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綾沙かへる
綾沙かへる
novelistID. 27304
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Flash Memory ~いつか見た夕暮れ~

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 拒絶しているのも自分だし、意図的に答えをはぐらかしているのも自分だ。ただ、真実を知った時に拒絶される事が恐くて。相変わらず卑怯だな、と自嘲気味に嘲い、昼間だと言うのに閉め切ったままだったカーテンを半分ほど開けてベランダに出た。
 緩やかな風が通り抜けて行く。けれど、遠く広がるのは灰色の雲。
「…雨、降るのかな。」
 出掛けて行った人が濡れて戻らないと良いけど、とキラは微かに笑みを浮かべる。
 軽い気分転換を終えて部屋に戻ろうと視線を動かしたとき、視界の片隅に一瞬映ったもの。眼下に広がる歩道の、ベランダのすぐ下に当たるそこに誰かが立っている。
 どくり、と鼓動が跳ねた。
 手摺り越しにそっと下を覗き込むと、随分くたびれた格好の青年が一人。
「…ッ」
 確かにキラを見上げて、嘲笑った。
 咄嗟に室内に戻ってカーテンを引くと、身体が微かに震えている。煩いほどの心音が、思考の邪魔をして。
 知らない誰かは、確かに自分を見ていたのだと。
 反芻して認識すると、忘れ掛けていた恐怖が這い上がって来る。
「…だ、いじょうぶ…ッ」
今自分が成すべき事は、他にあるのだと言いきかせて。
 薄暗い室内の、固いソファの上できつく目を閉じて。
 遠くで、雷の音がした。


 みぃつけた。
 明るい陽射しは灰色の雲に遮られて。
 ぽつり、と落ちて来た水滴が歩道に染みを作る。
 唇を笑みの形に歪めた青年は、繰り返し呟いて。
 みぃつけた。
 ぱらぱらと降り注ぐ雨の中、何処かへと歩いて行く。

 花の香りが漂っていた。
 耐熱ガラスで作られたティーポットの中、ゆるゆると熱対流に乗って廻っているのは、茶葉と色とりどりの花びら。赤く色付いた中でもそれと解る程の。
 何が訊きたい、と言われて、ディアッカはティーポットの観察を止めて顔を上げる。
「…全部、だ。」
 キラ・ヤマトと言う人間について。
 真っ直ぐに上げた視線は、正面に座るイザークのアイスブルーの瞳にぶつかる。
「あいつ、隠し事ばっかりだ。なに訊いてもはぐらかされて、終り。全然、わかんねぇからさ。」
 あいつ、と言葉に乗せただけで、気分がささくれ立ってくる。一番苛々する原因は、キラと言う人間が全く掴めないからだ。本人も、取り巻く状況も。それは同時に、今自分が置かれている状況が分からない、と言う事をも意味する。
 ただやんわりと守られているだけのような今の状況は、とても気に入らない。まして、キラのように線の細い、儚げな青年に守られているのだと思うと。
「ただの知り合い、じゃねぇだろあいつ。何者だよ。」
 無意識に口調がきつくなる。けれどそんなことは慣れているのか、イザークは微かに眉を上げただけで。
 あくまでも他人の振りか、とイザークは苦笑混じりに呟いた。良いだろう、と続けると、イザーク、と隣りから咎めるようにアスランが口を挟む。
「本人が納得するのなら、過程は問題じゃないだろう?」
 それにオレはキラの味方じゃないからな、と何処か柔らかくすら言い放って。アスランはそれでも納得が行かないように眉を寄せた。
「…さて。キラ・ヤマトは現在、表向きには行方不明と言う事になっている。」
 可笑しな話だ、とディアッカは思った。実際に『行方不明』と言われている人間が、自分の周りに二人も存在している。
 行方不明になる人間の多くは、自身にやましい事があるから逃げているか、身の危険を感じて姿を隠しているか、何らかの犯罪に巻き込まれているかのどれかだ。行方不明になっている筈のアスランは、困ったように微かに笑った。
「…キラは、戦争を終らせたから。存在自体に、恐ろしいほどの情報価値があるんだ。」
 アスランの言葉に、ネットで知り得た情報を足すとやはりフリーダムと呼ばれる機体を操っていたのはキラなのだ、と言う事になる。
「だからあいつは、実に色々なところから狙われている。本人がザフトと地球軍の保護を拒否した挙句、つい最近まで見事に行方不明になっていた。」
 居所を知っていたのは、オーブの現代表ただ一人。キラとは血を分けた双子なのだと言う。
「…つーかそれって」
 戦争云々を除いても、かなりの重要人物になるのではないだろうか。
 お前が記憶を失う前、とイザークはゆっくりと言葉を紡ぐ。
「…キラを、探していた。」
 ぱちり、とまた音がした。
「探してた?オレが?あいつを?」
 なぜ、と問い掛ける前に、友人は答えをくれる。それは思いもよらなかった事実と共に。
「…お前と、アスランとキラ、共に戦争終盤にラクス・クラインの勢力にいた。戦争を終らせるために共に戦った仲間だと、聞いている。」
 その辺りはこっちに聞いてくれ、とイザークはアスランを視線だけで示した。
「オレはザフトにいたからな。」
 程なく、戦争は終わりを迎えた。
「お前がどうして向こうに着いたのか、オレは知らない。だが、一つだけ知っている事がある。」
 微かに溜息を吐いて、イザークは視線を下げた。なんだよ、と言って促すと、友人は確認するようにアスランに視線を投げ、彼もまた諦めたように頷く。そうして静かに紡がれた事実は、衝撃的だった。
「…お前とキラは、恋人、と呼ばれる関係だったんだ。」

 なんだか、頭がくらくらしている気がした。
 そもそも、基本的になにかが間違ってはいないだろうか。
「…いや、つーか、男だろ、あいつ。」
 また、ぱちり、と音がする。
 鋭い痛みに閉じた瞼の裏側、欠片で浮かぶ光景がある。夕暮れ、波の音、微笑、強い瞳。もう少し、と追い求めれば、強くなる頭痛に意識が掻き回されて。
 キーワードは幾つもある。その中心にいるのは、いつも。
「…あいつ、か…」
 ゆるゆると閉じていた瞼を押し上げると、灰色の空から細い銀色の雫が降り注いでいた。車からマンションのエントランスまでの短い距離を殊更ゆっくりと歩いて、癖のある金色の髪が湿って重たくなるのも構わずに。
 聞かされた事実が、どのくらい真実なのか。今のディアッカには分からない。
 ああ、また。
「…苛々する…」
 水溜まりの足跡を残して静かな廊下を進む。突き当たりの部屋の扉は、硬く閉ざされたまま。まるで、自分の記憶の扉のようなそれをゆっくりと開いて。
 イザークの部屋が優雅で花の香りに溢れているとすれば、何処か無機質なこの部屋はいつもコーヒーの香りが漂っている。大抵は落とした直後か、その残り香だ。けれど今日に限っては、煮詰まった酸味ばかりのようなコーヒーの香り。薄暗いのはいつものことでも、こんな状態は初めてだった。
「…おい…?」
 さすがに異変を感じる。苛立ちと、それに混じってゆっくりと持ち上がるのは、不安。
 普段なら閉ざされている筈のキラの私室は、扉が半開きだった。微かに零れるモニタの光が遮られていないから、その前にいるわけではない、と分かる。出掛けたのだろうか、とゆっくりとリビングを見渡すと、一点で動きが止まる。
 止まった視線の先、ソファの上に、キラはいた。
「…?」
 崩れるように、凭れ掛かったまま動かない。静かに近付くと、俯き加減の細い肩をそっと揺する。