君の隣で、夜が明ける。10
その言葉に友人はやはリ呆れたように溜息を吐く。
「目が覚めたら、さっさと行ったらどうだ。」
ひらひらと手のひらを振って、追い払うように言った。その態度に、少しだけ寂しさを覚えてディアッカは気の抜けた返事をする。
「…おまえを味方にしようと思った事が間違いだったよ。」
そう言いながら扉に向かう。自動のドアが閉まる前に、ディアッカ、と声を掛けられて振り返る。
「俺は、最初から最後まで自分だけの味方だぞ?」
あまりにもらしい言いかたに、それもそうだな、と苦笑混じりに呟くディアッカの目の前で扉が世界を遮った。
閉ざされた扉の向こうで強気に笑みを浮かべる顔が、それでも少し強引に背中を押してくれた。
ひとりの人間について考える。
多分、一生の内でそんなことは何度もないと思った。
そんな何度もないような瞬間が、今巡って来ただけなのだ。
それは、本当に心の奥底に宿る、自分でも良く分からない不思議な感情で。
それでも、はっきりとそれは自己主張している。
たった一人を求めて。
ぼんやりと窓の外を見ていた。柔らかく暖かな風が、日の光で幾分色が抜けたような髪を好き勝手に掻き回していく。乱れる髪を気にすることもなく、濃紫の瞳はただ遠くを見ていた。
本当に伝えたかった事は言葉に出来た。それは伝わったのだと思う。そうして恐らく、拒絶された。
正確には誤解されているのかも知れないけれど、答えはきっと変わらない。
ディアッカの言った「あの人」はフラガの事で、確かにフラガの事は好きだった。けれど、それはディアッカに対する気持ちとは違う、とはっきり分かる。フラガは、キラにとって確かに大切な人で、力のある大人で、誰の目から見ても格好よくて、こんな強い人になれたら、と憧れていた。
誰からも拒絶されて、自分でも周りを拒絶している時に、あっさりそれを飛び越えて来てくれた人。それでキラの心が救われた事は事実で、憧れると同時に深く感謝していた。
だから、「大切な人」と言う表現になる。けれど、そこに恋愛感情はない。他人の目から見たらどう思われるか、なんて考えた事もなかった。そんな余裕がキラの心にはなくて、それに気付く前にディアッカに対する気持ちに気付いてしまったから。互いにパイロットで、必然的に一緒に行動している事が多かったから、誤解を受けても仕方がないとも思う。
順番がおかしいな、とキラは苦笑する。
それでもいい、と納得していた筈だった。
たとえあからさまに拒絶されても、キラの気持ちに変わりはなくて。最初から、受け入れてもらえるとは思っていなかったし、受け入れてもらおうとも思わなかった。ただ、伝えたかっただけで。
好きだと想っているのはキラだけで、それは物凄く個人的な事だ。当然、キラはディアッカではないから、彼の考えている事は分からないし、その気持ちを知る事も出来ない。だからと言って、好きになって欲しいとは言えない。
たとえ戦争中で、所属していた陣営が敵同士だったからと言って、銃を向けて戦ったのだから。
成り行きに近い形で肩を並べただけの、多分、友人とも言えないほど希薄な関係で。
あの日、本当に全て終らせるつもりでいた。想いを伝えるつもりもなくて、このままズルズルと生き長らえる事に耐えられなくて。
だから、記憶に残してもらおうと思った。目の前で消えていく命の印象は強くて、記憶に焼きついて離れない。たとえそれが全く知らない誰かでも、キラの中では自分が奪った命の、その消えていく瞬間の光景がはっきりと残っている。その衝撃の強さは、見知った人だったら尚更だ、と。
そんなに、出来た人間ではなく。まして、まだ子供で、本来ならば学校に通って、友人達と下らないお喋りに笑って過ごしていた筈の時間を、突然凄惨な光景と恐怖に埋めつくされて、理解出来ないまま引き鉄を引いて来た。恐らく、それは戦争の最中で失われた多くの命の、ほぼ全ての人たちに共通すること。
そんなふうに失われた命の中の一つではなくて、目の前で消えていく見知った人の命として見れば、それは一生記憶に残るだろうと考えた。たとえ残されたその人が、後悔と罪悪感に苛まれる事になっても、忘れる事はないだろうと。
もしかしたら、それを平然と見送っているかもしれなかったし、そのくらいの報いは当然だと思うかも知れない。そう思っても、キラはそれを実行した。卑怯だと思っても、それくらいしか考えられなかった。もう終った命だと自分で思っていたから。たった一人の記憶の中に残ってくれればいいと思いながら、勝手な自己満足に浸っていた。
薄い煙に包まれた部屋で、追い掛けて来たディアッカを見て本当に驚いた。それは、考えてもみなかった事で。
自分のこの手で、ディアッカやアスランの友達や見知った誰かの命を奪って来たから、嫌われているか憎まれているか、そのくらいしか思いつかなかった。表面上は辺り触りなく接していても、けして好意を持ってくれているとは思わなかったから、キラは心置きなく計画を実行に移した。
それなのに、ディアッカはキラを連れ戻しに来たばかりか、もう少し生きていてもいいと言った。
否定され続けて来た中で、初めてキラ自身に向かってそう言ってくれた。
途端に、欲張りになってしまった。気持ちを伝えてもいいだろうか、好きでいてもいいだろうか、と。
親友に後押しされて、言葉にすることは出来たけれど、その先も、と勝手な心は求め始めている。期待して、裏切られてばかりで、もう沢山だと思っている筈だと言うのに。
どれだけ想っていても、相手がいることだから仕方がない。好きになって欲しいとは言えなくても、ただキラが勝手に想う事くらいは許してもらえるかもしれなくて。
軽く溜息をついて視線を室内に戻すと、控え目なノックの音と共に来客を告げる声がする。
「…来客…?」
アスランやディアッカがそんな回りくどい事をするはずもなく、キラは不思議に思いながらもどうぞ、と答える。そうして、ドアの向こうに表れた姿に驚いて、ついで笑みを浮かべた。
「お久し振りですわ、キラ。」
緩く結い上げた桃色の髪を揺らして、彼女は微笑んだ。
気付けば、戦争が終って一ヶ月近くが経過していた。その間、キラは殆ど同じ艦で過ごしたクルー達とも顔を合わせることがなく、ただこの部屋に閉じ篭って過ごしていたから、ラクスの顔を見る事も久し振りだな、と思った。
「皆さん、キラの事を心配していたんですのよ。」
ちっとも連絡を下さらないんですもの、と少し拗ねたように彼女は言った。
「でも、お元気そうで安心しました。」
そう言うラクスは、笑みを浮かべていても何処か疲労を伺わせる。いつも連れていたピンクのハロも今日は見られない。
「…うん、なんとか。でも、どうしたの、急に?」
ゆっくりとした動作で紅茶をすすっていたラクスは、その問い掛けに少しだけ目を細めた。
「…一時的に、ですが、漸く私達の処置が決まりました。」
その言葉に、キラはそう、と呟いて、ゆっくりと溜息をつく。
作品名:君の隣で、夜が明ける。10 作家名:綾沙かへる