そは、やはらかにながれゆくもの
そう長い付合いでなくとも、共に命を張って立つ戦場では人となりを知るのに時間は要らない。だからフラガがいつでも必ず戻る事を強く誓って戦場に立っている事を知っている。出来れば、自分もそうでありたいと願うようになった。恐らく、戦場に立つ誰もが自分はまた帰るべき場所に帰るのだと信じている。
キラは違う、と思った。戦場を駆ける姿は恐ろしいほど強く、儚い。潔さを併せ持つその姿は、帰る事がなくても良いと言っているように見えた。自分以外の何もかもを護ろうとして、その為にいくら傷付こうとも厭わないと言う危うさ。だからこそ、惹き付けるのかも知れない。
「…おまえさ。」
繋いだ手のひらを、引き寄せる。
「終るまでは、後ろにいてやるから。」
帰ってきて欲しいと願うのは自分。帰りたいと願うのも自分。
キラが時折こうして飛ぶことのない機体の前に立っている事に気付いたのは、いつだっただろう。ただ、それを見上げる背中に気付いたのはいつだっただろう。
自分が望みながら、持つ事のないものを持つ小さな背中。
それを支えて行こうと思ったのはいつだっただろう。
「…キラ」
囁くようにその名を呼べば、微かに、けれど大きく揺れた瞳は緩やかに笑みを浮かべる。
「…約束、して貰ってもいいですか。」
ほんの少しの沈黙のあと、キラはそう言った。
「終るまで、ここにいて下さい。」
酷く抽象的な約束。
いつ終りを迎えるか分からない戦場で、約束はあまり意味を成さない。それでも敢えて、キラはそれを口にした。
縋るもの。願うもの。
それを持たなかったキラにとっては、唯一の。
「…約束、するよ。」
こつりと額をぶつけてそう返事をしたら、キラは綺麗に微笑った。
忙しない格納庫の中、そこだけ切り取られたような世界で、まるで神聖な儀式のように。
その感情を、なんと呼ぶのかは知らなかった。
ただ、だから護りたいと、強く願った。
一度目を開けた筈の少年は、再びまどろみの中に沈んでしまった。軽く溜息を吐いて、額に掛かった柔らかな髪を避けると、指先を滑らかな頬に滑らせる。
戦争は終った。そうして、自分達は生きている。沢山の犠牲を払って、護れなかった命の上に立っている。その事実を、ここで眠り続けるキラはどう受け止めるのだろう。
「…約束、まだ続行中だよな。」
それぞれの中で、戦争はまだ終っていない。終りにするには、あまりにも。
青褪めた寝顔から引き剥がした視線を向けた先には、眩しい程の青い空があった。
大急ぎで修理して貰いましたの、とその屋敷の主である少女は微笑んだ。開かれた門から玄関へと続く石畳こそ整えられていたものの、庭は荒れ放題、壁には幾つもの銃痕が残っている。まるで強盗にでも遭ったようだ、と絶句しているとその理由を知っているのか、隣りに立った黒髪の同僚は苦笑を零した。
「取り敢えずお部屋はありますもの、どうぞゆっくりなさって下さいな。」
桃色の髪を揺らして踵を返した少女の跡をゆっくりとついていく。
「…なあ。」
小さく隣りの同僚に何があったんだここ、と訊ねると、困ったような溜息を零した。
「…まあ、彼女が追われていた時に軍が踏み込んだらしいな。俺もその後しか分からないから…」
廃墟同然と言うほど荒らされていたのだから、ここまでこの短期間で修復しただけでも大したものだと続けて。
その屋敷に暫く世話になる事になったのは、自分達の立場ゆえ、だった。彼女も含めて、第三勢力と呼ばれた三隻の艦に属した人間は、現在非常に微妙な立場に置かれていた。
世界を二分してしまった戦争の中で、勢力と呼ぶには些か頼りない集団は、それでも最後までどちらにもつかずに双方と戦った。結果として戦争は終り、残された者達は傷付いた世界の修復を始めた。始めたはいいけれど、それぞれの代表者達は力を持ち過ぎた自分達の扱いを持て余していた。はっきりとは言われなくても、見ていればその位の事は分かる。
冷静に見て、どちらにも付かなかった自分達が武器を取り、結果としてそれが正しかったのだと認められても、世界の秩序に照らし合わせればただの犯罪者に近い。当然裁かれるべき立場だったけれど、実質的に戦争を終結に導いた、ともすれば英雄だと担がれる存在を簡単に断罪することも出来ない、と判断した権力者達はひとまず処分を保留にした。混乱した世界がある程度落ち着きを取り戻すまで、とりあえず目の届く範囲でまとめて監視する事にしたのだ。
その結果、かつて廃墟と化したクライン邸を修復し、主立った人間がひとまず共同生活する事になった。主立った人間とは言うものの、ここには基本的にコーディネイターしかいない。早々と主権を回復させたオーブ連合首長国に大人たちは移り、地球では危険度が高い為に残らざるをえなかった自分達だけ。
広い屋敷にはかつてクライン邸で働いていた使用人達も戻っている為、不便なわけではないのだが。
「なんかさ…落ち着かなくねぇ?」
呆れるほど広く取られたエントランスホールを見上げて呟くと、アスランはただ苦笑するだけだった。
窓の外は緩やかに晴れている。遠く見える水に光が反射して、とても綺麗だ、と思った。
真っ白な部屋で目を覚ました。暫く自分が何処にいるのか理解出来なかった。そこがプラントにある病院で、最後の戦闘が終ってから既に一週間程が経過している事と、戦争が終った事を看護士が教えてくれた。
健康診断を兼ねた検査が終って、それから三日後にはこの屋敷に移った。
迎えに来てくれたのは、いつだったか約束を交わした人。終るまでいてくれる、と言う約束で。
「…もう、終ったんじゃないんですか?」
来てくれた事が不思議でそう尋ねたら、ディアッカは苦笑した。
「…終ってないって言ったら、どうする?」
そう切り替えされて、言葉に詰まる。
また、あの場所に戻るのか。沢山の命が簡単に消えてゆく、あの場所に。
俯いて黙り込むと、冗談だよ、とその人は笑う。
「ただ、なんとなくまだ中途半端だからな、オレ達みんな。」
そう、中途半端だ。戦争に巻き込まれる前の生活には戻れないし、これからすべき事も見つからない。何をして良いのかも判らなくて、ただここに存在するだけ。
「暫くは休憩、だろ。」
軽く笑ってディアッカは言葉と共に少し冷たいキラの手を取った。行こう、と促すように軽く引かれて、真っ白な部屋を出て来た。
いつまでこうしていられるだろう。
最初から期限付きだ、と言うことは理解していた。けれどその期限が、はっきりと見えないからとても中途半端な日々。それでもいいかな、と思うのは、あなたがいてくれるからだろうか。
幾日かが過ぎて、子供達だけの小さな世界は穏やかに時間を重ねて行く。そこに生活する子供達が、戦争の真っ只中で命を張っていたことなど、到底信じられないほど。
光の溢れるサンルームは、かつて自分が過ごしたことのある場所だ。あの時も、どうしたらいいのか判らなくて、迷っていた。今も確かにどうしたらいいのか判らないけれど、状況が違う。
戦争は終っているから。
作品名:そは、やはらかにながれゆくもの 作家名:綾沙かへる