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Grateful Days

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Long time ago, @ Jinnouchi family



 栄が手を引いてやってきた子供は、なんだか小さかった。それが理一の印象だった。自分と同い年には、あまり見えなかったのだ。ぼく理一、と手を出しても、捨て猫よりなお警戒した顔で見ているばかりで、けしてこちらの手を握り返そうとはしなかった。
 栄の手をしっかりと握り、まるでそれが命綱だとでも思っているように…、

 断固拒否、の構えだった姉にしても母にしても、可愛くないだとか色々な感情はあったのだろうけれど、侘助があまりにも小さく、弱そうで、そして世の中のすべてを斜に構えてみているような子供だったからなのか、やってくる前に見せていたほどの拒絶はなかった。栄が庇う手前、そんなにつらく当たれもしなかったのだろうけれど。
 侘助は頭のいい子供だった。それは学校に行けばすぐにわかった。だが、すこし頭が良すぎたかもしれない。授業は彼にとって、ひどくつまらないものだったらしい。気がつくと授業を抜け出したり、問題児ぶりをすぐに発揮した。教師も侘助の複雑な事情のせいかあまり口を出しかねたようで、注意らしい注意もなかった。
 対する理一はといえば、頭はそれなりによかったが、それ以上に優等生だった。それはつまり、生活態度が良く、教師の手を煩わせない子供だった、ということである。理一君は優秀なんだけどねえ、と教師にこぼされるたび、それに比べてと侘助を悪くいわれるたび、理一は複雑な気持ちになった。栄に「めんどうをみてやれ」といわれたのに、侘助が頑なに拒むから、一度だって一緒に登校したことがなかったのが居心地悪く思えてきた。
 栄に「できるよ」といわれたのに、ちゃんと任されたのに、それを果たせない。自分だけいいことを言われ、侘助をこちら側に引っ張ってくることもできない。
 いけない、と理一は思った。そう、思いきってしまえば行動は早く、その日も授業を抜け出して校庭の死角でぼんやり空を見ていた侘助に近づいたのだった。

「何見てんの」
 声をかければ、びく、と肩が跳ねた。そのまま脱いでいた靴を引っ掛け駆けだしたものだから、理一も慌てて走らなければいけなかった。だが、侘助より理一の方が体は大きく、そして健康で、運動もできたのだろう、すぐに追いついた。けれど追いついて肩を掴んだら簡単に転ぶので、かえって理一は驚いてしまった。姉や直美の方がこの数倍は強い。彼女たちの肩を掴んだら逆に投げ飛ばされるか蹴り飛ばされるかくらいはする。…陣内の女は怖いのだ。それも、とっても。学校の先生の何十倍も恐ろしい。
 しばらく息を切らしていた。転んだまま体を丸めようとするのを見て、侘助の怯えを理一は知る。侘助がどうしてあんなに周りのなにもかもを拒んで見えるのか、唐突にわかった。彼は怖いのだ。
「…なぐんないよ」
 理一はそっと言って、自分が座る隣に侘助を引っ張り立たせ、そして座らせた。今は皆授業中だ。こんなのが見つかったらお説教だなあ、と思いながら、理一はちっとも慌てたりしなかった。季節はもう秋で、空気はすっかり肌寒いものだったけれど、それでも空は青く陽射しは暖かった。
「侘助」
 呼べば、びく、と肩を跳ねさせた後、じっと窺うように侘助がこちらを見てきた。小さくて、そして今までいじめられてきた子なんだな、と何となく思った。だから怖がるのだ。
「うち、嫌か?」
「………?」
 眉間に微かにしわが寄る。理一は重ねて尋ねた。
「うちの子になったの、いやだったのか」
「――…」
 何度も瞬きするものだから、侘助の睫毛が随分長いのがわかってしまった。
「…やじゃない」
 やがて蚊の鳴くような声がして、侘助は顔を伏せた。泣き出しそうな顔をしていた。
「…やなのは、…おまえたちじゃん」
 初めて声を聞いたような気がした。そんなことはないのかもしれないが、侘助は食事時でもひっそりと栄の影に隠れるようにしていて、「いただきます」「ごちそうさま」だってうんと小さな声で言う。だから初めて聞いた気がした。
「おれのこと、やなのは、おまえらじゃん。なのになんでそんなの、おれに聞くんだよ」
 言うだけ言うと、侘助は膝をぎゅっと抱え込んで頭を伏せてしまった。理一は困ってしまって、…それから、何度もさまよわせた手を、そっと理一のやわらかい頭においた。天然パーマなのか、その髪は血のつながりはないはずの栄に似ていて、不思議な感じがした。
「…やじゃない」
 理一は静かに言っていた。
「ぼくは嫌じゃない」
「…うそつき」
「うそじゃない」
「うそだ、信じない」
「でもうそじゃない」
 ぽふん、と置いた手でそっと撫でた。そうしたら、ちらっと膝から眼を上げた。捨て猫みたいだ、と思った。
 ――栄は、捨て猫を拾っていっても、元の場所に返してきなさいとはいわない。ちゃんと面倒をみられるんだろうね、とその覚悟こそを問う。
 だいじょうぶ、ばあちゃん。理一は内心で栄に答える。
「…うそじゃない。侘助。ぼくは嫌じゃない」
 今なら手を握ってくれるかもしれない。そう思って差し出した理一の手を、たっぷり百も数えたくらいの後、侘助はこわごわと握ってきた。
作品名:Grateful Days 作家名:スサ