Grateful Days
「おまえ、アイジンのこどもなんだろ?!」
子供は親の言うことを聞いていないようで聞いている。そんなことは誰でも知っているはずなのに、誰も理解していないから、親の言うことの意味もわからずまくしたてる子供がいなくならないのだ。
目ばかりがぎょろりと目立つ、痩せた子供はじろりと見返す。じろり、などという生易しいものではない。殺意さえこもったものだ。
「アイジン! アイジン!」
子供は反応が欲しくて声を上げる。そういう意味では動物である。そこにどんな意味が篭っているのか、理解しないのだから。
気がつくと手を出していて、すぐにも取っ組み合いの喧嘩になる。だがひょろりと小さな子供に力などあるはずもなく、大体がぼろぼろにされて終わりだった。それでもけして彼は泣かなかった。世の中の全てを呪うような昏い瞳は、何もかもを拒絶していた。
世界が変わったのは、夏の日だった。
自分を生んだ女を母親と慕わしく思っていたかどうかはもう今となってはよくわからないが、自分が同級生の子ども達のような家庭には生まれていない、ということだけは理解していた。彼は昔から頭は良かった。
だがそれでも、知識だけだったし、情報だけだった。
それがある日、本当にわかってしまったのだ。わかったつもりでわかっていなかった、色々なことが。
「あんたが、佗助かい?」
飛び抜けて顔が美しいとか、そういうことではなかった。だが、凛とした佇まい、その空気がすっと入り込んできた。まるで、春になって最初の朝日のような、ひんやりとあたかいあの光のように、強引ではないのに無視できない何かを携えて。
綺麗に着物を着こなして、彼女は佗助を迎えにきた。彼女は既に、美しさの盛りを過ぎていたように思うが、それでも佗助は随分圧倒された。優しげで穏やかな笑みの底には毅然とした何かがあったからだ。
手をつないでよいのか、と迷ったのは、触ったらいけない気がしたから。けれど彼女が手を差し延べて繋いでくれたから、だからもう絶対に離してほしくなくて、ぎゅうっと握りしめた。暑いなんて思わなかった。それに、握った手はすこしひんやりしていた。
「今日からうちの子になるんだよ」
上から聞こえる声が信じられなかった。でも、信じたかった。本当に、と聞き返さなかったのは、否定されたくなかったからのような気がする。
青い空には入道雲が浮かんでいたのを覚えている。
「その問題」について家族は荒れに荒れたが、結局は栄の決定が陣内の決定である。
…明日から妾の子が本家の養子になる。
理一はその子が自分と同い年だと聞かされてぽかんとした。同い年なのに叔父になるのだということにも。
姉は完全に母の傘下で、本体が来る前から断固拒絶の構えでいるが、理一はそこまで思っていなかった。名家のお坊ちゃんらしい鷹揚さの為せるわざに違いない。
そんな理一を、彼が来る前日栄が呼んだ。ちょいちょいと手招きして、他の家族とは別に。
理一は今まで怒られたことがない。というか、怒られるようなことをしたことがなかった。姉や、年の近い従兄弟がやって怒られるようなことは最初から避けた。
だから怒られるかもしれない、などとは微塵も思わず理一は呼ばれた。確かに怒られはしないが、それ以上の厄介を任されるなどとは夢にも思わず。
「あんたと同い年なんだよ」
静かなのに妙に迫力のあるのは昔から変わらず。
理一は正座したまま、ぽかんとした。
「一緒に学校に通って。ちゃんと面倒みてやってくれないかい」
「…学校にいるの、ぼくだけじゃないよ。でも、ぼくなの?」
子供は何人かいた。万作おじさんのとこの兄弟の方が、喧嘩も強いし学校ではすごいと思われている。適任なのではないか。
そういう思いが顔に出ていたのか、栄は笑みのない、真面目な顔で告げた。
「あんたがみるんだ」
理一は殊更甘える子供ではないが、しかし近所の従兄弟含めて近い上に何人もいるものだから、ややおっとりした面があった。
だから理一にとってもよいことになる。栄はそう思った。
「助けておやり。きっと不安なはずだよ」
最後に微笑んで念を押される。そんな栄に逆らえた人を、理一は知らない。
「あんたならきっと助けてやれるよ」
まるで魔法のように、理一は言われた通り頷いていた。
その魔法は、たぶんまだ解けていない。その時から、ずっと――。
作品名:Grateful Days 作家名:スサ