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犀と歩く

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のはらに寝転がっていた。穏やかな風は頬を撫で、夏草を揺らす。
瞼を伏せたまま草きれの匂いを感じていた。それはむず痒いほどのやさしさで鼻先をくすぐる。
しかし手は、変わらず震え続けていた。指の先に神経を集中させ、幾度も手の平を開閉させる。
人を殴った手だ。
トウジを殴ったときとはまた違う。自分の怒りと衝動と意思で出た行為である。どれだけ落ち着こうとしても手の震えが止まらないのはそのことに対して畏怖を感じているからか。
瞼をそっと開ければ、何の障害も無い星空が百八十度に渡って広がっていた。
「どうして、ここにいるの」
引き攣る喉で出た声は、届くか届かない程に掠れていた。だが、確かに受け取ってくれた主は、シンジと同じように寝転がったまま星空を見上げていた。
月光を孕んだ秋のような色をした髪が、目の端で揺れている。おだやかなその横顔に、胸の中が驚くほど重たくなった。しかし風はただ吹くだけで、彼は黙りこくったままで、手はただ震えるだけで、誰も何も、その重さから救ってくれるとは思えなかった。
叫びだしたいと、しんと静まり返った星空の下で思う。つらい、くるしい、かなしい、いたいと、こどものように真っ正直に、そして卑怯にも喚きたかった。
「きれいなもの、ばかりだ」
星が瞬く。目の端で髪が揺れる。静かに零した言葉に、胸が波打った。涙の膜が眼球に薄っすらと張り、星空は滲んで歪んだ。
「きれいなものばかりだ。ぼくは、どうしたらいいんだろう。ミサトさんも、アスカも帰らないのに、この野原も星空も、何も変わりはしないんだ」
人ひとりが消えても、完成したジグソーパズルのピースが欠けるわけではないのだと、毎朝目覚める度に思い知らされる。当然のように朝はやって来るし、勿論欠かすことなく夜は更ける。
朝、彼女の大きな「バカシンジ!」という声が目覚まし代わりだった。昼、ぶすくれた顔で告白を受けている姿を廊下でよく見かけた。夜、眠れないのか冷蔵庫を開けて水を飲む音が寂しげにキッチンから響いていた。
彼女の、金色の豊かな髪について一度だけシンジはこう例えたことがある。
「稲穂みたいな色だね」
夕暮れを受けて靡く髪は、黄金の稲穂のように見えたのだ。しかし呟いた途端、頬をはたかれて話はそこで途切れてしまったが。
そっぽを向いた彼女は耳の裏まで真っ赤にして憤慨していたから、シンジはもう二度とその言葉は言うまいと心に決めたのだった。
だが、意地っ張りで、怒りんぼうで、そしてさびしがり屋の彼女が忽然と姿を消してから一週間が経過した今、再び会えたら面と向かって「稲穂みたいだってからかったんじゃなくて、秋風に靡く稲穂みたいにきれいだって、言いたかったんだ」と今度こそ告げたい。
この野原よりも、星空よりもうつくしいものなのだと知ってほしかった。
ざざざっと一際強い風が辺りを駆けてゆく。
いかりしんじくん、と誰からも掛けられた記憶のないような、やさしい声音で彼が呼んだ。
視界一杯に整った顔が広がる。頭の外側に両手をつき、覆いかぶさるようにして彼は真上に現れた。
瞬間、気の立った猫のようにシンジは相手を睨みつけ、威嚇していた。
今は誰にも近づいてほしくない。人を殴りつけた手や、赤く腫れた頬や、泥まみれの不恰好な姿をまじまじと見られたくはなかった。
けれど睨みつけられた相手はというと、薄暗い闇夜の中、にへらとただわらったのだった。
その向こうを、星が流れる。
