Our Song
「オレは飴なんかいらないよ」
水谷が持つ右手の袋には中学のとき買った、というか親が勝手に買ってきてくれた革靴が入っている。すぐにサイズが合わなくなって履かなくなったが、昨日足を入れてみたら我慢できないほどではなかったので、新しいものを買いに行く暇もないし、これを劇で使うことにした。
ヨーロッパが舞台の劇を上履きで演じるのはおかしいから革靴持ってきて、と女子からお達しを受けたのだった。言われてみればそうなのだが、今まで誰一人として気づく者がいなかったということは、やはり皆追い詰められてどこか変になっているのかもしれない。
七組の劇は最初から最後までなんとか通してできるといったレベルで、取り掛かりが遅かったぶん、他のクラスと比べると完成度が低かった。
けれど水谷にしてみればかなり頑張ったほうだ。部活が終わったあと睡魔と戦いながら懸命にセリフを覚えたおかげで、もう自分のせいで流れが止まるといったことは無くなった。言い回しはまだぎこちないが、それは他の奴も同じだったから水谷は気にしないことにした。
今日は前夜祭の前日で授業がない。昼前には最後のステージ利用時間が待っている。気合を入れつつ校門までの道を進んでいると、前方に暗いオーラを出しながら歩いている巣山を見つけた。追いついて「おはよう」と声をかけたのだが、返ってきたのは力の抜けた声だった。
「ど、どしたの」
「劇が嫌で……」
「巣山の役、セリフないんだろ?」
「ないんだけどさ……」
「オレなんかセリフ間違えたらどうしようってすっげ緊張してるんだけど」
水谷がそう話すと巣山は深くため息をついた。
「そっちのほうがまだいい……」
「え、そうなの?」
「なんであのとき断っておかなかったんだろ……」
セリフがある自分のほうがいいだなんて、巣山は劇で一体どんなことをするんだろう。水谷には全く検討がつかない。
部室へ寄るという巣山と別れたが、そのおぼつかない足取りが不安になりつつ、後ろ姿を見送った。
いつもと違う校内の雰囲気に気持ちが高ぶってくる。教室の中に整然と机や椅子が並んでいないだけでこんなにも不思議な感じがするなんて意外だった。明日には七組も占いの館へと姿を変える。その前に一番問題の劇があるけれど。
ここ最近の習慣で、水谷は通りすがりのふりをして一組の中をちらりと見ながら歩く。まだ来ていないのか、机が移動されされたからか、いつもの場所に栄口はいなかった。口には出さず「ちぇっ」とつぶやき、がっかりした。