こんなかんじ2
二人はメルヒェンの姿を見ると、驚いたように彼を凝視する。
突然エリーザベトとブラウに食い入るように見つめられたメルヒェンは訝しげに首を傾げた。
「どうしたんだい二人して。そんなところで何をしているの?」
「あ、貴方を探してたのよ!」
エリーザベトは安心したように声をあげながらメルヒェンを抱きしめた。
突然の事に目を白黒させながらもメルヒェンは彼女を受け止める。
無事に姿を見せてくれたメルヒェンに安心したのか
エリーザベトは蒼い瞳に涙を浮かべながらメルヒェンを叱った。
「稽古中に突然いなくなるから、また何かあったのかと思って探していたのよ!」
「あ、ああ…その、少し体調が悪くて寄宿舎に戻ってたんだ」
「それならそうと誰かに伝言しておきなさい!というか私に言いなさいなちゃんと!
無事ならそれでいいんだけど…ああ、良かった何も無くて…!」
ぎゅうぎゅうと抱きしめられ、メルヒェンは苦しそうに顔を歪めながら苦笑いを浮かべる。
嘘をついた罪悪感が胸を襲ったがそれから視線を逸らす。
ふと顔をあげるとエリーザベトの後ろでこちらを見ながら呆然と立ちつくしているブラウと目が合った。
彼もどこか拍子抜けした顔をしているのに気付き、メルヒェンはエリーザベトに言う。
「エリーゼ、ブラウに余計な事を言ったの?
彼は昔から心配性なんだ、あまり心配させるような事は言わないでね」
「そうだった!やっぱり私の勘違いだったみたいで…ごめんなさい子爵」
申し訳なさそうに謝るエリーザベトにブラウは曖昧に微笑んだ。
「メルも見つかったことだし、私も稽古に戻らなくちゃ。
皆にメルの体調不良の事を伝えておくから
もし出てこれそうだったらメルもいらっしゃいね」
エリーザベトは口早にそう言ってその場から去っていった。
メルヒェンとブラウは彼女が去った後、視線を合わせて無言で見つめ合う。
無表情ではあるが蒼い瞳が探るようにじっとこちらを見るものだから
メルヒェンは先程までイドルフリートと共に過ごしていた事に罪悪感を感じ
思わずブラウから視線を逸らして俯いて足元を見てしまった。
その僅かな仕草がブラウの中にあった僅かな疑心を大きくしてしまうとも気づかずに。
「本当に体調が悪かったから休んでいただけ?」
「え?」
「…誰かと、一緒に居たとかではないんだよね?」
そう言いながら顔を覗きこまれ、メルヒェンは必死に冷静を装って頷いた。
「そうだよ」
しかしそれがいなかった。
頷いた瞬間、長い髪がさらりと揺れた事によって首筋についた紅い痕がブラウの目に入ってしまった。
ブラウはメルヒェンの首筋にあるそれを見た途端、カッと頭に血が昇るのが分かった。
ダァン!と大きな音を立てながら両腕をメルヒェンの顔の横につく。
逃げ場の無くなったメルヒェンは突然の彼の豹変ぶりにびくりと肩を跳ね上げ
目の前にあるブラウの不機嫌そうに歪められた顔にごくりと唾を呑んだ。
「じゃあこれはなんだ…!」
「これ?」
「その首筋にあるものは何だって聞いてるんだよ…!」
「く、首筋?」
メルヒェンは訳が分からないといった顔で自分の首に触れる。
そこに何かあるような感触は無い。
彼は何を言っているんだろうかと眉を潜めたところで
そういえばイドルフリートが自分の帰り際に酷く満足そうな顔をしていた事を思い出す。
(あいつ、キスマークをつけたな…!)
