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さとがえり

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「お早う御座います、鵺野先生。良い天気ですよ?」
「……あー…、……うん…」
昨夜と比べ、異様に元気溌剌な玉藻に対して、鵺野は鬱々した空気を漂わせていた。
「どうしたんですか、元気ないですね?」
「どーしたもこーしたも…お前はもうちょっとこう、…加減ってもんをだな…」
昨晩は玉藻のテンションがおかしな方向へ走って―まあ久し振りに地元へ戻ってみたら色々と弄られっぱなしなので仕方がないとは思うものの、そのしわ寄せが一気に鵺野へやって来た。
男同士でいまさらノーマルだのアブノーマルだのというのは可笑しいかも知れないが、それでも鵺野はごく普通の交渉でいいと思っているのに。
それなのに九尾がことのほか目を掛けている天狐とその彼に選ばれた嫁(?)との睦み合いということで妖狐たちが興味津々ので妖狐たちから覗かれていたのだ。お陰で羞恥心は桁外れで、そのぶん燃えてしまって少々自己嫌悪ぎみであった。
「すみません、確かに加減を考えないで無理をさせましたね。でも、お蔭様で全快しました」
鵺野の苦悩を知ってか知らずか、玉藻はいくぶん的外れな礼をよこす。
というか、ギャラリーの存在についてはまるで言及しない。ああいうのがこの地では何も特別なことではないのだろうかと、鵺野は別の意味で気が滅入りそうだ。
「起きられますか? なんでしたら、膳をこちらに用意させますが」
「…いや、いい」
いくら周知の事実とはいえ、やられすぎてご飯食べに来ることもできないだなんて外聞が悪すぎる。それに、食べればこのどんよりとした気分も晴れるだろう。そう考えを切り換えて鵺野は起きあがった。



「お早う御座います、玉藻さま、鵺野先生。…まだ寝てらしても宜しかったのに」

少し心配そうな顔で、石蕗丸は「大事ありませんか」と鵺野を見てそう問うた。実年齢は上とはいえ、見た目が教え子達と近い若狐からそういった含みのある気づかいを受けるというのはその原因が原因だけに、とても居心地が悪い。気まずいどころのレベルではない。
「や、大丈夫。ほら! もう、このとーり」
無駄に元気をアピールしてみると「それは宜しゅうございました」と安心した表情で若狐は微笑んだ。続けて何か言葉を継ぐ様子だったが、台所の方からかすかに彼を呼ぶ声が聞こえ、「申し訳ありません、また後ほど」と会釈して足早に去って行った。その背中を追って首を巡らすと、食欲をそそる良い香りが鵺野の鼻腔をくすぐる。
「あー…いいにおい。炊き込みご飯かなぁ…」
すれ違いに給仕に来ている臙脂色の小袖にフリルのエプロンという出で立ちの岩見と目が合った、と思った時には彼女はふいっと顔を伏せ、軽く会釈するのみで足早に鵺野の傍らをすり抜けて行く。
やはり夕べのアレのせいか…。鵺野は指先で頬を掻きながら思った。夜の営みというにはいささか激しいあれやこれやを知られているという事実は心底恥ずかしかったが、妖狐である玉藻をそういう対象に選んだという結果であるから仕方がない。
まあ、これで確実に玉藻のファンは減ったかなと申し訳ない気持ちもあるが、正直ザマーミロとか、思わなくもない。

「やあ、鵺野先生。おはよう」
今朝も新聞なぞを広げていた青柳は、まずはそろって居間に現れた『噂の人』鵺野に対してそう言った。
「お早う御座います。…今日は良い天気ですね」
なんとなく黙っていられなくて、鵺野は先ほどの玉藻の台詞をそっくり流用する。
「予報では、夕方には少し雨がぱらつくらしいけれど」
そんな挨拶を交わしながら卓に着き、鵺野は並べられた献立に目を走らせる。
「今日の献立は夏バテにも効きそうだね」
青柳が言うその献立は、水菜やベビーリーフと白きくらげにプチトマトとミモザのように卵を散らしたサラダ。小鉢はゴーヤーの白和え。厚焼き卵の傍らにはモロヘイヤのお浸しが添えられている。鰺の塩焼きは化粧塩された小振りのものが一尾乗っていて、いい雰囲気の朝食風景だ。
「あ、卵焼きはその皿以外は甘くないんだってよ」
鵺野の目前の皿を示して青柳は付け加える。「そうなんですか」と言いながら他を見渡せば確かに目印のケチャップが添えられているのは一つだけ。隣で玉藻は済ましているが、わざわざ料理人に伝えてくれたのだろう。その心遣いに鵺野は嬉しくなった。
そして予想通りにご飯は五目の炊き込みご飯で、椀は若布と麩の吸物だった。


庭先では蝉が鳴き、少しずつ日差しが強くなってくる中、3人で卓を囲み、石蕗丸と岩見は甲斐甲斐しく彼らの給仕をする。
夏の朝と言えば暑さに負けて、場合によれば軽い食事すらしないことが鵺野の常であったが、建物を吹き抜ける風は涼しく心地よく、もちろん味の方も言うことなしで箸が進んだ。
目の前の皿を順調に制覇しながら、昨日よりもリラックスしていることに、鵺野は気づく。妖狐の里は確かに人間の身では大変危険な場所ではあるが、人の暮らす街中と違って雑霊や悪霊の類に気を張ることがない分、昨夜の一件をなかった事にしてもいいくらいとても気楽に過ごせる。
(こんなのんびりしていられるのなら、何回来てもいいかもな)
そんな他愛もないことを考え、また軽いお喋りに興じつつ何回目かのおかわりをした。

「今日はどうします? この辺りはさほど見るところはありませんけど、散歩がてら案内しますよ」
「そうだなあ…昨日は途中で呼び出し喰らっちまったからなあ」
ここにはコンビニもパチンコ屋も本屋もないが、ぶらぶらと知らない場所を見て回るのも面白そうだ。都会暮らしには目新しい田舎道をそぞろ歩いてみるのも一興。
「今日は特別に暑くなるようだから、蜷川さんのところで川遊びでもしておいで。昼は素麺を用意して待っているからね」
青柳は前半を玉藻に、後半は鵺野に向かって話しかける。「そうします」と頷く横で鵺野は『蜷川さん』とは誰なんだろうと思ったが、まあ殊更聞くほどでもないかと適当に相槌を打った。九尾への挨拶も済み、目的のほとんどは果たしてしまって随分と気が楽になったし、なにより暇である。
朝食を終えると二人つれだって外へ出た。二人ともタンクトップに半袖の柄シャツをはおり、膝丈のダボパンツ。素足にゴムのサンダルという正しくルーズな「休日のくつろぎスタイル」。鵺野は元々の童顔がより強調されて「少年のようで可愛い」とか青柳に言われ「神様は不公平だ」といじける。
「自分より年下の者にはだいたい可愛いと言ってしまうものですから気にしないで」と玉藻は慰めるが、だいたい同じ形の服なのに何故だか雑誌モデルばりにスタイリッシュな空気をまとう玉藻に「お前が言うか!」と指差してしまうのは仕様のないことで。
結局、玉藻のヘアスタイルを「かわいい」ポニーテールにすることで鵺野の機嫌はようやく直り、出かけることになった。



「蜷川さん、っていうから、てっきり人のことかと…」
川に到着して、「蜷川さんちって、ここらへんなの?」と訊ねた鵺野に、玉藻は「『ここ』ですよ」と川面を指さしたのだった。
作品名:さとがえり 作家名:さねかずら