Our Song
主人公役の男子生徒から靴のことを指摘され、水谷は慌てて上履きを脱いだ。もうすぐ本番なのに全然気づいていなかった。しっかりしろよ、と言われたが、そいつもマントを止めた安全ピンが丸見えで女子に直されていた。
体育館まで近づくと、今やっている劇の音がする。ステージ裏で待機しているのは六組らしかったから、おそらく五組が上演中なのだろう。
「緊張するな」
水谷がぼそりとつぶやくと、隣にいた主人公が「言うなよ」と弱音を吐く。
「あーだめだ、逃げちゃいたい」
「オレも」
「な」
何もおかしくないのに変なところから笑い声が出て、二人で小さく笑ったら、体育館の中から拍手が湧き上がる。五組の劇が終わったのだ。続いて六組がぞろぞろとステージ裾へ吸い込まれ、ついに自分たちもあと少し、というところまで来てしまった。
水谷は初めから自分の台詞を復唱してみたが、途中突っかかる箇所があり、余計緊張してしまった。幕が開いたとき最初にいるのは水谷と主役の二人だけだ。台詞を忘れでもしたら誤魔化しがきかないのに、どうも失敗してしまう自分しかイメージできない。
話を進める上で便利だから存在している。それが水谷の役だった。台本から削ろうとすれば真っ先に無くせると思う。いてもいなくても本筋は変わらず、自分のどんな台詞にも意味は無く、最後に必ず主人公は死ぬ。
なぜか水谷は栄口のことを想像した。多分栄口の中での自分も脇役なのだろう。水谷がどんなに好きになろうとも栄口は他の子が好きだし、それでその子と付き合っても振られても水谷は栄口にまるで関われない。『関係ない』って、つまりこういうことなのだ。
そう暗くなったら逆にふつふつと落ち着いてきてしまった。邪魔なマントを翻し、静かにひとつ息を吐くと、覚えていた台詞がクリアに蘇る。今までやってきたことを繰り返せばいいだけなら劇なんか簡単だ。水谷は急に無敵になった気がした。
そうしている間に六組の劇も終わり、水谷は薄暗いステージへと上った。慌しく大道具が所定の位置に置かれ、王とその兵たちが並ぶ。水谷たちが幕前で喋り終わったら、すぐに幕を開け王宮の場面になる。次の自分の出番は中盤での主人公との会話、それが終わると何もない。
全ての準備が整い、完全に照明が落ちた。ほぼ全校生徒が集まって未だざわつく体育館内を静めるように七組の題目が読み上げられる。暗がりの中、幕の前で待機していると、あれだけ嫌だった人の目が黒い塊にしか見えなかった。
できる。
そう言い聞かせて眩しいスポットライトを浴びた。