犀と歩く
続く線路の先を見つめながら、ほとほとと涙が零れた。意味のない涙だが、次から次へと溢れてくるのだから止めようがない。
「寒いの?」と彼が心配そうに目を瞬かせて訊いてくる。
かわいいな。そう思うと、また涙が零れた。
「あたたかいよ」
「お腹が減った?非常食だったチョコレートはさっききみがばりばりと音を立てながら食べちゃったじゃあないか」
「そのおかげで満腹だよ」
「じゃあ」
「うん、」
「じゃあ、何を泣くのさ」
旅の道中で実る野苺を食べた。少し酸味がきつくて、ジャムにすべきという意見が一致した。廃線路は長く遠くまで続いていて、彼につらい思いをさせた。足はかなり痛そうで、引きずっているときもある。けれどたのしくてたのしくて、あの先、もっともっと向こうと指差して無理をさせてしまった。野火をするおじいさんの隣に腰掛けて枯れ草が燃える様子をずっと見ていたときのように、このままぼんやりと二人で過ごすのもいいと思えたのだった。
「一世一代の告白をするなら、今かなあと考えていたところなんだ。そう思ったら、何だか、泣けてきて、泣けてきて」
水の匂いが近い。目的地はもうすぐそこだった。
彼が半信半疑の目でこちらを見ている。いつもの冗談だと思ったのだろう。
「野草の紅茶、おいしかったね」
「うそ、罰ゲームみたいな味だったじゃないか」
「修行僧とかが飲んでそうな味だし、健康的だよ。それに、泥の中で初めて遊べたし」
「勝手に足を取られて転んだくせに」
「腕を引っ張ったら、きみも倒れたしね」
「きみが悪い。全面的に」
「そうかな」
「そうだよ」
「そうかも。それに今からぼくは、もっと悪いことをするから。全面的に」
そっと近づいた。彼の小さな顔に、影が覆い被さる。
「目を閉じて」と呟けば、何のことか分かっていない彼は、素直に瞼を閉じた。
おかしな彼。
ハリネズミのように他人を拒絶するくせして、間単に人を信じるのだから。
血の色が濃い薄い唇を軽く舐めれば、彼の目が驚きで見開かれた。気づかぬふりをして、くちづけた。
身を引く彼の背を抱きしめる。薄い背は緊張からか硬くなっていた。震える手が、カヲルの胸の辺りで戦慄いている。
これで忘れないでいてくれるかもしれない。旅は最悪な思い出になるだろうけれど、構わない。傲慢だが、彼の中に何か残るものでいたい。
腕を放すと、彼は身をよじった弾みで地面に尻餅をつく格好になった。
「ごめんね」
差し出した手を叩かれた。黒々とした天鵞絨のような目は誠実で、自分ばかりが悪いことを教えてくれる。
「うそ、悪いなんて思っちゃいない。だって、とてつもなくすきなんだ。旅したいくらい、すきなんだ。キスしたいくらい、すきなんだ。湖なんて本当は見なくてもいい。だって、ぼくのみずうみはきみだから。シンジくん。静かで、深くて、どこまでも深くて、覗き込んでいたら、落っこちた。落っこちたら、もっと潜りたくなって、泳ぎたくなって、たのしくて、たのしくって、泣けてきたんだ。終わってしまうと思ったら、悲しくなった」
捜査の人間にずっと見張られているのだと、カヲルだけではなく、彼もきっと知っている。それでも、強行でも旅をしたかった。
腕を大きく広げる。世界を包むように、彼を包むように広げた。地面に座り込んだままの彼は目をただ瞬かせる。
「胸がはりさけんばかりに、すきなんだ!」
喉が破れそうだ。大声を上げると、呼応するように、野犬がわおおんと鳴いた。
「シンジくん。きみをすきなやつがいたってこと、忘れないで。大人になったら、笑い話にしてよ。図々しいお願いだけれど、いつかきみの隣を誰かが歩くようになるまで、覚えていて」
かくれんぼは終わりだ。
目的地に着かない方がいい。着いてしまったら、彼を手放せなくなってしまう。
「終わりのないかくれんぼなんかないんだよ」
老成した犬のような目をして、やわらかにわらうと、もう一度だけ彼がこちらの名を呼んだ。