運命の人
沢田 綱吉
もっと幸せな、明るい予感だったなら、きっと気づけていた。
もっと早くやさしく笑ってくれていたなら、絶対判った。
それは。ずっと心の隅で引っかかっていた「もしかして」が、確信に変わった瞬間と、同時の。
がけっぷちで揺らぐ石ころがなにかの拍子で谷底に落っこちたような、自覚と理解だった。
どうして骸のことが気になっていたのか。なぜ嫌い抜くことができなかったのか。
底のない奈落に堕ち続けるような恋。
マフィアになってまで助けたいと望んだひとは、
俺をひとかけらも望んではくれてなかった。
生きる理由を投げ出す程深く愛してくれているというのに、
微塵も俺を信じてはいなかった。
手を伸ばすことも告げることさえもなく、ただただ、想い護り続ける。
業を仮面に、言葉を鎧に変えて、一番大事な心はひた隠しに。
俺の運命の人は、そういう男だった。
老獪とも臆病ともつかない慎重さと、子供にもありえないような苛烈な純粋さ。
状況を冷静に分析して最適を見極め、一度決断したことは守り通す。恋でさえ。
優秀な家庭教師も守ってくれる親もなく、普通の子供なら一瞬で死んでた状況を自分の力と運だけで生き抜き、仲間をも守りきったひと。
他人を殺しても自分がどうなっても、大事なものを血塗れた手と傷だらけの背で護る。
滅茶苦茶なかたちをしたプライドを、黒曜の彼らだけは理解していたんだろう。
「絶対なんとかなるから」
山本の言葉が泣きたくなるほど嬉しかった。
でも、あの王子様は。俺とどうこうなろうなんて、全然思ってない。
その気になれば何だってできるくせに。
殺されずにいたのは、マフィアを憎む思想さえ何とかすれば、一騎当千の価値があるからと今は判る。
ヴィンデチェは決して公正な場所ではない。多くはない最下層の囚人は皆、単なる罪人ではなく、いつか利用されるために生かされた猛者たちだった。骸もその一人。大小強弱様々な組織が秘密裏に、熾烈な争奪戦を繰り広げるなか、
脳味噌やら心やらが無事なまま地上に帰すためにどれほど強引な手段をとろうとしたか。本人に一番知られたくない。
容姿、頭脳、精神力、そして強さ。およそ他人が望む全てを持っているのに、自分の幸せだけは考えもしない。
守るもののためなら餌にも盾にもなる。そう、骸にとっては自分さえも目的のための道具だった。
骸を大事に想うひとたちの気持ちを知ってて踏み躙るのと同じことなのに。
なんて酷い奴を好きになってしまったんだろう。
なんて不毛な恋。自覚もないままこの世で最も恐ろしい家庭教師に逆らってまで逢いに行ったというのに、骸は本心を語ってはくれなかった。ずっとずっと、好きでいてくれたくせに。
だから、誕生日の夜に俺から手を伸ばしたんだ。
マフィアと関わることが奴にとってどんな意味を持つか、百も承知で、夢を見たかった。
・・・・・・・・・結果は惨憺たるものだったけれど。
誕生日の翌朝、目が醒めたのは大分日が高くなってからだった。
普段ならとっくにスーツを着て仕事を始めてる頃だと、部屋に差す日光だけでわかってしまうくらいの時間。
(げ。リボーンに怒られる)
跳ね起きて漸く、見知らぬベッドにいたと気づいた。
(あれ。昨日、俺)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
できれば思い出したくなかった、思い切りの良すぎる自分の行動を思い出して、グローブで窓から飛んで逃げようかと本気で思った。
ベッドの下にあったのが室内履きじゃなくて自分の靴だったら絶対そうしてた。さすがに本部まで届けさせるのは悪い。
(さすがに引くよなー・・・・・)
もう数センチで、キスするとこだった。ていうか狙ってたんだけど、生憎記憶がすぱっと切れている。多分落ちたな、俺。
(うわー・・・)
酔いに任せて言ったこともまごうかたなき本音だったから余計恥ずかしい。マフィアに縛りたくないとか親友に言っても、普段抑えてても、やっぱり好きな人はまるごと欲しい。お人よしと皆に言われる俺だって、あいつの前ではただの恋する男だ。
服は上下とも昨日のまま、ベルトとジャケットとタイとグローブがきちんと揃えて、サイドテーブルに置いてあった。
骸はどう思ったかな。酔っ払いの醜態、くらいにしか思ってなかったら・・・・いや、ドン引きして一気に冷めました。とか言われたら。
外国人の男のくせに体臭が極端に薄い、霧の守護者の寝床は、ふんわりとやわらかかった。
一度は起きたけれど、ぼすっと倒れこむ。途端に、抱っこされてここまで運ばれた感触が蘇る。
なんだかすごくふわふわして、子供みたいに嬉しがってた自分も。
(あーーーーー!!25にもなって何してるの俺!!!)
