あなたに幸あれと私は願う
その手はベルゼブブのグリモアを閉じた状態で持っている。
ベルゼブブに向けている表情は堅い。
無理もないとベルゼブブは思う。
アザゼルに頼み、その特殊な力で芥辺と佐隈を男女の関係にしようとしたことを、知られてしまったのだから。
怒って当然だろう。
「ベルゼブブさん」
「はい」
「話があります。私についてきてください」
「はい」
堅い声で佐隈が言うのに対し、ベルゼブブは逆らわずにうなずいた。
佐隈は眼をそらし、歩きだした。
彼女のあとをベルゼブブはおとなしくついていく。
お互いなにも喋らずに歩き、芥辺探偵事務所のフロアを離れ、階段をのぼる。
やがて、屋上に出た。
夜だ。
あたりには風が吹いている。
屋上の真ん中ぐらいまで進むと、佐隈は足を止めた。
だから、ベルゼブブも立ち止まった。
佐隈が振り返る。
ベルゼブブと向かい合って立つ形になる。
その表情はさっきと変わらず、堅い。
「……ベルゼブブさん」
「はい」
「アザゼルさんから、全部、聞きました」
「そうですか」
もう驚きはなかった。
佐隈はアザゼルから聞いていたからこそ、ベルゼブブに気づかれないように、あの部屋のドアの向こうに来て、それから隠れるようにして立っていたのだろう。
アザゼルはベルゼブブに頼まれたことを佐隈に話していた。
それを裏切りだとは思わない。恨む気も起こらない。
勝手すぎることを頼んだ自分が悪いのだ。
「ベルゼブブさん、そこにいてください」
「はい」
佐隈がベルゼブブのグリモアを開いた。
さらに、呪文の詠唱を始める。
おそらく制裁の呪文だ。
そう思ったが、ベルゼブブは動かなかった。呪文の詠唱をする佐隈の正面に立ち続ける。
制裁を受ける。
どれほどの痛みであろうが、受け入れる。
そう決めていた。
それだけのことを自分はしようとしたのだから。
作品名:あなたに幸あれと私は願う 作家名:hujio