Flash Memory ~あの日見た朝焼け~
目を逸らし続けた現実と、叩き込まれて来た大義とを秤に掛けて、己の心の命ずるままに再び戦場に立っていた。
さわり、と夕暮れの湿った風が髪を揺すっていく。赤道近くのこの国は、豊かな自然と豊富な資源を持ち、今まで中立を保って来た。それが出来たのは、その主義を通せるだけの力を内にも外にも持っていたからだ。けれど今、その理想は脆く崩れ去ろうとしている。
例えば、敵わないと解っていながらも欲する技術。コーディネイターを憎む癖に、その力だけを求めて何もかもを蹂躙していく。
それがナチュラルの全てではないと教えてくれたのはこの国だ。それに賛同する人々が次第に集まり、形を成していく。憎しみも悲しみも、けして忘れはしないけれどその向こう側の世界を望む人々。
その中に、放り出された自分。
引き寄せられたような、友人。
「…お前、どうすんの?」
崩れ掛けたコンクリートの港で、暫く黙って海を見ていた隣りの友人に問い掛けると、困ったような笑みを小さく浮かべた。
わからない、と答えて。
「…ふぅん。」
そりゃそうだよな、とディアッカも笑った。
野蛮で、無能な生き物。力で全てを支配し、自らの技術で生み出した筈の希望を、長きに渡って妬み、虐げ、挙句には滅ぼす為に戦争を始めたナチュラル。それが、ザフトにおけるナチュラルの認識。
自分達が万能だと思っているわけでもなかった。その辺りはしばしばイザークと意見の合わない事もあったけれど、戦わなければ命を脅かされるのだと言う考えに変わりはなかった。
けれど、あの艦で過ごした時間で、見て、聞いて、知ったものは。
「…ひっくり返っちまったもんな。」
諦めたように零すと、隣りにいた友人は微かに俯いた。
「…俺は、ユニウスセブンで母親を亡くした…」
ぽつり、と零れた言葉に、目を丸くする。現評議会議長の息子は、今までほとんど自らの事情を語る事がなかったからだ。
「だから、志願した。多分、父の体面もあったと、思う。だけど、自分に出来る事、それだけの力があるんだと、何処かで思いあがっていたんだ…」
結果は、こんなにも虚しい。
「キラ…を、殺したと思ったときから、俺のいる場所はザフトにはなかったんだ。」
成り行きで銃を向け合った相手。追い詰めては躱され、幾度も苦戦を強いられた機体のパイロットは、同年代の少年だった。そして、アスランの親友で、コーディネイター。
地球軍にコーディネイターが存在する事も知っていたから、それほど驚く事ではなかったのかも知れない。けれど、その少年はこの国が用意した平和で小さな世界で、それこそ遠い場所の出来事としてしか戦争を見ていなかったのだと、知った。キラの住む世界を粉々にしたのは自分達だ。あの時、それでどのくらいの人々の生活が消えてしまうかなんて、考えもしなかった。
それが命令だから、遂行する。
そもそも、それに疑問を持った時にもっと考えるべきだった。
「なぁんにも、考えなかったら、楽だよなぁ。」
大人の言う通りに、引き鉄を引いて。そんな、人形のような存在になるのが、嫌だと思ったから。
「だから、さ…苦しくても辛くても、自分のアタマが言う通りにすればいいじゃん。」
そう言って笑うと、友人は気楽で良いな、と呆れたように返した。
「別に、ちょっと考える時間、あったからさ。気楽とか言うなよな、お前が考えすぎなんだって。」
笑いながら勢い良く背中を叩くと、目の前に広がるオレンジ色の海に落ちそうになって慌てた。
そんな、普通の少年のような出来事が、少し楽しくて嬉しかった。どちらからともなく笑い合い、温いコンクリートに座り込む。
さわり、とまた風が流れていく。
それにさ、と呟くと、友人はまた首を傾げた。思えば、彼とこんなふうに会話する日が来るなんて、思ってもいなかった事に気付く。それが、なんだか無性に可笑しく思える。
「…良いだろ、変わってくってのも、さ。生きてるんだぜ、オレ達は。…アイツも、そう言ってくれんじゃねぇの?」
意外な事を言う、といった表情で暫くディアッカを凝視していたアスランは、不意に翡翠の瞳を和ませて、そうだな、とだけ呟いた。
「…楽しそう、だね。」
なにしてるの、と頭上から降って来た声に同時に見上げると、話題に上っていた少年が覗き込んでいた。別に、と答えたアスランに、キラは少しだけ寂しそうな顔をした。
「…今、時間あるなら…マリューさん達が呼んでるから。」
その言葉に顔を見合わせ、立ち上がる。
少し低い所にある濃紫の瞳には、迷いが見えなかった。何かを吹っ切った様子のキラと、今だ迷いの中にあるアスランは、こうして見ると面白いほど何もかも対称的だった。
「…どうすれば良いのかって、さ。迷ってるんだと。」
こいつが、と視線だけで示しながら沈黙した友人に変わって答えると、キラは微かに笑みを浮かべる。
「…みんな、同じだよ。本当に望むものの為に、自分の道を選んでる。それを、これから見付ける人だっている。」
静かに言葉を紡ぐキラは、沢山の感情を瞳の中に押し込んでいた。それらを全て乗り越えてきたように、ディアッカには思える。
暮れて行く夕日が、逆光になって良く見えないけれど。それでもしっかりと視線を合わせて。
「だから、みんなで一緒に、探しに行こう?」
そう言って、オレンジ色の光の中で、とても綺麗に微笑った。
あの時、同じ世界を目指したいと思ったのだ。
「…あの、時…?」
ゆっくりと覚醒する意識。カーテンの向こうはすでに明るく、窓の外の喧騒が微かに入ってきていた。隣りにあった筈の温もりがない事に気付いて、身体を起こす。しんとした室内で他に動くものはなく、キラが何処かに出掛けたのだと言う事を理解した。
同時に、鮮やかに甦る、夢に見た景色。夢ではなくて、自分が、あの時あの場所で見て、聞いたもの。今まで、なくしたと思っていた筈の。
「…思い…出した…っ」
何度も、欠片で示されたヒント。その、いつでも足りなくて一番重要だった筈の欠片が、ぴたりと嵌まった途端に全てのピースは違えることなく記憶のパズルを完成させる。
忘れていた想い。忘れていたのではなくて、辛くてどうしようもないからいっそ忘れてしまいたいと願って。
「まさか、ほんとに忘れちまうとは思わねぇだろ…」
湧き上がるのは、苦い後悔だけだ。一瞬でもそう願った自分が、酷く情けない。どんなに辛くても、一生心に抱えておくはずだった想いと存在を、こんなに簡単に忘れてしまう、なんて。
「人間のアタマっつーのは、便利だな。」
自嘲するように呟いて、床に放り出してあったシャツに袖を通す。
確かに掴んでいた筈の存在は、いつの間にか摺り抜けてしまった。柔らかな髪も、しなやかな肌も、泣きながら交わした口付けも、これほど鮮明に残っている。取り戻したはずの温もりを、もう一度両手で抱き締めるために。そのために今自分がすべきことは、そう多くない。
カーペットの上に放り出したままの携帯端末を軽く蹴飛ばしかけて、液晶に表示された文字に気付いた。直接打ち込んで残されたメッセージに、ディアッカは小さくバカ、と呟いた。
「…有り難う、なんて…こっちの台詞だっての…!」
作品名:Flash Memory ~あの日見た朝焼け~ 作家名:綾沙かへる