Flash Memory ~あの日見た朝焼け~
今は綺麗に消してしまったけれど、当時はそれを見るたびにストライクとそのパイロットへの憎しみを募らせ、それを戦場に立つ理由にしていた。
「最初はお粗末なものだったな。尤も、民間人だというから、あそこまでの動きが出来れば大したものだったが。」
少し、遠くなった記憶を掘り起こすようにイザークは言葉を紡ぐ。知っているはずのことを忘れてしまった自分に、少しずつ「ストライクのパイロット」としてのキラの情報を与えてくれる。
その民間人の少年は、ザフトのエリートと呼ばれた赤い制服を着るパイロット四人を相手に、最後まで艦を守って戦った。気位ばかり高いエースパイロットの自信を打ち砕くには十分なだけの、実力を持っていた。稚拙だった戦い方は、何度も戦闘を繰り返すうちにまるで機械のように精密になり、自分たちが奪った当初の機体制御システムから考えると、その恐ろしいまでの能力に戦慄した。それはけして機械のせいではなく、純粋にキラの潜在能力が突出しているのだと思い知った瞬間。
だからがっかりしたものだ、と友人は小さく笑う。
「アスランが、あいつを墜としたと聞いた時には。実際には生き延びて、今度はフリーダムのパイロットとして戻ってきた。…何度か、助けられたな。」
幾度も直接刃を交えたイザークには、キラの人となりが少なからず見えていたのだろうか。
友人の言葉に、柔らかな笑みを浮かべる、およそ殺伐とした戦場にはそぐわない彼が、誰よりも力を持ち、すべてを守ろうとしたという事実を想う。その、柔和な笑顔と、強い意志を持った瞳が、オレンジ色の光の中で重なる光景。
ぱちり、と音がした。
「…あれ?」
ぼんやりと思い浮かぶ光景は、ここ数日何度か頭を過ぎったどこかの風景。夕暮れの中の水平線と、強い意志を宿した瞳、どこか悲しそうな微笑。その微笑は判別できるのに、他の全てがぼんやりと霞んでいる様な、そんな映像。
それは決まって、キラがパイロットだったと言う話に引き摺られる様に浮かんでは、何のことか判らず曖昧に消えていく。
唐突に黙り込むと、どうした、とイザークは少し怪訝そうな視線を向ける。
「…なんか、今、思い出しかけたような…」
何度も見る映像は、おそらくそれだけ重要なヒントを持っているのだと思った。
「なあ、港のある基地って知ってる?」
水平線の向こうに太陽が沈んでいく光景が見える、そんな場所。
何だそれは、と呟いたイザークは、記憶を辿るように一点を見詰めてしばらく考え込んだ。
「ジブラルタル…じゃあないな、どちらにしろ地球だろう。」
何しろ夕日が見えるという条件じゃな、とイザークは溜息混じりに続けた。
「お前は地球で一度消息不明になっているんだ。そこから考えると、足つきとともに宇宙に戻るまでの間どこに居たのか、と言うことだろうな。」
その辺りの説明はなしだったぞと諦めたように締めくくった友人に、小さく礼を言った。
「じゃあまあ、この話は終わり。さくさく片付けるとしますか。」
なるべく明るく言ったつもりだったけれど、微かに眉を寄せた友人には無理をしているのがありありと解っている様だった。
いろいろ無理を言ってごめん、と言ったら、モニタの向こうで彼女は微笑んだ。
「お気になさらず。私でもお役に立てるのでしたら、喜んでお力になりますわ。」
彼女の力は、本人が思っているよりも大きい。
黒幕とおぼしき企業の現最高責任者は随分と若く、歌姫としてのラクス・クラインを熱狂的に支持していたスポンサーの一人だった。
完全招待制のコンサートの計画を立て、幾人かのスポンサーや友人知人のみを集めて、判り易いくらいの網を張る。そこに、キラ・ヤマトが招待されていく、と言う情報を、知り合いの情報屋を使ってピンポイントで実行犯グループに流す。
黒幕が最高責任者ではなく、側近の一人だと言うことまでは突き止めた。これだけ餌を撒いておけば、いくらなんでも食いついてくるだろう、と親友とともに立てた計画。
「アスランて凄いよねぇ。」
あっという間に計画立てちゃったよ、と心底感心したように呟くと、画面の向こうでラクスも笑った。
「彼には彼の、得意分野があるんですわ。…小父様も、策略家でしたもの。」
似たもの親子ですわね、と彼女は呟いて淡い笑みを浮かべた。
かつて、彼女が義理の父と呼ぶはずだった人。自分にとっては、幼馴染の優しいお父さんだった人を思い返して、キラも笑みを浮かべた。最後がどうであれ、確かに自分たちにとっての優しい思い出も存在するのだと。
「…だからキラ、必ず戻ってきてくださいね。」
最後の戦場に赴くときとそっくり同じことを彼女は言った。違うのは、彼女の元へ、ではなくて。
「あなたが居なくなったら、きっと同じ道を辿ります。アスランも…もしかしたら、彼も。」
憎しみが憎しみばかりを生み出す世界を終わらせるために戦ったのだから。繰り返さないために、護っていくのだから。
「…そう、だね。」
静かに笑みを浮かべて返すと、ラクスは少しだけ瞳を揺らした。
「大丈夫。今度も、一人じゃないから。」
それが建前に過ぎないと言うことを、どこかで彼女は理解していたのかもしれなかった。
さあ、扉が開く。
緩やかに、明るい未来への扉が。
「死体では意味がないと言っているだろう。」
静寂を破るのは、隙なくスーツを着こなした壮年の男だった。それに応えているのは、青年の上に立つ男。コーディネイターは排除すべきと叫び続ける、偉大なるブルーコスモスのトップに立つ人物。実際にはそんな大物ではなく、それでも末端の構成員を騙し通すだけの演技力とカリスマ性を持った男は、依頼主である老人にしきりに繰り返す。
「ですが、コーディネイターは排除すると言う思想を利用しているのですから、完全に、とは行きませんよ。」
はっきりと利用していると言う言葉が聞こえていても、青年にはそれを理解するだけの思考が残っていない。行き過ぎた狂気はすでに心を壊して久しく、己の頭の中で語る声だけが全て。
「最終的に、キラ・ヤマトと例の機体が手に入ればいいのですから、あれの始末に関してはお任せしますよ。」
理解出来ていないと判っていても、男は小さく老人に言った。
「…私の部下を動かすのはまずい。保険と一緒だということを覚えておけ。」
念を押すように生きたままの捕獲を繰り返す老人に、男は諦めたように言った。
「…生きていればいい、と言うことでしたら、まあ。五体満足じゃないかもしれませんがね。」
その言葉には、微かに唇を上げただけで老人は答える。
こつりこつりという耳障りなステッキの音が遠ざかると、青年はモニタの前から立ち上がった。ゆったりとしたソファに身を沈める男の前に立つと、始める、とだけ呟いた。視線だけで応えた男は泰然とした笑みを浮かべると、仕事の時間は長くない、と言って小さな端末を差し出す。それを受け取った青年は、どこか覚束ない足取りで薄暗い部屋を後にする。
「あと一日だ。」
背中にかけられた声に、ゆっくりと壊れた笑みを浮かべて。
「…明日?」
作品名:Flash Memory ~あの日見た朝焼け~ 作家名:綾沙かへる