Our Song
最後のステージ練習で得たことは、革靴は足音がうるさいからなるべく静かに歩くこと、だった。そんな細かいこと、台詞でいっぱいいっぱいの自分は忘れてしまいそうな気がする。
今日も明日の前夜祭も部活はミーティングだけだ。劇に携わっているせいで部の模擬店に全く手伝えていない水谷は申し訳なくて、指定された会議室にいち早く集合したのだが、中には誰もいなかった。
ホワイトボードにおそらく花井の几帳面な字でミーティングが三十分遅れて行われることが書いてあった。このパターンはこの間も体験した気がする。
というか本当についさっき花井と教室で会ったのに、どうして教えてくれないのか。そう文句を言ったところで「知ってると思ってた」と返ってくるのだろうけど。
慌てて損した。水谷は教室へ戻ろうと思ったけれど、会議室に柔らかい西日が注いでいるのを見て、そのままドアを閉じた。
いいや、このままここで時間を潰そう。窓際の席へ腰を下ろし、日に照らされた暖かな机へ伏せると、みるみるうちに眠くなる。水谷はここ最近、劇で失敗したときのことを考え、緊張して寝つきが良くなかった。
このままでも十分眠りへ落ちることができたが、ふと思い出して後ろポケットを探る。ぐるぐるに巻かれたコードを解いて耳へつけ、スイッチを入れた。
水谷も栄口と同じようにあの曲をリピートで聴くようになった。手持ち無沙汰なときはいつもそうしている。好きな人の真似をするのはなかなか痛々しい行為だと自分でもわかっていたが、片思いをしているとこの曲がとても好きになってくるから不思議だった。
片思い。水谷はその単語に恥ずかしくなる。オレが使ってもいい言葉なのかなぁ。
背に当たる太陽が少し暑い気もするけれど、眠りにつくうち全然気にならなくなる。文化祭前でひっきりなしの喧騒も、誰かが廊下を走る音も遠く遠く、波に流されるように消え、水谷は心地よく意識を失っていった。
しかし体感として五分もしないうちに頭を叩かれ起こされた。水谷が目を覚ますと野球部のメンバーはあらかた席についていて、花井がホワイトボードの『三十分』という文字を消していた。叩いたのはどうも隣にいる阿部らしい。
とりあえず耳からイヤホンを外し、水谷はプレーヤーを止めた。ばきばきと関節を鳴らして身体を伸ばし、ふわあ、と大きなあくびをすると、もう片隣に座っている栄口から声をかけられた。
「水谷すっげー寝てたな、阿部三回くらい叩いたんだぜ」
「それマジっすか」
一、二回目の記憶が全くないことに驚いたが、会議室の時計があれからもう三十分過ぎた時刻を示していることにも驚く。熟睡って怖いなあ、そう考えながら水谷はイヤホンのコードをくるくると巻いた。
「何聴いてた?」
「え?」
「イヤホンしながら寝てたじゃん」
その問いに水谷が答えられるはずがなかった。栄口がずっと聴いていたあの曲で栄口のことを考えていました、なんてとても言えない。だってなんか気持ち悪いじゃないか。罪悪感すらある。
硬く口を閉ざしてしまった水谷へ、栄口は独り言のようにポツリとつぶやく。
「……関係ないとか言っといて都合いいよな、オレ」
そんなことない、と訂正したかったが、花井の号令でミーティングが始まってしまった。出せなかった言葉をもぐもぐと噛み締め、水谷は後悔する。でも正直に本当のことを言えばよかったとは到底思えない。
だってオレはなんかすごい気持ち悪い。栄口のことを好きな自分は、とてもみっともなくて気持ちが悪い。
隣の栄口がどんな顔をしているのかも確かめられないまま会議が進む。水谷は栄口との間を隔て、本当に鉄板でも入っているような気がした。