とある悪魔の胸の内
隣ではもう、連れの悪魔が我慢できなくなったようで、わんわんと泣き喚いていた。
『こ、このアホ女! ばか女! なんで、死んでもうたんや…! はねられたぐらいで…!
…もうセクハラなんかせえへんから…役に立ったるから、目ぇ覚ましてくれ。なあ。
今まで悪かったって。なあ、さくちゃん。さくちゃん、起きてぇや、なあ、さくちゃん。
さくちゃんの嫌な事、もうせえへんし、仕事するから。なあ、さくちゃん、さくちゃん…』
涙も鼻水も一緒になるぐらい垂れ流して、悪魔が泣いていた。
私も、彼のように身も世も無く泣き喚けたら。
それで彼女が息を吹き返すなら、幾らでもそうするのに。
私は、泣けなかった。
彼女の声が二度と聞けない。
彼女が二度と笑ってくれない。
彼女のカレーを食べられない。
彼女の膝の上で眠れない。
そんな現実を、信じたくなかった。
***
あの日を最後に、私は人間界と決別した。
もう永い間、人間とは係わらず、魔界で時を過ごしている。
長いようで、短い付き合いだった。
私の恋は、告げる事も無く、終わってしまった。
彼女が居なくなった事を告げた時、嫉妬の女悪魔が私にこう言った。
「……そう。残念だわ。あのこ、結構気に入ってたのに…。だから人間に係わるのは嫌
なのよね。私達より欲深くて汚い所だって沢山あるのに、滅ぼそうだなんて事は思えな
いし。たまに好きになりかけたら、気になるだけ気にならせて居なくなっちゃうんだもの。
ホント、ずるいったらないわ。でも……そう、人間は、どうしたって私達よりも先に死んで
しまう。そういう儚い生き物だからこそ、時々妙に愛しいと思えるんだろうね。あーあ、私
も深入りしないようにしなきゃねー」
身体の下半分が魚類の女悪魔は、言いながら涙をこぼしていた。
そう、死んでしまった彼女は、あれだけ悪魔に無体を強いていながらも、珍しく、悪魔
に憎まれない人間だった。
彼女の魅力が何だったのかは、永い間考え続けてみたけれども、未だに解らないま
まだ。
けれども確かに、彼女には何かしらの魅力があったのだ。
そして、彼女は私が初めて恋をした、人間だった。
恐らく最初で最後の、人間の女性だろう。
幸いにして、あのスーツの男は私と仲間のグリモアを本当に焼いて捨ててしまったの
で、私達には二度と、契約者は現れない。
文字通り、修復不能なまでに跡形も無く粉微塵にしてしまったのだから。
これでもう、私達は誰に使役されることもない。
自分から望まない限りは。
私達を呼び出す術が無いからね。
彼女がいなくなった世界には、私はもう気紛れにでも出掛ける気にはならないから、
それだけはあの男に礼を言いたい気分だった。