夕映え作戦
「膝枕って憧れるじゃないか、ちょっとだけだからさ…………」
「そもそも授業とか……」
「今、学校通っているって言う設定なんだからさ、いいだろ?」
「ちょっとだけですよ」
ありがとうと、小さく形のよい薄い唇が紡ぐと、臨也はゆっくりと瞼を閉じた。近で見れば長い睫がありありとわかり、その際立って整った顔立ち思い知らされる。だが、神は二物を与えないというか、その美貌もあの性格、嗜好の前には霞んでしまう。
初夏の爽やかな風は暑くもなく、寒くもない麗らかな陽射しは確かに睡魔を誘う。舌から聞こえてくる規則的な寝息が、帝人を眠りへと誘う。
臨也は午後の授業をさぼることも青春だと言ったが、そんなことをしたことはなかったことを帝人は思う。ただ教室の窓から外を眺めるだけで、自ら出て行くことはなかった。他の生徒にとっては些細なことかもしれないが、この状況は帝人にとっては小さな非日常だ。それを帝人から見ればあちら側に賊している臨也もまた望み、憧れていたというのが意外だった。
眠い。うとうとしている。膝にある重みと温もりが心地よく、いつしか帝人の視界は黒く沈んでいった。
ひんやりとした冷たさに帝人は目を冷ますと、自分が眠っていたことに気がついた。確か、寝入る前は臨也が膝枕で寝ていたはずなのに、その男の姿は視界の中に捉えられず帝人はただ一人屋上に居た。男が居た名残に彼の学ランが帝人の体にかけられており、それが僅かながら寒さから身を守ってくれていたようだ。温かいそれを引き上げると、日だまりの匂いと、臨也の香水の匂いが幽かに混じり確かに夢の中でこの薫りに包み込まれていたことを思い出した。
日の沈み具合から結構な時間が経過していることがわかり、慌てて時間を見ようと携帯を取り出した。
「あっ、起きたみたいだね」
軋んだ音を立てて扉が開かれると、顔だけ出した臨也が起き上がった帝人を見つけて声を掛けた。
「すみませんっ 折原さん」
謝る必要はないのだが、携帯の時刻を見ると転た寝をしていたというには程遠い時間だった。連休の間は限界まで仕事を入れられる分どうしても夜更かしになってしまうが、それにしても寝過ぎだと思う。少なくとも、臨也起き、そして自分が横になっていたことすら気付いて居なかったのだ。
「よく眠っていたから起こすの可哀想でね。寒いからコーヒー買ってきたんだけど、帝人君にあげるよ」
手渡された缶コーヒー蓋は開いていたが口を付けた痕跡はなく、温かく、冷えた体と心に温もりを与えてくれた。上着を着ていても肌寒いというのに、それを脱いでいる臨也を思うと自分の為に買ってきたのだろう。
「あの、これありがとうございます」
自分の体に掛かっていた学ランを臨也に渡すと、それを受け取りながら小さく臨也は呟いた。
「やっぱりスカートのが良かったかな、足許見えるし……」
「なんの話ですか?」
「ほら、彼の学ランを掛けられている彼女の脚とかそそるだろ?」
「適当に女の人捕まえてやってください。折原さんなら困らないでしょう」
「焼き餅かなそれは……、俺は帝人君に着て欲しいのに……」
「…………。」
「ここはもう寒いから中に入ろうか……」
臨也の言葉に従うのは不本意だったが、それには従うしかなかった。階段をぺたぺたと降り、何処に行くかも問うことが出来ずにいる帝人のことなど気にせずに向かった先は降りてすぐにある教室だった。茜色に染まり始めた室内に無言で臨也は突き進む。
あれだけ青かった空も今は赤く染まっている。窓が大きく白い教室内は直ぐに茜色に染まっていきまるで炎に包まれているような、部屋全体が暖炉のような外とは違う暖かさを感じる。帰宅を促す放課後の校内が一番温かく染まることを不思議と感じながら、夕日を浴びる臨也の姿を見つめていた。逆光の中立つ臨也の影が赤い室内に黒く伸び、赤と黒とで表現される世界が、まるで彼が今着ている服を喚起させ帝人は夕映えに佇む臨也を見つめていた。
魅入っていた自分を初めように帝人は口を開いた。
「それで話しっていうのは……」
半日近くも共にいるのに、大半は眠っていたのだが、それにしても会ってからまったく状況は進展してなかった。
「ああ、それもうすませたようなものかな、未だ実行中って言う気もするけどね」
首を傾げる帝人に臨也は続けた。
「こうして君と話しがしたかっただけだしね」
「そんなことで……」
夕映えを背にした臨也を眩しげに帝人は見上げている。もう冷めてしまった缶コーヒーを一気に飲み干すと、ミルクと砂糖の甘さが体に染みこんでいく。
「俺にとっては大事なことだよ」
眩しく輝く臨也の姿はよく見えず、それが本当にただの学生のようにも見える。本当に彼が言っていたように、ただの学生生活を営みたかっただけなのかもしれない。彼がそういう生活を送れなかったことは、帝人にすら彼の性格に問題があることは判るが、だからこそ穏やかな日常を求める臨也の気持ちが判るのだ。それは帝人が非日常を求めることと同じことだ。
「あの…… 折原先輩……」
「なんだい帝人君?」
自分と臨也が似ているのならば、きっと臨也もそう感じているはずだと帝人の中では核心があった。
「その…… お誕生日おめでとうございます」
「えっ……」
驚いた表情を逆光で見ることは出来なかったが、上擦った声でその反応が判った。驚愕と歓喜が混じったその声色に恥ずかしげに帝人は顔を背けた。夕日を浴びた頬が暑いのか、それは内面から込み上げてきたものなのか判らない。何故、彼のことを調べてしたまったのかも判らない、いや、臨也のことを調べていた自分に恥じ、そして誕生日を記憶していたことが恥ずかしかった。
連休中に誕生日を迎える彼は校内で祝われたことはないのだろう、終業式に近い誕生日で忘れられたり、翌日だったりとする自分と似たモノを感じたのだ。
「帝人君、臨也って呼んでよ」
「いっ、臨也先輩……」
「ありがとう、帝人君」
夕映えを背に帝人の前に立ち上がった臨也はその視界を完全に塞ぎまるで後光のように臨也の体を茜色が縁取っている。ふわりと帝人の体を抱き締めた。
「えっ……」
「嬉しいよ…………」
奏でるように囁かれた美声が耳元を擽ると、薄く乾いた何かに唇を塞がれた。生暖かく弾力のあるものが唇を割り揺るかに進入してくる。息苦しくも、なにか体内から込み上げてくるような高揚感に突き動かされ、目を閉じているのか、それとも視界を塞がれているのか、それすらも判らないほどに帝人は祖のみを臨也を委ねていた。
初めて沸き上がる高揚感は、明るく温かく室内を包み込む夕焼けのように、じりじりと帝人の体を焦がしていく。
どうしてこんな感情が沸き上がってくるのか、衝動が芽生えるのかすら判らずただ戸惑う帝人はバランスを崩し机に背中から倒れた。
「帝人君誘っているの?」
慌てて体を離した臨也は相変わらず眩しくて、その表情を見ることは出来ない。妙に呼吸が苦しくて、荒い息継ぎを帝人は繰り返している。ばくばくと鼓動も早いままで収まる気配がない。
「ごめんね。急に……」