Our Song
最初は開けっ放しの窓から流れて来た風かと思ったのだが、その手が耳に触れ、暖かな体温を伝えてきたから、水谷は誰かが自分の髪を撫でていると知った。ゆっくりと質感を確かめるように指が動く。その動作は優しくて、とても大事にしてくれているような印象を受ける。なんだか心地良い。このまま捏ねられてバターみたいに柔らかくなってしまいたい。
そう思った水谷がわずかに頭を傾けると、魔法のような手は、すっと静寂へ馴染んで気配を消した。名残惜しかったけど、手が与えてくれた感触でもっと大きな眠気が水谷をとろりと覆う。このうとうととした甘い感覚が、舌の上でふわふわと溶けるホイップクリームによく似ていた。まるでスポンジケーキの枕で寝ているみたいだ。幸せすぎる。ずっとこうしていたい。
しかし程なくケーキは崩れ、目が覚めた水谷はそれが汚れた練習着を突っ込んだ自分の鞄だと知った。
「あ、起こしたか?」
どうも花井はすれ違う際、水谷の頭を乗せた鞄に引っかかってしまったらしかった。
「……起きたよ、もー」
「悪い悪い」
見ていた夢がとても素晴らしいものだったから正直不満が抑えきれない。
「せっかく枕がスポンジケーキで布団が生クリームの夢見てたのにさー」
「うわー、蟻にたかられそうな夢だな」
花井から現実的な問題を指摘されると、まだ残っていた甘い夢の残骸が黒いツブツブにむしゃむしゃと食べられて消えた。
あれっ、と水谷は違和感に気づく。どうして花井の声が普通に聞こえてくるのだろう。確か寝る前にイヤホンをつけていたはずなのに。
プレーヤーはあの曲を再生し続けていたようだが、イヤホンは机の上で散らばり、頭を置いていた位置を白い線が殺人現場のように縁取っている。外した記憶はないのだが、もしかしたら睡眠の邪魔になって無意識に取ってしまったのかもしれない。
「おお、栄口配ってくれたんだな」
「へ? 何を?」
「それ、さっき決めたことのプリント」
広げっぱなしの台本の上へ見覚えのない紙が一枚乗っている。花井はそれをしげしげと眺め、できる限りシフト調節するから早めに言えよ、と言った。返してもらったその紙を読むと、野球部の出し物のあらましが栄口の字で書いてあった。
じゃあさっき寝る前に見た栄口は、もしかしたら夢じゃなかったのかもなぁ。水谷は二、三度強くまばたきをした。
「会議とかやったんだ」
「いる奴で大きなこと決めただけ」
「オレのほかにいない奴いたの?」
「巣山。部活終わるなり一組に拉致られてった」
憐れ巣山。水谷は同情した。
「細かいことは手が空いてる連中でやるから、水谷は当日どこ入れるかだけ教えて」
「多分オレ当日暇だと思うんだけどなぁ」
正直この劇が前夜祭の投票で上位に食い込み、文化祭当日も発表することになるとはとても思えない。むしろそれでいい。家族にでも見られたらひと月はからかわれるに決まっている。