C+2
【モーニング】
朝、目覚めた時に三國の姿が見えないと嫌な予感しかしなかった。
「おはよ、余賀くん」
「おはよう、宣野座さん……、あれ? 三國さんは……」
広いベッドの上を見渡しても三國の姿は見えなかった。低血圧らしい宣野座は朝は弱いらしく、少しぼんやりと公麿の前髪を弄っている。
「ん? 壮一郎のことなんてどうでもいいじゃない」
朝の宣野座は珍しいほど不機嫌なのだが、こうして何かを弄んでいる時は普段の宣野座のままだ。楽しげに公麿の前髪に自分の指先を絡めては、くるくると遊んでいる。今日は公麿の前髪だが、先日は三國の髭を一本ずつ摘んでいた。
絡めていた毛先を今度は引っ張り寄せ、宣野座は公麿と顔を近付けている。端正な、むしろ端正すぎる美しい顔は同性てありながらも一瞬目を奪われてしまう。
「ねえ……」
なにかを宣野座が言いかけた時、その音が室内に響いた。何かが割れるような音がキッチンの方からしたのだ。
「なにっ」
悪い予感しかせずに、宣野座の手を払い退けると公麿はベッドから飛び起きた。
「で、何があったの……」
不機嫌そうな宣野座がキッチンを眺めている。
「朝食を作ろうとしたんだが……」
そう口籠もる三國は少し離れた場所で立って、キッチンの様子を覗き込んでいる。そして、キッチンでは公麿がひたすらその惨状を片付けていた。
言うなれば科学の実験の失敗した後のような現状だった。到底、料理ではあり得ないその状態に、宣野座は大きく溜息をつくと手伝うよと声を掛けた。
「あっ……」
「三國さんはそこに居て」
何かを三國が紡ぐ前に公麿が制しすると、その場でオロオロと男は見守るしか出来ずに佇んでいる。
「役立たずだからね、壮一郎は……」
小さな溜息をついて片付ける宣野座に対しても、睨むことはせずにただ済まなさそうに三國は見つめているだけだった。
「でも、怪我無くてよかったよ」
そう三國に公麿は微笑むと、ああと小さく呟き返した。
「今朝はどっか食べに行こうか……」
「そうですね」
あの惨状を二人掛かりで片付けながら、そう語り合うと宣野座は笑ってこう付け加えた。
「壮一郎の奢りね」
「おはよー、余賀くん。起きれる?」
キラキラと朝の陽射しのように目映い笑顔の宣野座に揺り起こされた。こんなに、朝から機嫌の良い宣野座を公麿は見たことがない。
「えっ、はい……」
目覚めたばかりの霞んだ視界で眩しく微笑む宣野座の笑顔を、目を細めて公麿は仰ぎ見た。
「朝ご飯、もうすぐ出来るから支度して……」
起床を促すように布団を捲り上げる宣野座を、目を擦りながら公麿は眺めている。
「宣野座さんが作ったんですか?」
三人の中で一番まともな料理が出来るのは宣野座ただ一人なのもあるが、純粋に誰かの作る、いや宣野座の手料理が楽しみなのもあり公麿は期待に胸を膨らませた。
「ごめんね、壮一郎なんだ、今朝は……」
「えっ?」
そうすまなさそうに片目を瞑る宣野座の顔を口を開けたまま、締まりのない表情で公麿は見上げている。あの三國の料理をいくら宣野座とはいえ、笑顔で語れるとは思わない。もはや、公麿には嫌な予感しか込み上げてこなかった。
慌てて支度を済ませてテーブルの前に公麿は顕れると、そこには意外なことにトーストとゆで卵とコーヒーとサラダが並んでいた。シンプルだが確かに朝食だった。
「これ、三國さんが……」
「ああ……」
何をどうしたら室内でフレーションでも放ったかのような惨状となる三國が、食べ物の姿をしている物を作れたとは思えずに半信半疑で公麿は問い掛ければ、三國は照れた素振りで小さく肯定の言葉を告げた。
