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犀と歩く

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ピーンポーン、と間延びしたチャイム音が鳴った。
ミサトもアスカも出払っている今、選択肢は二つしか残されていない。
出るか、出ないか。
ザッピングしていたリモコンを手放し、シンジは眉間に皺を寄せた。元来面倒臭がり屋の上、他人との接触を拒みがちであるが、妙に真面目でもあるため、数秒間悩みに悩み、二度目のチャイムでようやく腰を上げる羽目に相成った。
「ざまあないわね、バカシンジ」というアスカの高笑いが頭にぼんと浮かんで、眉間の皺がまた増えた。
湿った足の裏がフローリングをひたひたと這う。
エアコンをつければよかったな。今日は人に会わないと決めつけ、油断していた。よれよれのシャツが肌に張りついていることに今更気付く。
顎先に溜まった汗を拭いながら、ドア穴を覗いた。が、一瞬で目を逸らしてしまった。
何だ、今の。
自分の目を疑うばかりか、頭まで疑ってしまいそうだ。
一気に高鳴り始めた鼓動を抑えるために深呼吸をひとつしたが、一度飛び出した鳩は戻らないように、弾けるような心音はどう考えても止みそうになかった。
アスカ、ミサトさん帰って来てよお、と思わず泣き出しそうになるのを堪え、再びおそるおそるドア穴を覗いた。
「ひっ!」
新手の使徒を見るよりも酷い怯えの声が漏れ出た。これはきっと心の声に相違ない。
変なのがいる、しかも玄関に立っている!
その上、焦れたのか、またチャイムを押している!
このままでは襲撃される恐れがある!
スタンドから傘を拾い上げ、固く握り締めた。非常事態に陥ったシンジは「やられる前にやってしまえ」という、アドレナリン分泌によるよくも分からない闘争心に掻き立てられていた。
乱れた息をぐっと止め、シンジはドアに寄り掛かると銃撃戦の刑事並みの敏捷さで外に躍り出た。
「南無三宝!」と思わず口走ってしまうのも致し方ない話だ。
うわああああ、と叫びながら傘を天高く振り上げる。途端、「こらこら、シンジくん」と冷静な声が滑り落ちて来た。
「ら、ライオンが、喋った!」
「シンジくん、落ち着いて」
気が動転しているシンジの腕を掴んだ相手は小首を傾げ、円らな瞳でこちらを見つめている。
くぐもってはいるが、先ほどの声に聞き覚えがあった。しかも頭から下は自分と同じ制服を着込んでいる。だが、シンジが思いついた人物と徹底的に異なっていのは、顔の部分である。
目の前に立つのはライオンだ。
ライオンの着ぐるみを被っている不審者なのである。
「ま、まさか、カヲル、くん?」
こくんと素直に頷いてはいるが、重力に逆らえない頭がもげそうな程傾いている。重そうな着ぐるみ(頭部のみ)を支えるにしては、どう考えても首が細すぎるのだろう。
何でそんな格好を、だとか、何故カヲルがここに、だとかさえも考えられぬまましばらく放心していること数分、暑さでうなだれがちな半獣にようやく気付いたシンジは「と、とりあえず、中に入る?」と招き入れた。
家の中にライオン、と何ともエキセントリックな光景が目の前にある。しかも茶菓子を添えた麦茶を啜ることもないままライオンは、絨毯の上で正座していた。
「ソファに座りなよ」
首、重いでしょう、とは言えない。
勧めてもライオンは首を横に振るばかりだ。その顔はと言うと、百獣の王とは似ても似つかない、歌のおにいさんの後ろで踊っていそうなほど間の抜けたものだった。しかも髭はしゅんと下を向いていて惨めだ。
常日頃から女生徒に黄色い声を上げて騒ぎ立てられている人には到底思えない。
沈黙が続く中、葛藤の末、ようやくシンジが口を開いた。
「何で、そんな格好をしてるの」
円らな瞳がこちらを向いた。
「暑くなかった?今日、炎天下だって、テレビで言ってたよ」
「暑かったし、今でも暑いよ」
「なら、どうして、何でそんな着ぐるみを?」
「だって」と呟く声はあまりに幼すぎた。
「これ、かわいいだろう」
「な、」
「こわく、ないだろう」
声が微かだが震えている。
シンジは着ぐるみに両手を添えた。しかしライオンはいやいやと首を振り、取られてなるまいと必死になって頭を押さえてくる。
「カヲルくん」
「いやだ」
どう考えても小さなこどもだ。シンジはおかしくなって、「カヲルくん」と再びライオンの名を呼んだ。すると力をそっと抜いたライオンは、肩を落としてその最後を待った。
着ぐるみをゆっくりと取る。ずっしりとした重みを感じながら、床に下ろし(視線が合うと嫌だし、さらし首がこちらを見ていようものなら何とも居心地が悪いので、目は扉の方に向けた)シンジは元ライオンを見た。
「カヲルくん」
頭にタオルを巻いていても、首筋には汗の粒が滴っている。何故だか汗をかかない性質だと思っていたものだから、素直にそのきらきらとした水滴に感心した。促すようにまた名を呼ぶと、彼がそっと顔を上げた。
はっと息を飲む。彼が来てから驚いてばかりだ。
渚カヲルという人はとても不思議なひとだとおもっていた。雨の日には差さないくせして、晴れの日には、内側に青空が描かれた傘を差しているような人だった。また、一歳しか変わらないというのにもっと年老いた人間の如く落ち着き払っており、常に深淵を覗くような目をして他者を見ている。
けれど今目の前にいるのは誰なのだろう。
渚カヲル、その人なのだろうか。
汗に塗れた顔をくしゃくしゃに歪め、「こわがらないで」と小さく零した彼は母親に叱られたこどものように背を丸くしていた。
不意に、三日前のことが頭を過ぎった。
フィフスチルドレンとして弐号機に乗り込んだ彼が見せた模擬戦闘は無駄がなく、雪消水のように流動しながら仮想の敵を悉く倒してみせた。躊躇いも、怯みも、恐れさえも感じていないのだろうか。鬼神の如く、次から次へと標的を変えては撃ち落とし続ける様を見せつけられ、いつの間にか背は粟立っていた。
そして無傷のまま地上に降り立った彼を見て、声もなくシンジは「こわい」と呟いていたのだ。何に対してだったのかは明瞭ではない。カヲル自身に向けてだったのか、それとも自分が用済みになる未来が見えたからなのか。
しかし、たったそのひとことだけで、彼はこんなにも傷ついている。
「考えたんだ。人の言うこと全てを受け流してきたけれど。きみが放った言葉だけは胸の内に留まって、離れやしなかったから、考えたんだ。きみはこわいと言った。ぼくがこわい、と。きみにそう思われたことが、真夜中、飛び起きて、急に恐ろしいことだとおもえたんだ。それはとても、おそろしいことだ。こわがられたら、かなしくなった。きみに弁明したくなった、悲しくなるから、怯えないでと訴えたくなった。こんな気持ちを、ぼくは知らない。知らない方がよかった。だって、シンジくん、とても、胸がいたいんだ」
勘違いをしていた。
大人びた言動に、彼はそういう長けた人間であるから、自分とは全く違うのだと信じて疑わなかった。何にも傷つかず、飄々と生きてゆけるのだと。
「ごめん、」
まるでこどもではないか。
自分とひとつしか変わらない、ただの十五歳の少年だ。
顎先を伝う汗が彼の鎖骨に落ちる。きらきらしたそれは、青葉に残る雨露のようにひかって見えた。
「ごめんよ、」
作品名:犀と歩く 作家名:夏子