Grateful Days
Friday, midnight @ Kuonji High school
久遠寺高校の健二と佐久間、愛知の佳主馬がOZの中で行動を起こした頃、理一は市ヶ谷にいた。佳主馬からこれから最初のアクションを起こすという連絡を彼は受けていて、それなら自分はサポートに回るべきだろう、と判断したのだ。佐久間や健二とも連絡をとってあった。
――噂のアバターが侘助の幼いころの姿に似ている、というのは、佳主馬にも話していなかったし、他の二人の少年にも話していなかった。
姉や親戚のある程度年齢が上の世代に聞けば覚えているかもしれないが、といって確認してくれという気持ちは起こらなかった。
ラブマシーンとは違う。だけれども、アバターを奪うという行為はそれを思わせる。関係ないと一言聞けたらいいのに、侘助とは連絡が取れない。あの事件の重要な関係者である彼に今自由はないかもしれないが、連絡がここまで制限されていたことはなかったし、もっと別のルートから探ってみても、彼が外部との連絡を禁じられたというような情報は入ってこなかった。理一に入らない情報となると相当に機密度の高いもので、それならそれで、極秘に何かが動いている、くらいの情報が入ってくるだろうから、これも違うと思われた。まるで失踪してしまったように、彼の行方は杳として知れない。
椅子を回して、理一は足を組んだ。脳裏によみがえるのは、侘助が初めて陣内家にやってきた頃のことだった。小さな体で、世界全部に喧嘩を売っているような、そんな子供だった。しかし今にして思えば、そうしなければ自分を守れなかったのだろう。祖父の顔はあまり記憶に鮮明ではないが、困ったじいさんだったんだな、と思わないでもない。
インスタントコーヒーを傾けながら、理一は内心で呼び掛ける。どこにいる、侘助――と。
ゴーストが引っ掛かるまでの間、オンライン上で三人はいくつかのことを話していた。とりとめのない話と大事な話がいりまじった、会議とも雑談ともいえない時間だった。
「そういえば、SOSって、メーデーっていうじゃん。飛行機とかで」
バラバラに探しててピンチになった時どうしよう、とか、そんな話題になった時だった。佐久間がパックのコーヒー牛乳を飲みながら言ったのは。
「あれ、なんでメーデーっていうか知ってる?」
知らない、と健二も佳主馬も首を振った。考えたこともなかった。
「あれ、フランス語なんだって。フランス語の『ヘルプ・ミー』がメーデーっていって、アクセントも英語のメーデー、五月一日と同じなんだってさ」
「ふーん…でもなんでフランス語なの?」
「それは知らないけど」
両手を上にあげる佐久間に、中途半端だなあ、と健二は容赦がない。しかし、モニタの向こうの佳主馬の反応はすこしちがった。
『じゃあ、51を合図にしよう』
「え?」
佳主馬の提案に、健二と佐久間は瞬きした。佳主馬は鈍いともなんとも指摘はせず、淡々と続ける。
『5と1で、助けてって意味。そういう合図にしようっていう話だよ』
軽く肩をすくめる少年チャンピオンに、おお、と佐久間が手をたたく。
「やっぱキングは違うね。器がでかいね」
「悪かったね、小さくて」
隣で口をとがらせる健二に、そんなこといってないだろ、と佐久間は笑いながら答える。じっと、そんなふたりの親しげなやりとりを佳主馬は見ていた。
三人自体はオンラインで顔を突き合わせていたが、それぞれのアバターはそれぞれに単独行動をしていた。第一、キング・カズマがうろうろしているのと一緒にいたら目立って仕方がない。
今にも転びそうな大きな頭できょろきょろしているリス? であるらしいアバターを見ながら、健二は思い出していた。ある日奪われてしまった、あのアバターのことを。
「…ゴーストさーん…いますかー」
おっかなびっくりの様子でリスはひょこひょこ歩いている。どうにも弱そうだし、迫力というものに欠ける。
…なぜラブマシーンが選んだのが自分のアバターだったのか、それは結局わからずじまいだった。ラブマシーンはそうした理由など、自分の言葉など、結局何も発してはいかなかったからだ。
しかしとにかく、そこに健二も納得できるような理由がはっきりあったわけではないと思う。ということは、一度そういうことに巻き込まれてしまった健二が、今度も巻き込まれないという保証はないということだ。特に根拠もないが、なんだかそういう嫌な予感がするなあ、と健二はぼんやり考えていた。
…それは突然だった。
「…っ」
隣で息をのんだ健二を、佐久間が振り返る。
「け、」
健二は画面を食い入るように見つめながら、佐久間に向けて片手を立てた。大丈夫、まかせて、そういう意味だろう。
今は親友の集中力を途切れさせることこそ避けたい。佐久間は黙って唇を引き結んだ。佳主馬もまた、ウェブカメラ越しの映像からそれらのことを覚ったのだろう。黙って、瞬きもしないでこちらを見ていた。
ぺた、ぺた、ぺた
奇妙な音が画面からしていた。アバターの動作音はある程度設定されていて、スピーカーが備えられている環境であればそれは確認することができる。その時もそうだった。
足音はリスの後ろからしていた。リスが振り向けば、視点が切り替わる。
「!!!!!!!!!」
リスの吹き出しも健二の声にならない驚きも、多分文字にするならそんなところだった。
『…』
佳主馬の夏の夜のような黒く深い瞳に剣呑な光が宿る。佐久間は息を止めて成り行きを見守っている。
「…こ、こんばんは…」
リスは汗を盛大に飛ばしながら背中を丸めた。そんなことをしなくても、子供のアバターはそこまで小さくもなかったが。
健二は瞬きもせず、何も見逃すまいとするように画面を凝視している。
「…あの、あのね、えーと、な、名前はなんていうの?」
左右にうろうろしながら、リスは尋ねる。子供はぼんやりした顔をしている。やがて、きゅ、とぬいぐるみを握る手に力がこもった。上げた顔は幼く、髪の毛はやわらかなウェーブを描いている。
佳主馬は目を眇めた。誰かに似ている気がした。
『ママは、どこ?』
――きた。健二は息をのんだ。どくん、と心臓が鳴る。子供のアバターの表情は変わらない。健二の脳裏に、振り返った自分のアバターが大きく、裂けんばかりに口を開いて歯をむき出していて映像が蘇る。どくん、ともう一度心臓が鳴る。
「ま、ママは、…」
子供の顔はまだ変わらない。ぼんやりした表情だと思ったが、良く見ればなんだかさみしそうでもある。
…あ、と不意に健二に郷愁が訪れた。
どこにいるの、と自分も昔、うんと小さかった頃目をこすってはいなかっただろうか。風邪をひいて休んだ日に、真夜中目が覚めた家に自分ひとりしかいなかった時に、同じことを、がらんとした家の中、呼びかけていたのではなかっただろうか。そういう時いつも廊下は他人行儀にしてひんやりして、かくれんぼの途中で忘れられてしまったようなそんな心細さと悲しさを感じていた。忘れていた、忘れていたのに。裸足の指先がどんなに冷えていたか、声を吸い込んでいく廊下がどんなに無慈悲だったのか、そんなことは総て忘れていたのに。
リスは手を差し出していた。両手を。
作品名:Grateful Days 作家名:スサ