犀と歩く
2
「虹がみたいなあ」
おにぎりがすきなんだなあ、というような情感のこもった言葉に思わず吹き出した。
彼はよく、皆が知らないような知識をひけらかすくせして、一度は経験していてもよさそうなことをしたことがなく、見たこともないことが多々あった。
「だって写真でしか見たことないもの」
「そうやって言えば、ぼくが動くとでも?先週だってそうだ。図鑑でしか見たことがないからって、ミヤマカワトンボを探しに山を連れまわしたこと、ゆめゆめ忘れるべからず、だよ」
「そんなこわい顔しちゃって。つれないね、シンジくん」
品を作っても駄目だ。いくら顔が整っていようとも、瞼を伏せると人形のようだとしても、彼はれっきとした男なのだ。
「だけど、たのしかっただろう。きみだってイヌワシを見たときはぼくの袖を掴んでわあわあ言ってたじゃないか」
あながち間違っていないので、思わず足を止めてしまった。後ろをこどもペンギンのようについて歩いていた彼もぴたりと立ち止まる。
お目当てのミヤマカワトンボを見つけることは出来なかったが、山は生物の宝庫だった。ホオノキが連なり、その大振りな葉の影で羽を休めるゴジュウカラ。首が痛むくらいに見上げた先には、虫食い穴から漏れる陽の光と、色づいた白い花があった。
郊外ということもあり、虫は大きく、図鑑にも載っていないのではないかと疑ってしまうくらいおかしな形をした虫も沢山見かけた。
小学生の頃に体験するような活動的で、日常と逸脱した草昧の地を駆け回る行為は、少なからずシンジの胸を高揚させた。
「トンボとか虹とか、モモンガとか、イタチとかトビウオとかアカウミガメとかさ、きみが見たいって言ったものを挙げだしたらきりがないんだけど。本当に、きみが一番みたいものって何なのさ」
雑念のない、洗い清められたような目をして彼はひと呼吸置いて「みずうみ」とひとことだけ答えた。