君の隣で、夜が明ける。12
「いや、イザークが似たような事言ってさ。遠慮してるって。…まあ、オレもまだ、遠慮してるのかもな。」
そう言うと、ディアッカは空になったカップを手に立ち上がる。そうして、オレが先に言うよ、と呟いた。
「…多分、オレが向こうに戻るって言えば、キラも納得すると思うし。」
悪いな、とアスランは笑みを浮かべる。本当は、ディアッカに頼っていてはいけないのかも知れない、と何処かで感じている。前例があるだけに、キラが誰か一人に心を預け、その人がいなくなったときの事を考えると、どうしても不安が残ってしまう。
「…時間が、解決してくれるさ。」
そう言って友人は笑ってはいるけれど、きっと同じことを心配している。
それでも、残された時間はほどなく終りを迎える。
夏が近付く。
相変わらず穏やかに流れる時間。その中で、少しづつ変わっていくこと。気温が高くなったり、庭に咲く花の種類が増えたり。
窓辺で庭を眺めていたキラは、緩く溜息を吐いた。テーブルの上に乗っている、小さなカレンダーの、たったひとつだけつけられたしるし。ここを出て、療養施設に移る日。
戦争が終って、随分と時間が流れた。キラは、ひとつ年を取った。それでも、状態はあの時からあまり変化がない。相変わらず食事は受け付けず、週に一度の点滴と、日に三度の栄養補助食品の摂取。半年ほど続けて来て、それでも改善が見られないから仕方がない、と親友は微かに眉を寄せて言った。
終戦直後に比べれば、ほんの少しだけ自分で食事を採るようにはなった。それでも薬に頼らなければ生命維持に支障が出るほどに足りていない。事実、こうしてベッドから起き上がる事ですら、眩暈がしたりする。
あれほど嫌だと言い張っていた医療施設に移る事を決めたのは、ディアッカがもうじき大学に戻ってしまうから。離れてしまうのは仕方がないと納得しているつもりでも、やっぱり寂しかった。どうせ離れてしまうのなら、会うのは何処でもいいだろ、と何気なくディアッカは言った。言われてみればその通りなのだけれど。
ベッドの上に放り出してあったマシンが、メールの受信を告げる。その音に、キラは堂々巡りを始めた思考を振り切って、ゆっくりとベッドに足を向けた。
タイトルもなく、簡潔に用件だけを記したメール。最後に、とって付けたような挨拶を見つけて苦笑が零れた。差出人の名前を見なくても分かる。
「…らしい、なあ。」
随分前から、無理を言って頼んでいたものが漸く見つかり、キラの手元に届くように手配してくれた、と言う連絡。それが何処で手に入るのか調べれば分かったけれど、今の状態では外出するなんてとても無理で、今時珍しく熟練の職人によって手作業で作られるそれは、ネットで取り寄せる事も難しくて、直接送ってもらえば勘のいい人たちには店の名前ですぐバレる、とその人は言っていた。
間に合わないかも知れない、と言いつつも、キラの希望する日に間に合わせてくれたのだということは分かった。アスランを見ていれば分かる、慌ただしい毎日の中で、わざわざ時間を作ってくれたのだと。
「…あ、じゃあイザークさんにもなんかお礼考えなきゃね…」
キラがここを出るのはあと二週間後。上手く行けば、それまでには全ての準備が整う。
マシンをサイドテーブルにおいて、その引き出しの奥から細長い包みを取り出した。包みを丁寧に解くと、キラはそれを慎重に広げる。規則正しく折り目のついた紙と、竹で出来た骨組。実用性があまりないと思えるほど硬く畳まれているそれは、広げていく毎にぱたりぱたりと音を立てる。光の当たる角度によって不思議な色合いを次々と映し出すその紙の表面にそうっと指先を滑らせる。透かし模様が入ってるから、でこぼことした感触が伝わる。
「…きれい。」
それを受け取ったのは随分前の事で。見ていると、不思議な気分になる。嫌な夢を見た時や、一人で寂しい時には、それを抱き締めて眠る。小さな子供ではないから、誰かにいて欲しい、なんて言えない。
緩く嘆息して元の通りに畳むと、開いたままになっていたマシンのモニタに向かう。それを受け取った時、どんな顔をするのかとても楽しみにしながら、協力してくれた人に有り難う、とメールを送った。
その時は、ひとつ夢が叶うなあ、なんてぼんやり思った。
もうじき日付が変わろうかと言う時間に、ドアを控え目にノックする音が聞こえた。濡れた髪を乱暴にタオルで拭いながらドアを開けると、思いも掛けない相手と、抱えてきた物に少し驚いた。
「…キラ?」
どうしたんだこんな時間に、と訊くと、キラはふわりと微笑う。
「…ちょっと、いい?」
それだけ言って、返事を待たずにキラは部屋の中に入ってくる。時折頑固な一面を見せるキラに、多分今はなに言っても無駄だな、と勝手に納得すると、ディアッカは疑問符を大量に頭の中で飛ばしながら扉を閉めた。
窓際に置いてあったソファに持っていたクッションを放り出しているキラに向かって、少しだけ苦笑を零す。
「…なんだよ、ご機嫌じゃないか。」
そう言いながら、小さな冷蔵庫からミネラルウォーターのボトルを出してキャップを捻る。夜が明ければ、キラはあれだけ嫌がっていた医療施設に移ると言うのに、どうしてこんなに機嫌がいいのか不思議だった。
「…あのね、ディアッカ。あなたに、渡したい物があるんです。」
相変わらず笑みを浮かべたまま、キラはそう言って細長い包みを差し出した。なんとなく、見覚えがあるその形。丁寧に包装されたそれを差し出されるままに受けとって、尋ねるように視線を手元からキラに移した。
「前に、さ。あなたに貰ったものの、代わり。本当は、代わりになんてならないって分かってるけど、どうしても、返したくて。探すの、ちょっと時間かかっちゃったけど…」
気に入ってもらえると嬉しい、と言って少し照れたようにキラは俯いた。
「…開けてもいいの?」
一応確認すると、微かに頷いたから細い紙で出来たリボンのようなものを解こうとして、少し考える。何処かで見た覚えがある、と思ったそれは、確か水引と言った筈。だとすれば解くのではなくて、形を崩さないように箱から引き抜いた。包装紙の下から出てきたのは木の箱で、読めない文字が金色に箔押しされていた。
「…これ…」
予想通りのものが、その中に納まっていた。
ライトの明かりが反射して、自分の顔が映り込むほどに磨かれて、艶やかな光を帯びるそれに指先で触れる。畳まれていたそれを留める銀色の紙を外して、ゆっくりと広げた。乾いた音と共に目の前に広がっていくのは、くすんだ金地に桜の花びらが散る、抽象的だけれど溜息の出るような風景を写し取った画面。
「…どう、かな…?」
扇を広げたまま見入っていると、恐る恐ると言った感じでキラは小さく訊いた。
舞う為に使うものではなく、恐らくは鑑賞する為のもの。それでも、これだけの物を見付けようとすれば恐ろしく手間がかかるはずで。
作品名:君の隣で、夜が明ける。12 作家名:綾沙かへる