水の器 鋼の翼3
4.
それからも橋の建設は、休むことなくレクス一人の手で続けられていた。
橋脚は既に二本建て終わり、作業は三本目と四本目にかかっている。海の上では、小さなボートに乗ったレクスが、基礎の鉄骨をロープで縛り上げている。
その様子を、工場跡の船着き場から眺める者がいた。ここ一帯を縄張りにしている住人たちである。
「あいつ、まーだやってるよ。懲りない奴だねえ」
船着き場に腰を下ろし、若い男が心底呆れたように言った。彼は、面白くなさそうに足をぶらぶらさせ、しまいにはごろんと寝そべる。そうそう、と隣にいた茶髪の男が同意した。
「奴がいつ橋を放り出すかって賭け、俺は一ヶ月後に賭けてたのにさ。せっかくの金がぱあだよ、ぱあ」
面白くなさそうにぼやく茶髪に、若い男はころりと起き上がって、
「あ、それ、俺も賭けてた。三日後で」
「そりゃいくらなんでも早くね?」
ここまで橋の建設が続くとは、誰一人として予想していなかった。早い内に打ち捨てられてしまうとばかり思っていた。何かに期待しても無駄なのだと、彼らは身をもって知っていたつもりだった。ここには、すがれるような希望などない。
二人の横にいたゴマ髭の男は、彼らのやり取りに加わるでもなく傍から見ていた。やがて、軽く背伸びして橋を眺めやる。
「……あれ、たった一人で建ててるんだよな」
ぼそっとつぶやかれた言葉に、若い男と茶髪の男は顔を見合わせた。その言葉の真意を、二人が問おうとしたその時だった。
「おい、あれ」
茶髪の男が、海岸の異常事態に気がついた。何だ何だと残りの二人が同じ方向を向く。遠くの方から見覚えのあるごろつきが二人、こそこそと忍び寄っているのが見えた。
「これでよし、と」
ロープを堅く締め上げて、レクスは一息ついた。
橋脚を見上げると、薄汚れた雲に紛れて青空が見える。もうそろそろ、橋げたを渡してもいいころ合いだ、とレクスは考えた。そうすれば、この橋ももう少し橋らしい形になる。
次は四本目の橋脚だ、とボートを漕ぎ出そうとしたレクス。そんな彼の耳に、妙な音が届いた。ざくざく砂を踏む音が複数と、がたんと何かが倒れるような音が一つ。
不審に思ったレクスは、岸辺の方を眺めやった。――男が二人、赤銅色のD-ホイールに群がっている。
「しまった!」
ここしばらくの間、あのD-ホイールは狙われたことがなかった。だから、つい油断してしまっていた。彼らは、レクスの隙を突いてD-ホイールを奪おうと画策していたのだ。
このままでは、D-ホイールが彼らに奪われてしまう。あの中には、大事な「腕」があるのだ。
慌ててレクスは着ていたジャケットをボートに投げ、海に飛び込んだ。身動きのままならぬ海の中で、必死に水をかき分け陸を目指す。
D-ホイール泥棒たちも、レクスが岸辺に向かって泳いでくるのを察知した。泥棒の一人が、もう一人の仲間を急かす。
「おい、感づかれたぞ! 急げ!」
「おう」
レクスの奮闘も空しく、D-ホイールはじゃりじゃりと砂を踏んで街の方へと押されていく。レクスのいる位置からは、どんなに急いでも到底間に合わない。
D-ホイールは、泥棒たちの企み通り、今にも盗まれようとしている。空しく波に揺られながら、レクスは一瞬全てをあきらめた。だが。
「てめえら!」
一際大きな怒鳴り声が、海岸中に響き渡った。あまりに大きな声だったので、一部は工場跡の建物にきいんと跳ね返る。
ゴマ髭と茶髪と若い男の三人組が、D-ホイール泥棒の行く手を遮る風に立ちはだかっていた。
泥棒たちの肩がびくりと引きつり、D-ホイールは砂に深い轍を刻んで止まった。予想もしなかったところからの邪魔に、彼らはどこかしら怯えている。
「な、何だよう」
「そのホイール、大人しくここに置いてけ。今すぐにだ」
「あ?」
「じゃないと……」
ゴマ髭が、不敵な笑みを浮かべて拳を鳴らした。彼の後ろには、その辺に落ちていた木材や鉄パイプを拾い上げて、軽く振り回している茶髪と若い男の姿。泥棒たちは、即座に自分たちの不利を悟った。
ごとん、ずしゃ、と鈍い音を立てて、D-ホイールが地面に横倒しになる。
「畜生! お前たちもD-ホイール狙いだったのかよ!」
「覚えてろ!」
あらんかぎりの罵声を飛ばしながら、泥棒たちは一目散に逃げて行った。負け犬の遠吠えに見向きもせず、三人はその場にたたずむ。D-ホイールに触れるでもなく、造りかけの橋を打ち壊すでもなく。
全身びしょ濡れになってレクスが海から上がってきた時も、彼らはそこにい続けた。
レクスは、波間から一部始終を目撃していた。ぜいぜいと荒い息をつきながらも、彼は三人組に聞かずにはおれなかった。どうして、彼らはレクスのD-ホイールを守るような行動を取ったのか。
「どうして……?」
「どうしてって、俺の方が聞きたいよ」
レクスの問いに、先頭にいたゴマ髭が、自嘲混じりに答えた。
「何だって俺たち、こんなことしちまったのかね」
そう言い残すと、ゴマ髭はさっさと踵を返して街へと戻って行く。それに茶髪が続き、最後に若い男が手のひらをひらひらと軽く振ってその場を後にする。
横倒しになったD-ホイール。その前で、レクスは呆然と立ち尽くしていた。D-ホイールを引き起こすのも忘れて。
D-ホイールに収納していた「腕」は、無事だった。
その日は、その後何事もなく終わった。