運命の人
「はは、人気者は辛いのな。庭でちょっと休んできな、ツナ」
「ん。すぐ戻るよ」
庭に続く扉を開けてやり、重い扉を背で押さえ、親友をひっぱりだした。中は照明と人いきれで、10月だというのに蒸すような暑さだった。
世界的に有名なマフィア映画を彷彿とさせる手入れのいい庭に出て、緑と夜気に洗われた空気を深呼吸する。
生垣や背の高い花を最低限に抑えて死角をなくし、見晴らしよく作られた庭は、今秋薔薇が盛りだった。元々あまり香りのない花なのに、満開の一群れを見ると、甘い匂いがした気になる。
ツナもジャケットを脱ぎながら、喧騒を一歩抜け出した。
その瞬間。
ばちっと静電気が起きたような衝撃を、全身に感じた。
スタンガンを持った奴でもいたかと思って見回したが、誰もいない。ドアノブに細工された形跡もない。
ツナ、と声を掛けようとして、親友の視線の先に気づいて、俺は息を呑んだ。
六道骸が、俺たちからごく近い薔薇の植え込みに手袋を嵌めた手を伸ばしていた。奴の身長をすこし越える、背の高い品種の白薔薇の、傷んだ花びらを摘んでいた。
それからついでのように茎をたわめ、六道は満開の薔薇を鼻先に近づけた。俺が見た限り、それだけのこと。
そう、男が一人、庭にいた。ただそれだけのことが、役者が霧の術者というだけで限りなく非現実的な光景になっていた。
夜風に靡く藍色の髪、屋敷の照明を照り返す大理石のように白い肌。緋と藍の瞳が嵌った、なまじの人形より綺麗な顔。普通睫の長い男なんざキモいだけのはずが、生き物とか性別とかの限界を軽くすっとばした色気を漂わせている。
180cmを優に超える細身の長身。コートの前を開いているせいで、手足の長さがはっきりとわかる。
皮手袋をしていてなお形が良いとわかる指が、白い花を引き寄せている。加えて、男は、仄かな笑みを浮かべていた。
しばらく呆然として、傍らの親友を振り返ると、身じろぎもせず六道を見つめていた。瞬きもしているのか怪しいひたむきさで。
見たことがない横顔だった。笹川京子のことを語るときでさえ、こんな息が詰まるような雰囲気はなかった。
ボンゴレでも大空でも、誰かの友達でも家族でもない沢田綱吉がそこにいた。
そして。
止めのように、ざあと風が鳴った。薔薇の花びらが何枚も、見えない力に乗って刹那六道を飾り、散った。
風に吹かれたせいか、項の髪留めがあっと言う間に滑り落ち、長い髪がばらりと広がった。まるでシャンプーのコマーシャルみたいに。
不意に、見られていた側がこちらを、いやツナを振り向いて、微笑んだ。痛々しいほど綺麗に、柔らかく。
「ボンゴレ、風邪をひきます」
髪を頭の横で押さえた六道が、ツナに向けた表情は、断じて友情とか親愛の類じゃなかった。
人がただ一人の特別、心の真ん中に棲む誰かにだけ贈れる笑顔。
ツナは、自分のネクタイの結び目すぐ下を、シャツごと掴んだ。もうパーティ会場の顔なんて、誰一人覚えられないに違いないのに、踵を返して無言で戻った。
切羽詰った顔のまま広間を横切って、パーティションの影に駆け込む親友を、構わず追った。
「ツナ・・・・」
世界有数のマフィアを束ねて10年、押しも押されぬボスになったはずの幼馴染は、貫禄も威厳も放り出して、自分を抱きしめるようにして震えていた。
喘ぐように口で息をして、何度も首を振る。
「大丈夫、か」
肩に手を置くと、大丈夫じゃない、と泣きそうな声で言った。
「どうしよう、山本、俺・・・・・骸に惚れた。何で今更・・・・・どうしよう・・・・」
赤い糸がつながる瞬間は、必ずしも初対面のときとは限らない。
いや、つながっていても色が違っていたのかもしれない。撓んでもつれていることだってあるだろう。
沢田綱吉と六道骸が死闘を演じてから11年と1ヶ月、この日ようやくふたりは始まったのだ。出合った頃よりずっと悪い条件下で。
「大丈夫だ、ツナ。奴はお前を好いてる。絶対何とかなるから」
いや、してみせる。俺は立ち会ってしまったのだ。
運命の二人が、出会う瞬間に。
立場とかブラッド・オブ・ボンゴレとか、そんなもので諦めちゃいけない。
場合によっては赤ん坊をどうにかしないといけないとしても。
六道が、ツナになにひとつ、本当に何一つ望まずただ愛しているとしても。
ひとりでは手に余る。守護者たちを再召集しなくては。