軽挙妄動
Episode.3 神話
コンコン、と。
不意に執務室のドアがノックされ、ホークアイが姿を現した。
「あら、エドワードくん。」
ここに居たのねと言葉を続け、部屋を見回す。
そうしてふと、エドの横に腰を落ち着けている小さなロイに視線を留めた。
ほんの少し、間を置いて。
ホークアイは口を開いた。
「…新しい遊びですか?大佐。」
その言葉に、エドとロイは顔を見合わせる。
「…私だと、解るのか?」
ロイは意外そうに言葉を紡いだ。
ホークアイは小さく息を付くと、「当たり前です」と、呆れたように言った。
「どんな手を使ったか知りませんが、早く元に戻って下さいね。」
書類の修正お願いします、と、ホークアイは持っていた用箋ばさみを差し出した。
ロイは半ば呆気に取られたように「・・・あぁ・・・」とそれを受け取り、指摘部分の修正を済ませ
ホークアイに返した。
「それでは私はこれで。」
ホークアイは軽く頭を下げ、ドアの向こうに姿を消した。
「・・・ねぇ・・・」
ぽつり、と、エドはドアを見詰めたまま、口を開いた。
「何だ?」
「ホークアイ中尉って・・・凄いよね・・・」
「私の部下だからな。」
そう言う問題なのかと思いながら、エドはほんの少し気分が軽くなった事に気付いた。
落ち込んでいても、埒があかない。
「大佐、図書館行こう。」
「図書館?」
急に何だと言ったように、ロイがエドを見上げる。
「何か、手があるかもしれないからさ。」
ロイを元に戻す方法が。
ほんの少しでも、可能性があれば試したい。
「・・・ああ。」
ロイは笑みを見せると、頷いた。
図書館に着いた早々、二人は本棚を漁り始めた。
錬金術関連の物は勿論、呪いや童話まで。
言葉通り、片っ端から。
時折ロイが、本に埋もれて身動きが取れなくなり、その度にエドがロイを本の中から引っ張り出したり
しながら、それでも二人で数十冊は調べ上げた。
しかしそう簡単には見付かる筈も無く、あっと言う間に閉館時間を迎えてしまった。
「ちゃんと、片付けて下さいね。」
やや迷惑そうに司書に言われ、二人は仕方無く散乱した本を片付け出す。
「やっぱ簡単には見付からないか・・・」
棚に本を戻しながら、エドは深く息を付いた。
「そう悲観した物では無いさ。」
一番下の段に本を戻していたロイが、口を開く。
「この姿も結構新鮮で面白い。滅多に経験出来ないからな。普段の視点とは異なるから、今迄
見えていなかった事が良く見える。」
「見えていなかった事?」
ああ、と、ロイは頷いた。
「君の、俯いた顔とかな。」
エドを見上げて。
そう、ロイは言葉を紡いだ。
「元の身体だと、俯いた表情は見えないからな。あぁ、こんな表情をしていたのかと、初めて知ったよ。」
「大佐・・・」
半泣きに近い表情で、エドは笑みを浮かべた。
「明日は非番だから、朝から缶詰めだな。」
最後の本を棚に直しながら、ロイは言葉を紡いだ。
「図書館でのデートは、初めてだな。」
微笑んで、そう言葉を紡いだロイに、エドは「そうだね」と返した。
次の日。
エドとロイは、開館と同時に図書館に入った。
片っ端からテーブルに本を積み上げて行く。
余りに本が高く積まれて行くので、ロイは背が届かず、テーブルの上によじ登りそこで本を広げた。
分厚い本は、今のロイには大き過ぎて。
ロイは四つん這いになりながらページを捲った。
1時間が過ぎ。
2時間が過ぎ。
そうしてあっと言う間に、高かった日が傾き始める時間となった。
「んー・・・」
エドは大きく伸びをし、首を左右に傾けた。
パキパキと音がして、凝り固まっていた首と肩が多少解れた事が伺える。
「疲れたか?」
エドの様子に、ロイは視線を上げ、口を開く。
「ううん。大佐こそ、首痛くない?」
「大丈夫だ。だがそろそろ一息入れよう。小腹も空いた。」
そう言えば、とエドは自分の腹に手をやる。
それが合図のように、ぐうぅ、とエドの腹が鳴った。
「あ・・・」
思わずエドの顔が赤く染まる。
くす、と、ロイは顔を綻ばせた。
「昼食にしよう。」
外でパンを買い、軽い昼食を済ませて。
エドは息抜きに、古い神話の本を捲っていた。
遠い異国のその神話は、エドが昔母から聞かされた事のある物から知り得ない物まで、様々な物が
記載されていた。
何気無くページを捲っていたエドは、ふと、ある記述に視線を留めた。
それは、ある女神が人間の若者に恋をした話。
暇潰しに人間界に降りた女神は、たまたま海岸で絵を描いていた若者に心を奪われた。
女神は若者を神々の世界へ連れて行こうとしたが、そこには人間は穢れの無い子供しか足を
踏み入れる事を許されていなかったので、女神は若者を子供の姿に変える事にした。
だが若者を子供の姿に変えるには新月の日でなければならず、女神は新月の日を待って若者を
子供の姿に変えた。
そうして神々の世界へ子供を連れ帰った女神だったが、女神の起こした行動は神々の世界では
禁忌とされていたので、女神は神々の世界から追放されてしまった。
しかし女神の父親だった神々の長は彼女を不憫に思い、次の新月に若者を元の姿に戻し、
彼女の傍に置いた。
彼女にとっては、夢のような出来事だった。
女神は父の情けに感謝し、若者と一生幸せに暮らした。
「新月・・・」
エドは思わず言葉を零した。
「大佐!昨日って、新月だった?!」
ロイはエドの言葉にほんの少し思い出すような素振りを見せる。
「確か、そうだ。昨日は新月だった。」
「そうか・・・」
「どうかしたかね?」
そう問うロイに、エドは本を見せながら説明した。
「唯の御伽噺かもしれない・・・けど・・・」
「成る程・・・だが・・・新月から新月の周期は平均29.53059日だ。と言う事は、約一ヶ月先と
言う事になる。」
「あ・・・」
その間ロイは、ずっと子供の姿のままなのだ。
一ヶ月は長過ぎる。
しかもロイの職務に差し支えてしまう。
「心配するな。書類くらいは片付けられる。」
エドの考えている事を悟ったロイが、エドに言葉を掛ける。
「それに、こんな夢のような事、利用しない手は無いぞ?」
夢のような、と表現するあたり、恐らくくだらない事を考えているのだろうなとエドは思ったが。
取り敢えず聞いてみようとエドは口を開いた。
「利用?」
ふふん、と、ロイは笑みを浮かべた。
「この姿なら、悪戯し放題だからな。思い切り遊んでやるさ。」
「悪戯って・・・」
やっぱり、と、エドは胸の中で息を付く。
「中々面白いとは思わないかね?」
そう言ってエドを見上げたロイの瞳が、きらりと輝いたように観えた。