水の器 鋼の翼3
6.
支援の手が一気に増えてからは、橋の建設スピードが目に見えて向上した。
四本目の橋脚は数日で建ち、念願の橋げたを想定よりも遥かに早く架けられるようになった。これまで一つきりしか奏でられなかった作業音に、複数のハンマー音が加わり、橋の周辺は随分と賑やかになった。
橋は、日に日にその長さを増していく。多大な成果を目の当たりにし、橋に懐疑の目を向けていた住人たちの認識が変化した。以前にはレクスを冷笑していた人間が、気がつけば仲間に加わって鉄骨を担いでいたなんてこともあった。助力を申し出る人々を、レクスたちは全て受け入れた。
誰が最初にその名を呼んだのか。いつしか、橋には「ダイダロスブリッジ」と名が付けられていた。
ダイダロスとは、ギリシア神話に登場する登場人物の名だ。ダイダロスは、息子と共に自ら造った迷宮に閉じ込められた。それでも彼は背に翼を付け、迷宮を脱出したのだ。
自ら造ったという下りが、レクスの心に重く圧しかかる。このサテライトの地は、モーメントが引き起こしたゼロ・リバースによって、脱出不可能な迷宮と化した。迷宮の中心には神話のミノタウロスの如く、地縛神が牙を研いで次の生贄を待ち構えているのだ。レクスにしてみればある意味、皮肉な命名だった。
自分が何者であるか、どこから来たのかを、レクスは誰にも明かすことはなかった。ゼロ・リバースの真相は、レクスの胸の内に封印されたままだった。仲間たちには、西側で生活できなくなったとだけ説明した。それで大抵の人間は納得してくれた。B.A.D.には、話せない過去を持つ者は幾らでもいる。
橋を架ける仲間たちの身の上は、人によって様々だった。
家が近辺にあった者。かつての職場に愛着があって、どうしてもこの土地を離れられなかった者。レクスと同様に西側で生活していたが、何らかの理由でそこを追われた者。シティからサテライトに流刑された者。中には、ドミノシティに観光で来ていて偶然巻き込まれた者もいたりした。
あのゼロ・リバースは、今まで普通に生きていた人々の運命を狂わせてしまった。モーメントの研究開発に携わっていた者の一人として、何らかの形でその償いをしたいとレクスは考えた。自分の分、いなくなってしまった人たちの分、そして何よりも、兄の分まで。
ダイダロスブリッジは緩やかに弧を描き、太陽へと背を伸ばす。日光の強烈なまぶしさに目を細めつつ、レクスは橋を見上げた。
サテライトからシティへ架かる、希望の橋。その噂はB.A.D.のみならず、地割れを挟んだ向こうにまで伝わっているらしいと、橋の建設に携わる仲間が教えてくれた。
サテライトから出ることを許されず、一生をここで終えること。それが、サテライトの住人に課せられた運命だった。残酷な運命に人々は絶望し、生きる気概を失っていた。
そんな絶望もこの橋で終わりにしたい、とレクスは思う。何があっても、サテライトとシティを橋で繋げて、元の通り一つに戻す。この橋を文字通り、希望の橋にする。
たった一人だけでは困難なことだが、これだけの仲間たちがいてくれたら、どんな運命にも打ち勝てるような気がするのだ。
――その日、ダイダロスブリッジの上空に、B.A.Dでは聞き慣れない羽音が響いた。
「……おい、何だありゃ」
上で橋板を打ち付けていた男が、手を止めて音のする方向を見やる。付近で作業に携わっていた者たちも、釣られて辺りを見回した。そうして、羽音の正体を知るや否や愕然とする。
「ちょ、嘘だろ……!?」
セキュリティ所属のヘリコプター。それが一機、耳障りなプロペラ音を鳴らしながら、橋の周辺をぐるぐると円を描いて飛んでいた。
「セキュリティが、何だってこんなとこにいるんだよ!」
続いてパトカーが数台、派手なサイレンを連れ、工場跡の道路を縫ってやって来る。セキュリティのサテライト支部は西側にあり、境には深い断崖があったはずなのだが、一体どうやってB.A.D.くんだりまで来れたのか。
そう、容易く来られる場所ではないのだ、B.A.D.は。車両の自由な往来は、大規模な地割れによって阻まれてしまっている。おまけに、B.A.D.はサテライトの他の地域と比べてゼロ・リバースの被害が著しく、復興するのには多大なコストがかかる。だからこそ、セキュリティはB.A.D.の治安維持を完璧に投げていた。流刑された重罪人がこちら側に溜まり出したのも、セキュリティの目が行き届かない地だったからだ。
それが、この状況はどうだ。今までのセキュリティからすれば、あり得ないほどの働きぶりだ。ダイダロスブリッジは、想定外の展開に上も下も酷くざわついた。
一台のパトカーから、セキュリティ隊員が二人飛び出した。彼らは橋の下まで駆けつけるや否や、作業をしていたメンバーに向かって大声で警告を出した。
「サテライト住民に告ぐ! 諸君らの橋の建設は中止だ! 速やかに全ての作業を放棄し、我々の命令に従え!」
リーダーであるレクスは、材料調達に出かけていてここにはいない。ブリッジ上の男たちは、セキュリティに従うかどうか迷い、お互いに顔を見合わせたが、
「命令に従わぬ場合、セキュリティ及び治安維持局に反逆の意あるものと見なし、相当の刑罰を与える!」
罪に問われれば、顔面にマーカーを刻印され、収容所送りにされる。それも反逆の罪となると、恐らく無事に帰ってはこれまい。
奴らは本気だ。一度命令を拒否すれば、警告通りこの場の全員を捕縛し、裁判なしで収容所に送りつけるくらいは簡単にやってのけるだろう。
ダイダロスブリッジの面々に、逆らう術などなかった。
「くっそぉ。せっかくここまで来たってのに」
「やっぱり俺たち、一生このままなのかな」
「そんなことはないぞ。そんな、ことは……」
近くにいたセキュリティ隊員ににらまれ、彼らは一様に口をつぐんだ。
ダイダロスブリッジにいた人々は、大勢のセキュリティ隊員に包囲され、一所に寄せ集められている。セキュリティ側はすぐに尋問を行うでもなく、集まった顔ぶれから何者かを探しているようだった。
得体の知れないセキュリティの対応に、人々は段々不安になってきた。小さなささやき声が、過ぎる時間と共に大きくなって波紋のように広がる。これから自分たちはどうなるのか。やはり、何をしても駄目なのか、と。
と、そこにD-ホイールのエンジン音。間の悪いことに、レクスが数人を引き連れて出かけ先から戻ってきたところだった。
レクスは手分けして荷物を地面に降ろそうとしたが、いるはずのないセキュリティがいるのに気づいて、その動作がぴたりと凍りつく。
部下に拘束を命じようとした上官の隣で、一人のセキュリティ隊員が端末を開いた。端末の画面と見比べ、慌ててレクスを指差しこう言った。
「あの男です、治安維持局から指名手配されているサテライト住民は!」
その場のセキュリティの目が、一斉にレクスの方を向いた。