可能性の話
「やっぱり、女としてのプライドのせいかな?弟君や自分の目的のためなら手段を選ばない君が、それこそ恋敵を殺してしまおうとする君は、どうして首を捨てなかったんだい?弟君の手の届かないところに持っていってしまえばよかったのに。彼が成長して、行動範囲が広くならないうちに。まだ月日がたたないうちにそうしてしまえば、弟君は首をあきらめたかもしれないよ?」
「・・・・・・・・・・・・・」
「ねぇ、なんでかな?」
ずい、と彼は波江のほうに目を輝かせて来る。
「・・・・・・誠二が、悲しむでしょう」
「それだけ?」
「それだけよ」
「本当に?・・・・・・・・ふーん。そっかあ。まぁ、今となっては彼と君をつなぐのはあの首だけってね。果たして彼に姉への家族愛があるのかな?」
「人並みにはあるわよ。誠二はやさしい子だもの」
「へぇ?人並みにはね?」
「もういいかしら。仕事に集中したいわ」
波江はうんざりして彼から顔をそむけた。しかし彼はお構いなしだ。
「彼はあの首の顔を愛している。けど、それは恋愛の愛なのかな?それは造形美に対する愛ではないのか。彼はただ、美に対する感情の高ぶりを恋愛の愛と勘違いしたのではないか?彼はネクロフィリアなんだろうか?人間の性的思考っていうのは実に多義にわたっているし、ただのフェチと精神的疾患とを分けるのも難しい。人間の特定の身体の部位だったり、状況だったり、それこそ人間じゃなくて物や動物に興奮する人もいるから、彼がそういう性的倒錯者だということもあるけれどね?」
「ちょっと、だまってくれないかしら」
「君が弟君に愛される可能性を論じているんじゃないか」
「いいから、黙ってちょうだい。仕事ができないでしょう」
「できない?気になってるんじゃないか、ほら」
「うっとおしいわね、まったく」
「・・・・・・・君がデュラハンになったら・・・・きっととてもきれいなんだろうね」
「一体何なのよ・・・・・」
長々としゃべったかと思えば急にトーンを落とす。完全に彼のペースに流されていることに彼女は腹が立った。まったくもってうざい。彼女は愛する弟を知った顔する彼に今すぐにでも机の上においてあるコーヒーをぶっかけてやるか、それとも夕飯の買い物がてらここから出て行ってしまうかを真剣に検討した。
「いや、本当に、思ったことを言っただけだよ?今が美人なだけに、デュラハンになったらきっととっても美しいんだろうね。きっと、弟君を落とせるよ。」
「そりゃどうも・・・・・」
「もしそうだとしたら、皮肉だよね。一番憎い恋敵と同類になって、人間でさえなくなって、声を失って、そうして愛する誠二君の心が手に入るんだ」
「あぁそうね。大変ね。」
そう返すと、彼はさっきまでの饒舌が嘘だったかのように急に黙ったので、波江は会話は終わったかと意識を手元に集中した。資料に目を通し、ファイルにまとめる。パソコンのメールを見、重要なものとそうでないものに分ける。途中、今日の夕飯は何にするかを考えた。
一方臨也のほうといえば、先ほどからガラス越しに外を眺めたまま何もしていない。その顔は部屋が薄暗いせいか、なぜか物憂げな感じに見えて、端正な顔を際立たせていた。肘掛に肘を置いて頬杖をついてる姿はなかなか画になっていて、波江は少しだけ苛ついた。しかしそんなことに気を少しでも向けるのが馬鹿らしいとでも言うように、波江の思考から上司のことなどすぐに消え去った。
そのまま仕事をすれば、自分に与えられた分はあっという間に終わり、後は上司に指示を仰がなければならない紙束たちが残った。
「ねぇ、臨也。この書類なんだけど」
久しぶりに上司を見れば、先ほど見た姿と少しも変わった様子がなかった。依然、何を考えているのかいないのか、やるべき仕事のほうではなくどうでもいい外の景色を眺めている。
波江は一度ため息をつくと、彼をこちらへ引き戻すべく、再び声をかけた。
「臨也、ねぇ、ちょっと」
それでも返事がないのでさすがに波江も苛ついてくる。声が少々乱暴になった。
「ちょっと!臨也!聞いてるの!」
「やっぱり困るな」
「は?」
ようやく口を開いたかと思えば、まったく的外れなことを言う。波江はもう一度書類の行方を聞こうとするのだが、
「うん。こまるよ。それは」
そんな彼女の事はお構いなしに彼は話し出してしまう。
「だってそうだろう?すでにそうなってるんだったら仕様がないけど、俺が生きているうちはそんなことはおきないでほしいね」
波江は頭が痛そうに、またため息をついた。この調子ではどうもこちらの話は聞いてくれそうにないので、さっさと言いたいことを言わせてしまおうと、話し相手になってやることにした。
「それで?何が困るの?」
「さっきの話だよ!人間が化け物になるって話!」
「それが?」
「困るんだ。そんなことになったら、人間でなくなってしまうんだろう?そんなことになったら・・・・。最初は面白いと思ったんだけどね。だってそういうのになるのって、御伽噺では何かやらかした人間におきるのが定番だろう?そんな人間はやっぱり見ていて楽しいしね。化け物になった後に何をするかってのも観察しがいがある。だけど」
「だけど?」
「人間でなくなったら、愛せなくなってしまうじゃないか。俺が」
「・・・・・・・・」
彼はこうやってよく真顔でこんなことを言うのだ。彼女としてはもう彼のそういった奇態、発言、奇行になれてしまったが、それのせいで仕事が円滑にすすまないのはどうしても許せない。
彼女は再三、ため息をついた。
「それで、この書類のことなんだけど」
「あぁ、それ?それはね・・・・」
せめて切り替えが早いのが救いだと、彼女は思った。