さとがえり
15
確かに、今夜は鵺野だって多少は『そういうつもり』であった。
しかし改めて言われるとやはり恥ずかしい。しかも晴らし損ねた鬱憤のはけ口も兼ねているとなれば…玉藻のことだ、多分、いやきっとアブノーマルな行為に及ぶことは必須だろう。なにせここは妖狐の谷。根本的には人間の常識は通用しない。
この家の家長に当たる青柳は
「じゃあ、あとはお若い者同士で。僕は書庫に籠もっているから、ごゆっくり〜」
と、まるで見合いの席のようなセリフを残して暢気に引き上げていった。
改めて二人きりとなった座敷の、きれいに整えられた寝具の上で向かい合う。
期待と不安がない交ぜになって視線をうろつかせる鵺野の様子は、初夜の花嫁さながらで、玉藻にとってはなかなかに好ましいものだった。
「先生?……どうしました、もっと楽になさっては」
「う、うん…そうだけど…」
「大丈夫、こわいことはしませんよ」
前髪を掻き上げて、くちづけをひとつ。
思わず閉じてしまった、その目蓋にひとつ。
気障ったらしい仕草を間近に見上げていると、ふいに先ほどの姿絵を思い出して、鵺野はつい小さく笑ってしまった。近い距離のままの妖狐がそれを見逃すはずもなく、「何ですか」と幾分不機嫌に質(ただ)す。
「い、いや、別に」
そういいながらも、鵺野は抑えてもつい笑いがこみ上げて、不格好に頬を膨らませてしまう。あんなにも可愛い子が、こんなあちこち骨張った男になるとは…一体誰が予想しえただろうか。まあ、いくらかは図らずも素体となった『南雲明彦』のせいではあるが…。
笑みの理由を察し、苦笑しながら「本気で恥ずかしいんですよ、あれは」鵺野の衣服をはだけ、あちこちの肌に唇を滑らせながら玉藻はそんな言い訳めいたことを呟く。
「俺も、これ、そーとーに恥ずかしいんだが…?」
「でも鵺野先生…恥ずかしがっている時の貴方、すごく良いんです」
にっこりと、まるで天使のような顔つきで言う台詞では決してない。
それでも久しぶりに触れ合わせる肌は心地よく、知らず吐く息に艶が混じる。
「相変わらず、いい感度をしておいでだ」
まだ鵺野よりは余裕のある玉藻は、そういって鵺野をからかった。
「…からかうなよ、ばか」
それ以上のことは言うなとばかりに、鵺野からくちづけをする。玉藻はただ笑ってそれを受けいれた。
少しずつ、少しずつ。
肌が熱と湿り気を帯びて、興奮がわき起こる。
耳に届くのは、かすかに鳴く虫や障子をかすめる風の音、それから夜具の擦れる音。交わす口づけの、言葉にならず濡れた、鼻にかかる吐息。
敏感になるのは、皮膚の感覚だけではない。
鵺野に限った話ではないのだろうが、性的に高まると霊力も共に上がってくる。《みえるもの》には、立ち昇る霊気が黄金色を帯びているのが分かるだろう。
そして鵺野も自分で分かるほどいつもとの違いは顕著だ。周囲の…同じ屋敷内にいる青柳はもとより、遠く離れているはずの九尾の屋敷に集う妖狐たちの気配までもが、濃密に近くに感じられる。
まるで、すぐ側に居るみたいで。この姿を見られているかのようで。
「……やっぱ、ちょっとタンマ……恥ずかしい」
場所が違うからだろうか、あまりにも近くに彼らの気配を感じて、まるで襖一枚隔てた向こう側から見られているようで、いつものように目の前の行為に今一つ没頭できていない。
「ああ、感度が上がったので周りがよく見えるようになったんですね」
「おま、その言い方やめれ」
「大丈夫ですよ」
「…何が」
「大丈夫。命をかけてあなたを襲う度胸もなく、私に楯突く気概もなく、ただ見るだけしかできない者達です。ここであり得ないはずの、決してあろうはずもない異質な人間の、焦がれそうなほど強い、さながら真夏の日輪のような陽の気を。陰のけものであるわれらにとって、それは見て見ぬふりなど出来はしないこと―だから。だから、見ることくらい…許してあげましょう」
美しい低音でつむがれるよどみのない口上に、うっかり聞き流してしまうところだったが「見ることくらい」という単語に官能に支配されかけた意識が反応する。
「―み、み、見られて、いる?」
「はい?」
「見られているのか? いま、この状況が?」
「ええ、それはもうしっかりと一挙手一投足」
いっきょしゅいっとうそくを、みている……
……ってことは。
「ぎゃああぁ!! 何やってんだよ馬鹿狐!!」
鵺野は両腕に渾身の力を込めて玉藻を突き飛ばす。
「見られている方が、貴方、何倍も燃えるでしょう」
「燃えるでしょう、じゃねーよ!」
「私にばかり、あんな恥ずかしい思いをさせるなんて、すこし不公平ではありませんか」
「俺なんかいつも恥ずかしい目にあっとるわ主にお前のせいで! お前の恥ずかしいのなんて、……ちょっと格好いいからって、不公平だー!」
見られていると判った上で、なおも行為に及ぼうとしている玉藻の神経が理解できず、鵺野は叫ぶ。
「じゃあ、あれは我慢しますから」
「ぎゃ」
「今は、我慢しません」
…後はただ、奈落のような享楽に突き落とされて何も分からなくされ、終いには見られている事を忘れ、鵺野は艶めいた叫びをあげた。