穴があったら入りたい気分だったから、かわりに掛け布団を勢いよく被った。途端に持ち主の、匂いが。
確かに知っている。10年以上前に羽交い絞めにされたときと、昨日目の前にあった胸と髪。
あいつはどこで寝たのかな。結局締め出してしまったのだろう。
「好きな相手が口説いたってのに、あのバカ」
せめて腕枕くらいしとけよ、根性なし。
散々飲まされたのに、ぜんぜん辛くない。薬をくれたのだって覚えてる、でも欲しいのはそういう気遣いとか優しさじゃなく。
ほんの少しでいいから、気持ちを見せて欲しかった。
俺の勘違いじゃなくて、好かれてるってちゃんと確信したかったのに。
「・・・・・・・・・骸の馬鹿。ヘタレ。コマシ」
「おやおや。他人のベッドを占領しておいて、ひどい言い草ですねぇ」
がば、と布団を跳ね上げると、いつのまにやら独特の喉声で笑う霧の守護者がいた。そう、こいつに限っては、ボンゴレでも指輪でもなく、俺だけの。
「ノックくらいしろよ!」
「しましたよ。それにここは僕の部屋ですが?」
「う・・・・・」
「起きたなら、シャワーでも浴びてらっしゃい。相当酒くさいですよ、君」
珍しいくらいの苦笑を浮かべる綺麗な男の一言に赤くなり、自分のシャツの匂いをかいで青ざめる。奈良漬みたいな臭いがした。
・・・・百年の恋だろうが十年愛だろうが、もれなく消し飛んだろう。さよなら俺の大恋愛。
骸はバスタオルと来客用の使い捨て歯ブラシ、バスローブをベッドの端に置いた。
「そのシャツ、洗えるなら洗濯乾燥機にかけておきましょうか?」
「あとで自分でやらせてください・・・・・・」
できれば下着も洗いたかったから。
猫足のバスタブはきちんと磨かれていた。あまり使ってないんだろうな、鏡は少し曇ってる。
男の一人暮らしとしてはかなりいい方だと思う。本職のメイドがいる二十代の独身男、つまりは俺の方がイレギュラーなのだ。
ていうか俺だったら掃除なんて真っ先にサボる。性格出るなぁ、と素直に感心してしまう。
器用な骸なら、料理も洗濯も母さんくらいにはこなすかもしれない。
ていうか。あいつが使ってる風呂を使うってのが、何か。気にする方がおかしいのかもだけど。ちょっと恥ずかしい。
ぱしゃん、と湯を跳ね上げて顔を叩く。意識しすぎだ、俺。
少しいつもより長湯をして、いつもより念入りに体を洗った。少しでも酒臭さが取れるように。
あとでシャツと下着、それに使ったベッドのシーツも洗っていこう。獄寺くんから今日はオフと聞いてるし。