景は淡々と流れていて変化に乏しい。しばらくは何か―ひょいと話題を変えられるような発見を求めて目をこらしていたが、諦めて溜め息とともにシートに身をゆだねる。
それにしても目的地はまだだろうか。
「もうすぐですよ」
玉藻はちらりともせずにそう告げる。あとほんの一呼吸のちに聞こうとしていた答えを先に言われて、鵺野は仕方なくそれを飲み込み、代わりにもう一つ、大きく深く息を吐いた。