座敷童子の静雄君 1
年下に『君』呼ばわりは正直イラッと来たが、『さん』付けしやがれと言う前に、彼女はそのまますっと静雄目線で、綺麗にお辞儀をした。
時代劇に出てくる女優より、もっと背筋がぴんと張って、雰囲気も清涼というか凄く清々しくて。
まあ、夏場に噴水の水霧を浴びてるように気持ち良く、きっちり礼を尽くされているのが判ったから、静雄も強気に出るのを止めざるをえなかった。
「……るーがみえ、みぅ……うぅうぅ？……………」
「皇帝の帝の字に人と書いて『みかど』です」
「……みかろ、みかろ！！……」
「はい♪ そうです♪」
良くできましたと、満面の嬉しそうな笑顔でよしよし頭を撫でられて。
死にたくなった。何なんだ一体。
もう呪われてるとしか思えない。
（何で俺普通にしゃべれないんだよ。ああああああ、もう面倒臭ぇ。幽、お前の直感絶対外れてやがる、このクソ石の何処が幸運のお守りだぁ！！）
ついつい手に力が入ってしまい、左手で持っていたガラスの器がぱきぱき音を立てたかと思うと、粉々に割れ、細かく切られた黄な粉おはぎも、ぼたぼたと畳に転がり落ちる。
「きゃあっ」
(やっべー！！ やっちまったぁぁぁぁ！！)
慌てて拾おうと、身を乗り出し畳に勢いよく左手をつけば、ずっぽり五本の指まで中に埋まりやがる。
(うわぁぁぁぁぁぁぁ)
小さいとはいえ、五つも畳に穴をあけてしまい、もうパニックだった。
涙腺の弱いガキは堪え性がなく、またもや目の淵に涙が溜まりだす。
けれど。
「しずお君、手……ああ、ガラスは大丈夫みたい。良かった、ここだけで……」
ほんの少し切れた人差し指を、帝人がぱくんと口に咥え舌で舐める。
(ひぃぃぃぃぃぃぃぃぃ！！ ちょっと待てぇぇぇぇぇぇ！！)
かっちんこっちんに固まる静雄を他所に、彼女はごそごそとセーラー服のスカートポケットをまさぐって、ピカチュウ模様の絆創膏を取り出した。
「指、きつくないですか？」
元々痛みなんか感じない特異体質だし、ほんの三ミリの傷なんて、怪我の内にだって入らねぇ。
ぷくぷくの指先に黄色い絆創膏を巻き終えると、彼女は静雄を腕に抱き、己の左手に腰を下ろさせると、そのままとことこ歩いて障子を開けた。
「……どこ……いく？……」
「ガラスの破片を踏んでしまったら怖いですから。片付けが終わるまで、ちょっと避難お願いしますね♪」
障子の向こうは別世界だった。
自分は小中高と一貫して、修学旅行も連れて行って貰えなかった為、東京から全く出た事がない。
その上、ずっとマンション暮らしだったから、こんな縁側のある家なんて、上がりこんだのも初めてだった。
板張りの廊下から見た外の景色は、純和風の庭園だった。
あっちこっちに聳え立つ巨木も樹齢何百年だよって感じだし、綺麗に見栄え良く刈り込まれた木々に、玉砂利が丁寧に敷かれ、凄く手入れが行き届いている感じだ。
苔むした岩や石灯篭も配置され、それにお約束の錦鯉が泳ぐ、石橋まである池なんて。
それに竹垣とか隣家とか全く無く、見えるのは美しい木々や咲き乱れる梅の花、そして山。
ここの敷地、一体どれだけ広いんだよ？
庭だけでなく、家もでっけぇ。
平屋一階建らしいが、使われてる建材が、自分がいつも取り立てに行く客の家と全く違う。
(旅館……？ じゃねーよな。帝人はセーラー服だし。すっげぇ、個人の家だとしたら、これが『旧家』ってやつか？)
苗字もごついし名前も『帝人』だし。
でも、何で梅？
あれって確か、桜の前に咲くから、三月じゃなかったっけ？
(俺がいた池袋、確かもう秋だったよな？)
まじまじと木を見ていたら、何故かその木の根元の影が、どす黒くぼやけてきた。
セルティが威嚇の時に使う時のような、うねるような禍々しい影が、蛇行しながら玉砂利の上を飛び、まっしぐらにこっちに向かってくる。
ぞわりと背筋に悪寒が走り、嫌な予感がした。
こういう時の勘を、静雄は不幸にも、今まで一度も外した事が無い。
近場に標識なんてある訳なく、めぼしい武器もなければ、手段はただ一つ。
(ちぃ！！)
「……みかろ、にげろ……！！」
彼女の腕から飛び降り、拳を硬く握り締め、後ろに大きく振りかぶる。
「……うぉらぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ！！……」
「しずお君！！」
こんな小さな体だが、彼女の防波堤ぐらいにはなれる。
化け物の頭らしき部分めがけて飛び掛った。
☆★☆★☆
異形の物との格闘は、きっと２分とかからなかっただろう。
ぼこぼこにぶん殴った後、苔むした大岩を持ち上げ、どっかりと長い体を押しつぶしたのだ。
じたばたと身を捩って逃れようとする三メートルぐらいの化け物を、もう一回脳天めがけて拳でぶん殴る。
普通の動物なら、ここは急所なので大概死ぬ筈だが、やっぱりこいつはしぶとい。
五発、六発と繰り返し同じ場所を殴り続けたら、ようやくくったりと動かなくなった。
（一体、こりゃ何なんだ？）
セルティの放つ目くらましなんかと全く違い、しっかり質感がある。
「………『蛇は竜の使い』………」
血の気を失い、青白い顔になった帝人が、裸足でいつの間にか静雄の隣に来ていた。
彼女の眉毛は短い前髪のせいではっきり判るのだが、今は情けない八の字型になり、大きな青い瞳も、みるみる涙を溜めていく。
「……童子さま、私………、やっぱり逃れられないのかなぁ？もう二度と正臣に会えないのかなぁ？」
「……みかろ……？」
「……どうしよう、私、もうすぐ……、ふぅうう……」
へなへなと足を崩してへたり込んだ拍子に、大粒の涙が一つ、白い頬を伝って落ちた。
それが引き金になったのか、立て続けにぽろぽろと涙を零しだし、そのうち帝人は声を殺して泣き出してしまった。
もどかしい。
こんな小さな体では、彼女を抱きしめてもやれない。
それに何がなんだか全然わからねぇ。
この漆黒のでかい化け物は、蛇なのか？
なんで帝人は怯えてる？
それに『まさおみ』って誰だ？
「……みかろ、みかろ、らい……じょ……ぶぅ……」
（大丈夫、俺が側についてるって言いたいのに、なんで舌が回んねぇんだよ、うぜぇ！！
それに誰か、俺にとっととわかり易く、色々状況を説明しやがれ！！）
悔しさともどかしさにぎりぎりと歯噛みしながら、静雄は帝人が泣き止むまで、ぽしぽしと彼女の黒い頭を撫で続けるしかできなかった。
作品名：座敷童子の静雄君 1 作家名：みかる