愛と友、その関係式 第18,19,20話
変化が成長であることは、男バスの女子マネである紺野にとって直ぐ解る明白な事実だった。
辛いと感じるのは、鈴鹿を変えたのが自分でなかったせいである。
紺野を変えたのは鈴鹿だ。鈴鹿の傍にいれば、紺野は強くなれた気がした。鈴鹿の見ている未来を応援したいと思った。まるで、それが自分の夢であり目標であるように。自由に飛ぶ鳥のように高く遠い空を何処までも、何処までも――。
だが、鈴鹿の翼は紺野ではなかった。
その瞬間、自分の恋は報われないのだと悟る。なぜなら、紺野は何処までも真っ直ぐに目標を見てキラキラと目を輝かせる鈴鹿が好きだから。自分では、鈴鹿を高い空へ飛ばせない。
――どうして私じゃないんだろう?
くだらない疑問をくだらないと知りながら繰り返す。
紺野が美奈子より先に同じことを鈴鹿へ告げたとしても、結果が無駄に終わってしまうのは解っていた。それはたとえば運命と言い換えていいように。紺野も、また鈴鹿でなければならなかった。鈴鹿が鈴鹿であること、それ以上の理由など存在しない。
それでも、諦められずにいる。
――だって、私。もう諦めないって……中途半端に投げ出したりしないって……譲らないって決めたから。
◆◇◆◇◆
インターハイまで残り三ヶ月をきって、体育館はいよいよ熱気にあふれかえっていた。響く掛け声、バッシュと床が擦れる音、ボールが弾む音。今年は女バスもインターハイ出場の可能性が高いと、否が応でもバスケ部全体の気合はあがる。
紺野は先週行われた練習試合のスコアブックと、大学ノートに書き留めた各選手の課題を交互に睨んで考えていた。
見慣れた自分の字は、鈴鹿の更なる好調を物語っていた。いや、鈴鹿だけじゃない。鈴鹿がポイントガードとして完全に機能している現在、他の選手も引きずられるように能力を伸ばしている。
はばたき学園、はじまって以来の最強のチームかもしれない。
紺野はぱたりとノートを閉じた。ふと、隣のコートで練習している女バスへ視線を向ける。
そこにはがむしゃらに練習へ打ち込んでいる美奈子がいた。
”そう、だよね。紺野さんの言う通りだよ。……その誤解させたみたいで本当にごめん!”
あの日の言葉が蘇る。
あの日から今日に至るまで、美奈子は言葉の通り馬鹿正直に鈴鹿との接触を完全に経っていた。しかも、多少落ち込むかと思いきや、美奈子は今まで通り――いや今まで以上に明るく振舞っている。
鈴鹿も鈴鹿で、美奈子に避けられていることを勘づいていながら、そ知らぬふりをしていた。
それはつまり、想像より遥か上をいく事実。ある種の予感がした。
ぎゅうっと胸が締めつけられて息苦しい。紺野は眉根を寄せて小さな皺を作った。
意思とは無関係に胸の中で徐々に消えていく恋心が、ただ悲しかった。
◆◇◆◇◆
”もう和馬くんに気のあるふりをしないで”
あの日のあの言葉はほんの少しの嫉妬心だった。
進路指導の日、鈴鹿の美奈子へ向けた微笑みが羨ましかった。最後の悪あがきだったのかもしれない。
本当は、鈴鹿とキスなんてしていない。直前で、”わりぃ”とただ一言だけ返された。
そして、二人は付き合ってすらいない。
どうしてか? それは守る義理も意味もない操を美奈子にたてているからだ。
結局――鈴鹿の頭の中を支配する”美奈子”という言葉を、紺野は消し去ることはできなかった。たとえ、恋人の真似事を強要してみても。
”鈴鹿くんが美奈子ちゃんを好きでも構わない。いつか私を好きになってくれるように頑張る。だから――”
