レイニーデイズ
釈然と結露を抱いて眠るる土曜
「狭いのは我慢しろよ。」
「ここがトイレと風呂、案内するほど広くねぇから問題ないだろ。」
ぶっきらぼうにこちらを振り返ることもなく、男は低くつぶやきながら俺の前を歩いた。男の言う通り部屋自体はせまかったが、男は一人暮らしと聞いた、だったらこんなものなのかもしれないと、俺はどこか意識の外でそれを思う。冷たいフローリングを、よたよたと片足を軽く引きずりながら歩く俺に合わせてくれているのか、男の歩調がゆっくりなのが態度に見合わず少し面白かった。男の部屋の窓は存外に大きく、その向こう側に室外機の置かれたベランダが見える。今でさえ雨は止まずにいたので、エアコンの出番はなさそうだと俺は判断した。
男の部屋は雑然としていて物が少なかった。なんだか真新しい服の詰まったダンボールが無造作に置いてあったりはすれど、基本的に生活に必要なもの以外のものは見受けられなかった、(ところどころ用途のわからない小物や観葉植物はあるが)汚いわけではなく、言葉の通り雑然としている。この男もそんな性格をしているんだろうかと、他に考えることも無いので、ふらふらしながら男の背を追いかけそんなことに頭を回した。
パタンと、俺は補修の跡がうかがえる扉を閉める。八畳ほどの広さの部屋は普段リビングとして使っているのか他の場所に比べて小物が多い。真ん中にわりと小さめなテーブルと、部屋に余り似合わない大きめのソファが置いてある。そのテーブルの一辺に男が無言で腰を下ろすのでならって俺も腰を下ろした。少しだけ物騒な視線が向けられたが、気にせず首をかしげて見せるとすぐに視線は外される。嫌われていることは雰囲気で十分にわかっていた。
さて、どうしてこんなことになってしまっているかと言うと、あの柔和な笑みの男、新羅の言葉のせいであったりする。俺の怪我の原因とやらは男と俺との喧嘩であったらしく、責任を取れ、と、何やらそんなことを話していたように思う。あの時朦朧としていたせいでよく覚えてはいないが。男と臨也とがいかに犬猿の仲であるかということも新羅からよく聞かされていた。それなりにやばいことに手を染めているらしい臨也が記憶喪失と知られれば、何かと面倒な事になりかねないという気遣い(か、どうかは妖しいが)からこの臨也にとって天敵と言っても可笑しくない静雄を説き伏せてくれたのだという。
なんだかな、と改めて自分の立場を悲観するでもなく考えながら男の方に視線を向けると、仏頂面のまま机の端をじっと見つめていた。何が面白いのかさっぱり分からないが、犬猿の中の男が目の前にいて面倒を見るといった手前、腸が煮えくり返っているのかもしれない。
何か話した方がいいか、と思い口を開きかけると机の端を一心不乱に睨みつけていた男の視線がこちらを向いた。
「先に言っておく。俺はてめぇが殺したいほど嫌いだ。」
(初っ端から切り込まれた。)
怒らせることだけは絶対しない方がいいよ、という新羅の言葉が頭をよぎる。
「……なのに、助けてくれるんだ?」
「野垂れ死にたいなら勝手にしろ。」
吐き捨てるように男はそういい、そして今度は落ち着かないように視線を散らし始めた。不審な態度にん?と首を傾けると、なにかのむか、とぼそりと男は呟く。よくわからないな、というのが男に対する認識だった。ただ馬鹿のようにお人よしなだけなのかもしれない。じゃあ、珈琲を、と頼むと男は憮然とした表情のまま腰を上げてキッチンへと引っ込んでいった。
取り残され手持ち無沙汰になり、ぐるりと部屋を見回してみてもこれと言って注意を引くものは無い。ぼんやりと雨の滴る窓の向こう側を眺めていると、あっちい!という悲鳴にも似た声がキッチンの方から上がった。うわっだの、なんだかそんな声も聞こえてくる。何かあったのかと思い立ち上がってそちらにいくと、キッチンの床から蒸気が上がり、どういうわけか男の髪からも湯気が上がっていた。
「どうしたの、って、聞いた方がいい?」
男は濡れた前髪を書き上げて気まずそうにそっぽを向いた。少し失敗しただけだ、というが少しばかり被害が大きくなかろうか。床に転がっているマグカップを拾うと、普段料理なんてしねぇからなんて言い分けじみた言葉が聞こえてくる。どこをどうしたら床にお湯を全部ぶちまけ更に頭からかぶるなんて事になるのかちっとも分からなかったから、そう、と返して、じゃあ、俺がやろうかと申し出てやった。
「何を?」
「コーヒーくらい俺が入れてあげるって言ってるの。その間に頭拭いてきなよ。」
「……何か、混ぜるきじゃねぇだろうな。」
「何も持ってないのにいったい何を混ぜるって言うのさ。」
その言葉に納得したのかどうか、やっぱり憮然とした表情のまま男は俺の横を通り過ぎて言った。ついでに服を着替える気なのかもしれない。零れた湯をふき取り、これがコーヒーじゃ無くて幸いだったななんてことを考えながら湯を沸かす。普段料理しないといったその言葉通りこちらも部屋と同じく必要最低限の器具しか置いていなかった。コーヒーは言わずもがなインスタントだ。まあ、別にいいだろう。冷蔵庫の中を勝手に覗くと、何やらかわいらしいお菓子のパッケージがいくつかある。まさか彼女がいるのかな、なんて下世話なことを考えつつミルクを出す。カフェオレの気分だったので目分量でカップに注いだ。男の趣味は分からないが、まあ、ブラックでいいだろう。二人分のマグカップを持って先程の部屋に行くと、やっぱりむすっとした表情で男は机の端を見つめていた。服は変わっていないので着替えはしなかったのだろう。
「ブラックでよかった?」
男は視線を上げああ、と低い声で呟く。少々眉間にしわが寄った気がするが、思い違いかもしれない。憎い男にコーヒーなんて差し出されたらそれは嫌だろうとことさら冷静に俺は思い、自分用のカフェオレに口をつけながら、男を観察した。脱色しているせいか傷んだ髪はわりと柔らかそうに見える、目つきは悪く、けれども色素は薄いようで、光彩は琥珀のような色合いをしていた。背は多分俺より少し高い。服の上からではわからないが、無駄な肉が付いているようにも見えない。じろじろとぶしつけな視線を投げていたら男はこっちを見るなとでもいうように体をひねった。仕草はわりと子供じみている。変な男だ。部屋にはいくつか部屋の景観とマッチしないものが見受けられた。よくわからないどこかアジアンテイストな置物から、どこぞのアーティストがデザインしたような棚や観葉植物、女の子が喜んで買いそうな小さい瓶に入った多肉植物、エトセトラ。どうにも統一性に欠ける。