「凄いなっ」
確かに、ゆで卵は玉子を茹でるだけだし、トーストはパンをトースターに入れればいいし、コーヒーもメーカーがあるし、サラダもレタスを千切っただけだ。それだけのことだが、あの三國が行えたということが奇跡にさえ近いのだと失礼なことを公麿は感じている。
「まぁ、僕の監修のお陰だよ。ね、壮一郎?」
「感謝している」
珍しく素直に謝礼する三國に、公麿は笑みを漏らした。どうやって作ったのかを問えば、宣野座が大変だったんだよと口を開いた。
「壮一郎がさ、どうしても余賀君のために朝食作りたいって言うからさー」
そうして、朝に弱い宣野座に早起きをさせたらしい。
幸いにも、今朝の宣野座のブームは三國の髭らしく、それもあってかスムーズに起きてはくれた。とはいえ、半ば担ぐようにキッチンへと連れ込み、三國に覆い被さったまま髭を弄りつつ、ゆで卵は水からだよとか、そこは豆を入れるところ水を入れないで、その手にしているはキャベツ、レタスじゃない等の指示が宣野座から飛んだらしい。その状況一つ一つが目に浮かぶ度にげんなりするが、三國曰く宣野座は絶えず顎髭をひっぱりながら楽しそうに指図していたらしい。そのことについて宣野座はぼそりと、
「なんであんな髭なんか触ってたんだろうね、僕は……」
と未だに悔やんでいる。それでも宣野座はすぐにいつもの微笑を湛えてこう言うのだ。
「壮一郎でも出来るメニューを選んだことも認めてほしいね」
「出来ない、出来ないとそんなに強調するな」
「本当のことじゃないか、家事一つも出来ないよね?」
いい歳をした大人二人が言い争う姿に、半ば呆れながら、そして少しばかり嫉妬を滲ませながら公麿は口を挟んだ。
「二人って仲いいよな」
その言葉に不愉快そうに、大人二人は顔を見合わせている。この瞬間が公麿は好きだったりする。そうして、互いを睨んでから二人同時に公麿を見つめるのだ。
「どうしてそうなるのかな……、君は」
「むしろ、何故その結論に達するのか聞きたいくらいだ」
言い回しは違えど同じことを同時に叫び、なによりもタイミングがまったく同じなのだ。
「ほら、そういうところだよ。仲いいじゃん」
息もぴったりだしと、続ければ大人二人はその端正な表情を曇らせている。彼等の方が幾分出会いが早く、そして元恋人同士でもあるから今でもそれが燻っているのではないか、充分に燻っているとは思うが、それが気になるがこのまま二人を追い込んでいくと共闘しかねない。それは別の意味では嬉しいことだが、対象を公麿自身にされるのだけは勘弁して欲しいのだ。
有る意味最強の、公麿にとって最凶のタッグは、共闘した途端抜群のコンビネーションで公麿をベッドへと追いやり、一日そこに縛りつけられたことがあった。あの時は数日間身体の痛みが取れずに、起き上がれないという屈辱的な生活を強いられた。あれ以来、出来れば二人の共闘は見たくはないのだ。
「だいだい、僕は壮一郎がさ、頭まで下げて教えてくださいって言うから、仕方なく教えたんだよ」
まるで表情を隠すように宣野座はトースト咥えている。
コンコンと玉子をテーブルに叩き付けながら、不器用な手つきで三國は殻を剥きながら呟いた。
「お前のためになにかしたくてな……」
三國は俯いたままだったが、その言葉が公麿へ向けてのものであるのは明らかだった。
「そう、僕のためじゃなくてね」
必要ないけどね、そう付け加えてはいるが、少しだけ宣野座は表情を曇らせていた。それが、彼等の以前の付き合いでなかったことだと物語っている。