水の器 鋼の翼3
3.
工場跡近くの海岸に、レクスは立っていた。手には、この土地の測量結果を示す携帯端末が握られている。
「うん。ここの地盤はしっかりしているな」
地面をとんとんと踏み締めて、レクスはうなずいた。
測量を終えてレクスが次に向かったのは、近辺のゴミ捨て場だ。ここには、あのゼロ・リバース以来からの廃材が山のように積まれている。ゴミ山の中から鉄筋を一本引っ張り出し、状態を注意深く確認する。所々錆びついているが、強度は申し分ない。
「材料の調達も大丈夫」
壊れかけの荷車に鉄骨などの廃材を載せられるだけ載せ、D-ホイールで引いて元の場所に戻る。調達した材料を地面に放り出し、レクスは海の向こうの橋をしかと見据えた。
こちら側から橋をかけて、サテライトを脱出する。それが、考え抜いた果てにレクスが出した結論だった。
波の音に紛れて、何かを打ちつけるような鈍い音がする。聞き慣れない妙な音を聞きつけて、付近の住人が何だ何だと集まってきた。
音の中心にいたのは、一人の男。この辺りでは見慣れない人物だった。彼は、大きなハンマーを力強く振り下ろし、海岸に鉄骨を打っている。その鬼気迫る様子に、誰もが彼に声をかけるのを躊躇った。遠巻きにして男の成すことを見ているしかなかった。
ようやく男に声をかけられるようになったのは、鉄骨があらかた打ち終わるころだった。
ギャラリーの中にいた若い男が、恐る恐ると言った体で男に――レクスに話しかけた。
「な、なあ。あんた何やってんだ?」
「……橋を造っている」
ハンマーを振り下ろす手を止めずに、レクスは質問に答えた。
「橋って」
「できる限りの調査は済ませた」
「でも、それって」
「あちら側の橋に正確に繋げられるよう、角度も調整した」
「どうして、そんな馬鹿げたこと」
「このサテライトから、自由に出て行けるようにするためだ。ここの住人全員で」
若い男は絶句した。ここから橋をかけて向こう岸に繋げるのに、どれだけの時間が必要になると思っているのか、この男は。そう言いたげな顔だった。
一本目の鉄骨を打ち終え、レクスは次の鉄骨を取りに行く。四苦八苦して鉄骨を地面に突き立て、先ほどと同じようにハンマーで撃ち込んでいく。
横から、レクスに容赦ない言葉がかけられる。――あんたはいかれてる。正気じゃない。こことシティじゃ大分離れてるぞ、などなど。それでも相手が耳を貸さずに手を動かし続けているので、駄目だこれはと肩をすくめてレクスから離れて行った。
何を言われようが、レクスの心は既に定まっていた。
サテライトの住人には、自由がない。いかだを造って海に漕ぎ出しても、やがてはセキュリティに捕まり、マーカーを付けられて連れ戻される運命だ。少人数で脱出しても、容易くセキュリティに捕えられてしまう。
だが、こちら側から橋を架けたなら。橋を伝って大人数でサテライトから脱出することができる。一人では世論に黙殺されてしまうだろうが、大勢で訴えかければその声を届けることができるかもしれない。サテライトの惨状を。セキュリティや治安維持局の非道を。
起こしてしまったゼロ・リバースの償いをするために。サテライトから出て、兄から託された使命を果たすために。例え、どんなに時間がかかろうとも、絶対にやり遂げてみせる。
周囲の人間が、狂人を見るような目でレクスを見ている。それに構うことなく、レクスは黙々と働き続けた。
橋を造るのには、困難を極めた。
材料はゴミ捨て場でかき集めたジャンク。使える道具も限られている。他人の助力など、望めるはずもない。ここで頼れるのは、自分の力のみだ。
試行錯誤を繰り返し、どうにか浅瀬に橋脚を建てられるまでになった。
ある時は、台風が接近していることに気づかず、荒れ狂う海の上で慌てて補強を行ったこともあった。無論、間に合う訳はなく、次の日には数日分の努力の結晶が波打ち際に打ち上げられた。
悄然とするレクスの背後で、幾人もの嗤う声がする。半壊した橋と、レクスを指差し嗤っている。
「やっぱり無理だったんだよ、こんなこと」
「いい加減あきらめな」
集まって来た野次馬の最後の一人が過ぎ去ったころ、やっとのことでレクスは立ち直った。海に散らばった鉄骨を集めるべく、服が濡れるのにも構わず、彼は波打ち際へと入って行った。