すぐにそう気づいたメルヒェンは、ファントムに逢っていた事がバレてはいけないと
冷静を装って、ああ、と頷きながら真っ直ぐにブラウを見つめた。
「これは虫刺されだよ」
「虫刺され?」
「そう。君ったら何と勘違いをしたの?」
「…いや」
くすくすと笑うメルヒェンに、ブラウは口籠りながら一歩下がる。
壁から解放されたメルヒェンは心の内で安堵した。
「それじゃあ、僕もそろそろ稽古に戻るから…」
メルヒェンはそう言ってブラウの前から去ろうとする。
だがその途端、ぐいっと腕を強く引かれて体重が後ろへと移動した。
バランスを崩し後ろに倒れ込みそうになったかと思うと、首筋に痛みが走った。
「あ!」
後ろからブラウにきつく抱きしめられ、首筋を吸われていた。
突然の事に驚いてメルヒェンは身体を強張らせる事しかできない。
「ブラウ…駄目だ」
「何故?」
「こんな、誰が来るかも分からない場所で…っ」
首筋に顔をうずめられ、メルヒェンは小さく震えながら恥じいる。
今こそ人のいないホールだが関係者なら誰でも出入りのできる場所だ。
身を竦ませて掠れるような声でそう言うメルヒェンに
渋るような顔をしながらもブラウはそっと彼から離れた。
メルヒェンは自分の両手で口づけられた首筋を隠しながら顔を真っ赤にして振り返る。
ブラウはそっと指先で桃色に染まったメルヒェンの頬を撫でながら囁いた。
「虫に、嫉妬した」
「しっと、て…!」
「…というわけでそれは虫よけだ。
それじゃあ僕はこの後、援助金について支配人と話があるから失礼させて貰うよ。
今度逢うのは舞台の初日だね。成功を祈ってる、稽古頑張って」
してやったり、とでもいうように少し意地悪な微笑を浮かべてから
ブラウは踵を返してメルヒェンの前から去っていく。
彼の後ろ姿を見えなくなるまで睨むように見送ってから、メルヒェンはその場にしゃがみ込んだ。
左右に一つずつキスマークがつけられた首筋がいやに熱い。
(イドルフリートとブラウ、僕は一体どちらの事が…)
久しく再会した幼馴染と崇拝してやまなかった音楽の天使。
しかし音楽の天使の正体は、悪魔のような殺人鬼。
イドルフリートはメルヒェンにとって一人の男であって、音楽の天使でもある。
恐ろしい存在ではあるが、彼の歌を聴けるのならば何を犠牲にしても良いと思う。
傍にいるだけで幸福の絶頂に押し上げられるのだ。
そしてブラウ。彼といるととても心が落ち着く、ずっと傍にいたいと思う。
二人の男の間で心を揺らがせるメルヒェンは、酷く不安定だった。
(駄目だ、最近…凄く気分が悪い)
何かを考えるだけでぐらついてぼうっとしてしまう。
自分の心を強く心を揺さぶる二人の男が、メルヒェンは酷く恐ろしい。
イドルフリートとブラウ、このどちらもがメルヒェンには自分を堕とす存在に思えてならなかった。
喜劇『愚か者』舞台公演初日のオペラ座。
一つの席も余す事なくチケットは売り払われ、貴族たちがオペラ座へ押し寄せる。
その中で支配人の二人はオペラ座一のパトロンの後ろ姿を見つけて声をかけた。
「本当に五番ボックスでいいのか?」
「満席で空いているのは此処だけだろう。
それにオペラ座のパトロンである僕がファントムなんかに席を譲る義理は一切無い」
ブラウは今回、ファントムがいつも席を空けておくようにと
指示をしている五番ボックスに座ると宣言していたのだ。
「何かあっても保障はできないぞ…」
エレフセウスの言葉に肩を竦めてからブラウは五番ボックスの席についた。
支配人の二人も別のボックス席へと向かう。
緞帳の裏の舞台上では奇抜なメイクをした貴族役の団員達がスタンバイしており
舞台中央に置かれた天蓋付きの大きなベッドの上には