Over the Rainbow -虹の彼方へ-
ドラコは「はぁ……」と、ため息をつく。
目に付いた石を蹴ると、それは勢いもなく転がり、ぬかるんだ水溜りにポチャンと落ちる。
立ち止まり、それをぼんやりと眺めた。
(あの頃の自分と、ちっとも変ってないじゃないか)
情けなさに唇を噛んだ。
目の前に広がる波紋を見詰め、やりきれない気持ちになる。
(ハリーに言われた一言で、こんなにも、心が揺さぶられるなんて……
いい大人なのに。
あれからもう何年、いっしょに付き合っていると思うんだ?
それなのにうまく感情のコントロールが出来ないなんて……)
相手のちょっとした態度に、石を投げ入れた水溜りのように、自分の心が揺らいでしまう。
じっと立ち尽くしていると、ふいに雨が止んだ。
自分の肩や髪を濡らしていた滴が落ちてこない。
目の前の生垣の緑は相変わらず雨に濡れているというのに。
ドラコは俯いたまま顔を上げようとはせず、そのまま立ち続けていると、雨音は少し激しくなってきた。
まるで、緩いシャワーのようだ。
霧のように舞い立つ雨の中、視界がぼやけてくる。
石畳みの上を雨水が、低い場所へと幾筋も流れていくのを眺めたまま、それでも、ドラコはその場から動こうとはせず、じっと立ち続けていた。
10分か、それ以上たった頃、やっと口を開き、ポツリと告げる。
「いつまでそうやって、僕の後ろで傘を差したまま、立ち続けているつもりなんだ?」
「君がここから動くまで」
「ずっと動かなかったら、どうするんだ?」
「いっしょに動かない」
「じゃあ、僕が動いたらどうするんだ?」
「いっしょに付いて歩くよ。君が濡れるから」
「もう濡れているから、傘があってもなくても同じだ」
「でもあまり長い間、濡れたままにしておくと、風邪を引くかもしれないから」
それだけ告げると、あとは何も言わなくなる。
(帰ろう)とも言わずに、ただじっと静かにハリーは、ドラコの後ろで傘を差して、佇んでいるだけだ。
いつもそういう風に、ハリーはドラコの考えを尊重し、優先してくれた。
そんな相手など、ハリー以外誰もいない。
自分には彼以外、誰もいなかった。
(別れて泣くのは、きっと自分のほうだ……)
ドラコは唇を噛み、じっと立ち尽くす。
視界がぼやけて、からだが揺れ動いた。
ドラコの肩が不安定に震えているのに気付き、ハリーはそっとその肩を抱いた。
「―――ドラコ、大丈夫?」
穏やかな声で語りかける。
「……ハリー……」
微かにドラコの唇が動いた。
「なに?」
雨と同じように、濡れたままの瞳で、相手を見上げる。
「何も見えない……」
とドラコが呟く。
「何も見えないんだ……」
不安そうに囁いた。
「当たり前だよ、そんなにレンズに雨粒をつけて。視界が滲んで曇って、何も見えないのも、しょうがないよ」
少し笑って、ドラコのかけている眼鏡を外した。
「これでどう?」
ドラコの近くに、ハリーの顔があった。
黒くて癖の強い髪が濡れて少し長く伸び、緑の瞳は深い海のような色だ。
その瞳に映っているのは自分だけだ。
ドラコにはそれが、とても不思議な感じがした。
(もしかしたら、今ハリーの側に立っているのは、自分じゃなかったかもれしない)
と思った。
彼の緑の瞳に映っているのは、本当は別の誰かだったかもしれない。
あのときハリーが怪我をしなかったら、自分たちはまだ、お互いにいがみ合っていたかもしれないし、もしかしたら、卒業したあと、二度と会うこともなかったかもしれなかった。
別々の道を歩く選択肢のほうが多かったはずなのに、たったひとつの偶然から、今こうしてふたりはいっしょに立っている。
──やはり、ドラコはとても不思議な感じがした。
ハリーがいなかったら、僕は今どんな生活をしていたのだろうか?
親の言いつけを守って、真面目な公務員になっていたのか、それとも、家柄のいい誰かと結婚して、家庭を持っていたかもしれない。
それとも、恋人がマグル出身者で親に反対されて、ふたりして駆け落ちとかしたりして……。
まるで安っぽい映画みたいなことを考えて、全部がありえなくて、笑った。
やはり、ハリーと生活している自分の姿以外、思いつかない。
ほかの誰かと暮らしているなんて、考えることができなかった。
ハリーがドラコの生活のすべてだった。
自分はそう思えるけど、相手はどうなんだろう?
ハリーは別の人と歩んでいる人生とか、考えたことがあるのだろうか?
―――もしかして、と思いながら。
なんだか胸の奥が痛かった。
締め付けられるみたいだ。
君は誰でもよかったんじゃないのか?
僕じゃなくても、誰でも本当はよかったんじゃないのか、ハリー?
それを今、後悔していんじゃないのか?
じっと自分を見詰め続けるドラコに、ハリーはふっと笑みを浮かべる。
「……ねえ、眼鏡をかけるのは、やっぱりよそうよ」
ドラコにもたれかかり、襟足のあたりに顔を寄せて、くぐもった声でハリーが囁いた。
「やっぱり、そんなに似合わないのか?」
ちょっと落ち込むドラコを見て、慌ててそれを否定する。
「ちがうよ。僕が言ったのは、そういう意味じゃないんだ」
「じゃあ、どうして?」
「―――本当のことを言うと……、恥ずかしかったんだ」
ポツリとハリーが言った。
「恥ずかしい?」
「だって、眼鏡をかけた君を見たら、別の顔に見えてきて、見慣れなくて、恥ずかしくなって―――、それで……」
ハリーの顔が真っ赤になる。
「恥ずかしいって……、僕たちは何年越しの付き合いだと思っているんだ。しかも、今はいっしょに暮らしているんだぞ」
「だって恥ずかしくなったんだから、仕方ないだろ」
益々ハリーの顔が赤くなっていく。
ドラコはそんな真っ赤なハリーの顔を見詰めて、自分のほほも熱くなっていくのを感じた。
チラッと顔を上げたハリーが、ドラコを見てまた顔を伏せる。
「君の顔、真っ赤だよ、ドラコ。どうしたの、熱でもあるの?」
「お前だって、真っ赤じゃないか。そんな顔をするから僕も釣られて……」
真っ赤な顔をつき合わせて、互いに焦った顔をする。
こんなとき、どんな顔をしていいのか分からない。
ハリーといると、時々こういう感情が浮かんできて、ドラコはどうすればいいのか迷ってしまう。
作品名:Over the Rainbow -虹の彼方へ- 作家名:sabure