closer
首を傾げる公麿に対しての真坂木の説明の内容は以下のようなものだった。上からの命令で、改変された世界を公麿に見せる必要があった。その際記憶を有していないといけない、公麿の記憶だけ残し後は全て書き換えた。そう伝えられた。そして……
「このままですと、こちらの世界に取り残されてしまいますので、今回は記憶をお持ちしました」
「記憶?」
「はい、こちらの世界での記憶です……」
これがないと、歴史、生活慣習、その他諸々と変化しておりますのでお辛いと思いますよ。と付け加えて…………
「それ受け取ると今の記憶どうなんの?」
「消させていただきます」
「じゃあ、いいよ」
「そういうわけには……」
大変ですよ、これから生活していく上で、そう続け覗き込む真坂木を公麿は睨んだ。
「両方って無理なの?」
「出来ますが、そうしますと……大変苦労なさるかと……」
「今でも充分だよ」
とにかく失いたくないのだと主張すると仕方ないですねと真坂木は前置きした。
「貴方様に関しては上の方からなるべく意向を添うようにと言われてますので、これはサービスですよ」
ポンと不気味な顔がついた杖で頭を叩かれた。
叩かれる前に『記憶注入っ』と変な動きでくるくると周囲を回られたのは解せないが、その言葉と衝撃と共に記憶が押し寄せてきた。それは、この世界の公麿の十九年分の記憶、経験が全て流れてくる。人はこんな風にデートとして記憶を受け取らない、それは一つ一つ積み重ねて一気に押し寄せてくる多すぎる情報量に公麿は吐き気を感じた。
「ほら、言いましたでしょ。混乱しますよって……」
二つある記憶のどちらかが本来の自分の物なのか判らない、同じようで、何もかも違う二つの記憶と経験が脳内で、体内でまるで食い合う二匹の動物のようにうねり、絡み合っている。相容れないモノ同士は、混じり合うこともなく、水と油のように乖離していく、そして二つの異なった記憶という矛盾だけが積み重なっていく。
「大丈夫ですか? 今からでも消去できますが……」
「これでいいから……」
激しい頭痛と嘔吐に耐えながら公麿は頭を振った。その些細な動作ですら、今では辛い。
「それでは、これで本当に失礼しますよ」
「待って、真坂木」
「また、金融街へ……」
「じゃなくて、あの人のことなんだけど……」
頭痛に耐えながら公麿は、三國の記憶に関して問いただした。彼は全て書き換えられてしまったのかと……
「そういたしました。ですが、元アントレの方は少々やっかいでして、上手く処理できないこともありまして……」
ただでさえ激しい頭痛に苛まれているのに、ピンク色の道化がくるくると公麿の周囲を衛星のように回転している。
「なんといいますか、夜をお楽しみ下さい」
「夜?」
その言葉に、はっと思い出したのは、こちらでの記憶で、自分と三國とが性交をしようとしている所だった。記憶の方は快い経験なのか、しきりに好感情を導こうとするが、こちらの公麿としては戸惑うしかなかった。嫌悪感が沸き上がってこなかったのは、頭痛と嘔吐のが勝っていたのか、それとも…………
「はい、そうすれば記憶を書き換えられたアントレのことが判るかと思います」
それでは、と大仰に挨拶をするとパチンと、世界は元の流れに戻った。固まっているように見えた三國が動き出した。
「どうした?」
頭を抱えている姿を見て心配しているのか、不安げな声と表情の三國が公麿を見つめている。
時が止まっていた三國からすれば、急に頭痛で苦しむ公麿が目に入るのだから慌てるのも仕方がない。なによりも、彼にとっては、病上がりでもありの愛しい恋人でもあるのだから過保護になるのし仕方がない。
「痛むのか? 苦しいのか?」
戸惑っているのか、それでも距離を測りながら三國の掌が公麿に触れる。ビクンと身体は反応するが、体内に潜むもう一つの記憶がその温もりに歓喜している。
「今、薬を持ってくるからな」
「いらな……い」
三國の身体を制した。この頭痛の原因はわかっている。異なる記憶を有していること、そして一気にその莫大なデータを受け取ったのだ。明らかに処理できていないだけであって、病気というわけでもない。かといって、どうすればこれが収まるのかも判らない。
「寝てれば平気だと思う……」
そう訴えるしかなかった。とりあえず、この記憶と、この世界と、そして今について考えたかった。むしろ、どっと疲れが出たとも言う。あの死闘から公麿の感覚ではたいした時間は経過してないのだ。思い出せと言えば、まだこの唇には真朱のそれが残っている。
「そうか……」
三國が柔らかく手を差し出した。この仕草を見たことがある。彼が、彼のアセットであるQに対して行っていた手の動きに似ていた。まるで宝物のように優しく手を繋がれ、迷子の子供を誘導するように寝室へと導かれた。今は記憶を有しているが、それでもこの膨大な量から必要な記憶を選ぶことがまだ出来ないでいる。だからこそ、三國の行動は有り難かった。
そして、その案内された寝室のベッドに生々しさを感じた。大きな、大きなベッドが一つ部屋にある。そのベッドを見た瞬間、またもう一つの記憶が蘇る。二人の息遣いと、そして見たこともない快いような、苦しそうな表情の三國、そしてそれを見上げている自分と、そして体内に感じる別の熱を…………
経験はないが、それが何をしているのかは判る。蘇る別の記憶に身体が熱くなる。
「どうした? 熱でもあるのか?」
そっと身を屈め三國は顔を近付けて問う。それが、この男なりの姿勢でもあり、別段恋人同士であったからというわけではない。ないのに、どうしても意識してしまうのは仕方がない。
「大丈夫だから」
もう全てから逃れたいと、公麿はベッドへの身を沈めた。そして殻に籠もるように丸くなった。出来ればフードも被りたいが、その代わりに布団を抱き込んだ。
「薬を持ってこよう」
「いいってば……」
「眠りやすくはなるぞ」
確かに、込み上げてくる嘔吐感と頭痛の前では眠れるとは思えずに布団にくるまったまま公麿は小さく頷いた。
三國が持ってきた薬を飲むと、心配げに見つめている三國の眼差しと目があう。その度に注入された新たな記憶が蘇り、恥ずかくて仕方がない。今もこのベッドの上で行われてきた様々な睦言が、映像となって過ぎっていく。
不思議だった。経験も記憶も自らが作るモノだと思っていたが、こうしてデータとして受け取ると、自身が体験していないはずのことも思い出と化している。
この身体にはまったく記憶のないことのはずなのに、身体はその時の感覚を覚えているのだ。嫌な追体験だ。そう、の短い間に、三國との濃厚な付き合いを追体験している。
心の中でもう一人、この世界の俺の記憶が愛しい、愛しいと叫んでいる。目前の男を愛していると訴え続けている。その感情の濁流に呑み込まれそうになる。沸き上がる記憶が、彼と俺との物語を紡いでいく、いかに二人が出会い、惹かれ合い、愛し合ったのかをその想いと共に記憶が押し寄せる。
だけど、それを受け取っても目前の男を愛することは出来ない。この人は違う。俺が、俺が惹かれたあの男ではない。