日が暮れても、夜が来ても、星空がまたたいても、風が吹いても、何も言わず側にいた彼は、秋のような穏やかな瞳でこちらを見ていた。
「なんで、わらうの」
「うれしいからだよ。きみがやっとこちらを向いてくれたんだ、素直に喜ぶに決まってる」
「無理矢理視界に入ってきたんじゃないか。そんなの、ばかげてるよ」
「うん、」
「ばかだよ」
「うん、でもね、シンジくん。きみがどんなことをしても、どんなひどいことばを吐いたとしても、きみはとてもやさしいよ」
いやな奴じゃあないよ、と彼がわらう。
だからきらいにならないで、とわらう。
ゆっくりと上半身を起こし、彼と向き合った。すると徐に黄色の花冠を取り出した彼はシンジの頭の上にそっと乗せてまたわらったのだ。
「王女さまみたいだ」
ふざけているわけではない。だが、かわいいなあと彼は言った。
「変だよ」
「へんじゃあないよ」
星が流れ、草きれは揺れた。
ざわついていた心が、次第に落ち着いてゆく。
「へんなことは、ひとつだってないんだよ」
上級生に取り囲まれたのは丁度昼休みが終わる刻限だった。午後十二時五十五分。教室へ戻ろうとするシンジの腕を突然掴んだ彼らはどうしておまえは来ているのに彼女はずっと休んでいるのかと問い詰めるような口調で訊ねてきた。
性格を知らないアスカのファンは結構多い。タイプは異なっているが同じように整った顔立ちの綾波よりも社交性のあるアスカには、同級生のみならず、上級生からも覚えがめでたい。同じパイロットとして橋渡しを頼まれることも多々あった。
消息を訊きたいのはこちらの方だとささくれ立つ心情もあったが、彼らの心配する気持ちも分かる。シンジは「ぼくにはわかりません」とだけ答え、授業に向かおうとした。けれど、行く手を阻まれ、立ち往生する羽目になった。
「通してください」と訴えても退こうともしない。
「何か知ってんだろ」
「もしかして、おまえが監禁してんじゃねえの」
「キレたら何するかわかんねえ顔してっからな」
「おれたちはお前を特別扱いなんてしない」
「知ってることがあるなら、早く教えろよ」
言い散らした後、とりわけ大柄な男がシンジの襟首を掴み、足先が宙に浮くまで持ち上げた。高圧的な態度に常の自分なら怯んだに違いない。だが、男達は言ってはならないことを言った。監禁などと、アスカの状況を知りもせず、のうのうと言ったのだ。
かっとなり、視界が赤く染まったかと思うと、目の前の男を突き飛ばし、反動で引いた拳で男を殴りつけていた。その後は殴られ、蹴られ、散々な目に遭ったが、決して後悔はしていない反撃だった。
誇らしいとは言えない。だが、ぼろぼろのままコンクリートの上に横たわっていると、アスカだけは「よくやったわね、あんたにしては」と褒めてくれるような気さえした。
そう思うと、ぼやけた薄いなみだの膜が耐え切れずに零れた。
たった今、彼が当たり前のように隣にいてくれることに救われている。
秋のようでもあり、夜の雨のような静かな音にも彼は似ている。気付きもしないほどそっと側にいてくれるのだ。そんな姿を見て、涙が零れぬわけがない。
ぼたぼたと堪えきれずに零していると、目の前の彼は突然おろおろしだし、「どうしたの、どこか痛む?」と首を傾げた。それを見て思わず笑うと、また涙がこぼれた。
ひんやりとした手の平が、赤く腫れた頬にそっと触れる。シンジが驚いたように何度も瞬きをすると、彼が安堵したようにわらった。
「涙が、止まった」
彼から溢れ出た言葉と共にまた、ぼたり、と涙が草の上に落ちてゆく。星空の下、薄暗い夜の中、赤い彼の目だけがひかっている。
「あ」と間の抜けた声がした。
「ちがうんだ、カヲルくん。痛くなんかないんだ。ないんだよ、こんな頬くらい」
「じゃあ、どうして」
作品名:犀と歩く 作家名:夏子