永遠に失われしもの 第17章
セバスチャンは、
シエルの洗ったばかりの髪を耳にかけさせ
小さくアールのきつい曲線を描く耳輪を、
自分の黒い爪の甲で撫で、
彫りの深い耳介に添って指でなぞる。
柔らかく容易に引き千切れそうな
耳朶までたどり着くと、そこに開けられた
サファイヤの小さなピアスをしばし触る。
--そう、私の愛でた瞳と同じ色の--
そして顔を寄せ、
薄い唇で耳朶ごと優しく噛んだ。
そしてシエルの耳朶を噛んだまま、
シエルの軽い躯を一気に湯から引き上げ、
白いバスタオルに包みこむ。
まだ十分に、
シエルの身体の湿り気を拭い去る前に
セバスチャンは自身の心の中に、
大きく芽生えてしまいつつある違和感、
形容しがたい感情に突き動かされて、
口を離し、シエルを寝台に横たえ、
白いバスタオルを剥ぎ取った。
あともう十年以上すれば、
人はそのシエルの姿を画家クリムトの描く
眠ったような女性に喩えるかもしれない。
眠っているのか、
死んでいるのか判別しない表情で、
美しさと不吉さの共存する世界を示し、
愛と死を暗示させる。
でも時代は、
まだそこまでたどり着いていなかった。
この綺麗な姿を、平板なキャンバスの上に
留められる者はまだいない。
ミレーのオフィーリアでは、具象すぎた。
もっとシエルの躯には神話の世界のような
神々しさと、禍々しさが存在していた。
もっと純粋で残酷な何かが。
この展開もまた、夢喰らいの悪魔の策略の
一環なのかもしれないと、
セバスチャンは考えていた。
この方法でシエルを目覚めさせたときに、
主にどのような意識の変化が訪れ、
自分への態度がどのように変わるのかは、
気にはなるが、敢えて考えないように、
セバスチャンは決めていた。
その前に散々、自分との関係に、
亀裂を生じさせるような悪夢をシエルに見せたのだろうから、
今更気にしても始まらない。
--夢喰らいの悪魔は、
私がぼっちゃんの求めによって、
銀の鍵に手をつけたのだと、
考えているのでしょう。
それも、
完全に的外れな訳ではありませんが--
シエルの頬をまた撫で、首筋から鎖骨へと
指を這わせる。
『迷ったら次の一手を見失う、
だから僕は迷わない』
不意にセバスチャンは、
シエルが以前自分に言った言葉を、
思い出した。
--よろしいでしょう。
ではもう、私も迷いませんよ--
「男の子、
いや同性を抱くのは、長い悪魔の生の中で
初めてなので、優しくしてあげられるか、
わかりませんが--」
作品名:永遠に失われしもの 第17章 作家名:くろ