Da Capo Ⅰ
「え!?本当!?じゃぁ、是にするわ!」
すみませーん、と手を上げながら先輩はレジへ走っていった。
ふぅ、と大きく溜息をついて俺は今日がやっと終わった様な気がして、疲れがどっと押し寄せてくる。
昼飯は最近出来たサンドイッチ屋でテイクアウト。珈琲付きで、今日のお礼に、と先輩からのおごりだった。ごちになります。
隣を見ると、満足げな顔で先輩は街を歩いている。手には確り握られた袋。中身は当然先程買ったものだ。プレゼント用に綺麗に包装されたものだった。
この包装にも実は時間が掛かった。この店は、包装紙、リボン、プレゼントを入れる袋まで確り選べた。
そこで躓いたのだ。俺は、最初遠くで眺めていたが、先輩の挙動が段々「可笑しく」なっていき。最後には、つーちーうーらー!!、と悲痛な叫び声が店内に響いた。今思い出すだけでも恥ずかしい。
これに関してはあれこれアドバイスして、三十分ほどかかりやっと完成した。千円ちょっとのものに是だけ時間を取られたら、店側からすればさぞ営業妨害だろうな。
「今日は気持ちいーからさ、外で食べようよ!」
先輩の提案で公園で、男が二人並んでベンチで食べる事になった。男二人が。天気の良い休日に。同じ店のサンドイッチと珈琲を食する。
一体外からどう見えるんだろうか。ぶるりと悪寒を感じたので考えるのをやめた。きっとろくなものに見えないだろう。
「つーちーうーらー、食べないのー?スッゲうまいよ、これ」
「あ、はい、食います」
俺の心露知らず。先輩はマイペースだ、相変らず。
(羨ましい、こう言う天然な人…)
他の人に嫌味も与えないこの自然さ。正に天然だ、と。
「つーちーうーらー」
「あ、はいっ」
「そのハムとこっちのチキンの交換しない?」
「え?は、いいですよ」
「わーありがとうー」
嬉しそうに交換して、美味しそうに食べる先輩。
先輩の美味しそうに食べる表情を見ていると、とても腹が減った。ぱくりと食べてみる。
(あ、旨いわ、これ)
多少値段は張る為そんなに買わないだろうが、旨い。
(あいつに教えてやるか…)
食べ物に関しては向こうの方が強い興味を抱きそうだ。この前も下校中に喫茶店に入っていた。
バイオリンケース。初めの頃は構えるのさえ怪しい雰囲気だったが、様になってきている。普通科とは不釣り合いだった格好も見慣れてきた奴らも多いと思う。
(一心同体、って事か)
流石に俺は持ち歩く訳には行かないけれど…。
硝子越しの同級生の何時もの三人組でのワンショット。甘いものを食べながら楽しそうに何かを話していた。間に入りたいとか、そう言うのはなかったが、見ていて胸の中に広がる何かがあった。
「ねー土浦ー食べないのー?」
「え?あっ」
強く握っていた訳じゃないが、サンドイッチの中身がはみ出そうになっている。
「あ、た、食べます食べます」
慌てて口に入れる。
「そんなに急がなくても逃げないってー」
あははは、と火原先輩は笑っていた。別の人間がやったら嫌味の一つでも言ってやるんだが、先輩には何もいえない。本当に、
(敵わないな…)
この人は人を幸せにしてしまう何かを持っていそうで、面白いと言うより不思議な存在だ。
昼食後、俺達は静かに空を眺めていた。三大欲求の内の一つを満たせた事が心に余裕を持たせたのかもしれない。時間を刻む空を見上げながら先輩は一言発した。
「あぁ、持って来れば良かったなぁ、トランペット!」
凄く残念そうな声だった。確かにこの空の下演奏したら、多分何時も以上に上手く弾ける気がする。俺の場合は持出す事も持ち歩く事も出来ないが…。
(あ、でも…)
シンセなら持ち歩けるか。でも、シンセは緩急を付けづらい。同じ音になって感情も同じに聞こえる時がある。自分の中にある思いと音がイコールになりづらい。
(でも出来るヤツは出来るしな…)
今度少し挑戦してみようか、と思っていた時に先輩が俺の顔を勢い良く覗き込んできた。
「な、なんすか先輩…」
じーっと見つめて、にこり笑う。
「土浦も、同じ事考えてただろうなー、とか思って」
「えっ!?」
すくっと立ち上がって伸びをする先輩。完全に見破られていた。情けない…。恥ずかしくなって俺は顔を片手で抑える。
「あー、でも土浦はピアノだもんなぁ…流石に持出せないか…。あ!でもシンセとかそれだったら持出せるな。ねーつちうら!今度さ、誰かからシンセ借りてさ。一緒にセッションしてみよう!」
絶対楽しいぜ、とウインクしながら俺に提案してきた。
空を見上げて思う。これほどに高く、広く、何でも受け止める空の下で。音楽を奏でられたら、もっと素直に弾けるかもしれない。
屋根があるところが嫌だとか、そう言う事じゃなくて。純粋に、この空の下で弾いてみたい、そう思った。
「はい」
立ち上がって俺は先輩に二つ返事をした。
雲は流れて、空の色は変わり。これから街は、その風景を夕方、そして夜へと色を変えていく。変わらない時間の中で、音楽に包まれる幸せを、俺は感じていた。
翌日の昼休み。廊下を歩いていると、ぱたぱたと廊下を走る女生徒が目に飛び込んできた。
「どうした日野?」
顔を真赤にして恥ずかしそうにしている日野を見かけた。あ、と声を上げ足を止めて俺の方を向く。
「廊下は走っちゃいけないんだろう?」
くすくすと笑いながら俺は距離を縮めて話しかけた。
(小さい…)
視線を下に降ろす。俺から見た日野の定位置。
「なんか合ったのか?顔真赤だぞ」
「う…」
頬に両手を合わせて温度を確かめるかのような仕草をする。ふと、日野の腕に見た事がある紙袋が掛かっていた。
少し胸の奥に、ずきんと痛みが走る。お互い何も喋らない時間が過ぎる。こんな時間は、あまり好きじゃない。
空間を替えよと口を開けた瞬間に、日野の方から音を発してきた。
「あ、あのね…さっき廊下でね。ひ、火原先輩に…ね」
これを…、と紙袋を俺に見せる。
「これを、渡されたの」
「へぇ、プレゼント?良かったジャン」
平静を装って、胸の奥にあるものを必死に引っ込めようと俺は努力する。
「そ、そんなこと!…うぅぅ…」
否定しながら俯き、日野は困り果てた表情を浮かべていた。
(…相変らずだな、たく…)
こんな表情。多分俺だけに、だなんてそうは思わない。日野は誰にでも同じように対応し、誰に対しても明るく春風のようだ。
「貰って困るのか?」
「そ、そんな事ないけれど!でも…」
「でも?」
日野は顔を更に紅く染めて次の言葉を必死に搾り出して俺に伝えてきた。
「だって火原先輩、「日野ちゃん、これプレゼントだから何も言わないで貰って!お願いだから貰って受け取って!」って…大声で言うんだもん…」
「…らしいな、ほんと、先輩らしいや…」
「だって、私の誕生日なんてとっくに過ぎてるし、貰う理由ないですよ、と言ったら」
「貰って欲しいんだ!日野ちゃん!!」ってぐっ、て手を握られて…」
「押し付けられたと…」
「…押し付けられたと言うよりも…何だろう、ぐってされて」
「何だそれ…」