あの台詞を言ったとき、それはまごうことなき本心で自信も意気込みもある筈だった。鈴鹿という存在は、紺野にとって諦めてはいけない目標だから、譲る気なんて少しもなかった。
なのに、結局は無理で――。逆に自分の恋の不遇さを思い知らされただけだった。鈴鹿もそれは同じだったらしい。その事実は余計に紺野を苦しめた。
「でも」
紺野は意を決して、鈴鹿へ歩み寄る。
ちょうど部活が終わって、今日の掃除当番以外は更衣室へ向かい始める頃合だった。
「あの……、和馬くん」
「ん。なんだよ」
鈴鹿が振り返る。人がどんどんと二人を追い越して体育館を後にした。人があらかたいなくなって、ようやく紺野は声を絞りだす。
「話が……あるの」
紺野は俯いて、ぎゅっとジャージの端を握りしめた。
◆◇◆◇◆
同時刻、体育館の扉が開く音を聞きつけて、姫条はパチリと目を開けた。
ここは屋上で、ちょうどバイトが休みだった姫条は日向ぼっこで転寝をしつつ美奈子を待っていた。
アクビまじりに身を起こし、屋上のフェンス越しに体育館の方を見た。
「なんや、男子のほうかい」
姫条は肩を落とした。
言葉通り、つい今しがた開けられた扉にはこぞって男子ばかりが出てきている。しばらく呆然と眺めて、もう一眠りしようかと視線を外す間際、見知った姿を見つけて動作をとめた。
「和馬や。珠美ちゃんも。……そや、女バスはいつ終わるんか訊いてみよ」
思い立ったら即行動とばかりに、姫条は立ち上がり砂を軽く払うと軽快な足取りで屋上を後にした。
――確か、体育館裏の方へ歩いていきよったな。
男バスの部員で溢れかえる体育館前を通り過ぎて、それから体育館裏へ足を向ける。
と、体育館裏へ近づくと、ほどなくして紺野の声が聞こえた。
「……あの、あのね?」
ひどく落ちた声のトーンに、姫条は咄嗟に足を止めた。
――あちゃー、こりゃ聞いちゃあかん雰囲気やな。
背中を向けて静かにその場を去ろうとする。が、足は紺野の口から飛びでた言葉に止められた。
「――美奈子ちゃん、最近変じゃなかった?」
ギクリとした。まるで心臓を掴まれたように背筋が凍る。
身体が過剰反応したのには理由があった。紺野の言葉に心当たりがあるのは他でもない姫条であるからだ。なのに、紺野は深刻そうな声で鈴鹿へ話しかけている。何故か?
心当たりは沢山あった。
嫌な予感がした。聞かないほうがいいということは、頭でちゃんと理解できている。なのに、足の裏が地面に縫いつけられたみたいに動かない。
「は? 普段からあんな感じだろ。インターハイ近いから、ちょっと神経質になってるだけじゃねぇの」
鈴鹿の声調子はいつも通りだ。
紺野は考えこんでいるのか押し黙る。
「用はそれだけか? だったら――」
「違うの! ……あの」
紺野の慌てた声が響く。
「あのね。私、謝らなくちゃいけないことがあって」
紺野が息を飲む。離れていても緊張が伝わってくるようだ。
「……進路指導があった日。私、美奈子ちゃんに和馬くんと付き合ってるって嘘ついちゃったの。それで、美奈子ちゃん――」
「何だよ、それで俺と美奈子が仲が悪くなっちまったって思ってんのか? だったら違げぇよ。それに、誤解されるような行動とったのは事実だしな」
「でも! 和馬くんはまだ」
「でもも、だってもねぇよ。ったく、つまんねぇこと気にすんなよな」
紺野の言葉を遮って、鈴鹿はカラカラと笑った。
小さな間。本当に本当に消え入りそうな小さな声で、紺野はポツリと呟いた。
「本当に気づいてないの?」
「ん? 何」
作品名:愛と友、その関係式 第18,19,20話 作家名:花子



